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夏至の日 見たことないもの 生まれたし

「あなたは頑張ってきた」
と、インターネットの中で、今までずっと励ましてくれていた、vogue連載しいたけ占いの、今週の運勢を読んでみたら、トーンが変わっていた。
「ちょっと昔を振り返りたい」と。
そして「独立」の時期が来たとも書いてある。

そうなのだ、ずっと頑張ってきたのだ。
でも、その記憶を残しておけるのは今が最後で、このタイミングを逃すと、新しい自分に変わってしまって、全て忘れてしまいそうな気もする。
だから、手のひらのスマホのノートに、言葉を残し始めた。

これから綴るのは、医療や介護のことなどを通して、初めて、自分が経験したことである
現在46歳、未婚。多分、同世代の平均よりも少し早めにやってきた人生の節目だったと思うので、偶さかページを読んで下さった方へ、何か参考になることがあれば幸いと思う。

chapter1: それは準備もしていたし、突然のことでもあった。

2019年6月。5年をかけて父が闘ってきた癌の治療を終えることになった。担当医から、父のこれ以上の治療が不可能だと宣告を受けたのだ。

でも、ここからの話は、母のことである。
その宣告を受け、退室したとたんに、母がばったりと倒れてしまったのだ。
そのとき家にいた私は、父から第一報を受けた。医療ドラマの派手なシーンの様に、医師や看護士が寄り集まって、ひと騒動だったというのは、後から聞いた話である。

さて病院の中で倒れても、その場で直ぐ治療が受けられるかというと、ドラマのように好都合にいかない。
父の電話では、空きのベッドがないため隣町の緊急外来を紹介され、これから向かうと言うので、私も通勤快速に飛び乗り、東京を出、そのもっと先へと向かった。
駅に着くと、初めて訪れる町は視界の悪い森のようで、まるで小動物が夜中にびくびくと移動するかのように、大きな道路を歩いて渡った。

緊急外来へ到着。疲れ果てた父と、最悪の母が待合室にいた。
母の順番が呼ばれれても、立ち上がり診察室へ入ることが出来ないことが続き、一定時間が過ぎると次の方へ順番を譲るという事が何回も続いた。命の最後通告をされた日の父は、小さく痩せた姿で辛抱していた。

次から次へと病人が訪れる雰囲気も辛かった。新米のお母さんがお子さんの急病に戸惑っていたり、食中毒を患った男の人がやってきたり、一方で小さなかすり傷に不安になる様な人もいた。それを当直の先生、お一人で診ていた。

20時ごろ病院に着いたのにも関わらず、診療を受けられたあと、時計を見たら23時になっていた。出来れば入院をさせてほしいと思い、医師もそれを薦めて下さったのだが、やはり、ここのベッドも空きがなかった。

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