発達障害より定型発達症候群の方を研究するべき

定型発達は、単なる相対的な定義ではなく、発達障害との絶対的な対立軸として発達障害と同じくらい徹底的に研究されてほしい。

「これまでの学問は全てそうだった」とか「それは〇〇心理学」みたいな屁理屈ではなく、本当に「定型発達学」みたいに新しくフラットな一つの学問として独立してほしい。

定型発達が正常なコミュニケーションだと思っている会話や行動に「どうしてそう思ったの?」「それはどういう理路でそうなったの?」って、専門家や研究者が一々突っ込んで欲しい。発達障害者が普段そうされている様に。

アメリカでは、自閉症者の運動から、一つのウィットというか風刺みたいな(まあお互い様だよね的な?)感じで「定型発達症候群」という概念が生まれてるのだけど、ユーモアとしての処理じゃなくて、徹底的に「定型発達」と言う物を探り倒してほしい。定型発達の何が「定」なのか。

本音を言うなら、「定型発達」とその様々な特徴(同調圧力とか)によって引き起こされてる差別や偏見の方が遥かに根深いんだから、定型発達こそ「病気」として処理して欲しいんだが。「空気を読んで」人をいじめる本末転倒な社会を構成してる空気読みの定型のほうがずっと病的だって。

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