リアルタイムのライブ配信に無関心な理由は?
僕はリアルタイム型のライブ配信を
視聴することが出来ません。
たとえ、自分が好きな配信者の配信であってもです。
その理由を自分なりに分析していきます!
目的意識が曖昧
まず、リアルタイム型の配信を見る際は
配信の内容が配信者側に委ねられます。
つまり、配信者側の都合で、自分が見始めた目的が
不明瞭なものへと変貌してしまうということです。
目的意識を持って行動したほうが明らかに効率的なので、
いつ自分の目的と出会えるか分からない、
リアルタイム型の配信は時間を割いてまで
見ようとする気が起きません。
配信時間が明確に指定されているわけでもなく、
「変化」が常に起こるので、ASDの特性的にも合いません。
リアルタイム型の配信を視聴している人は、
いつ食べられるか分からないのに、吊り下げられたニンジンを
得られると思って走り続ける馬と一緒だと思っています。
内容にしか関心がない
僕は人という存在に関心がありません。
とても軽蔑しています。
リアルタイム型の配信の特徴は、
「同時に視聴してるユーザーと一体感を持って馴れ合える」
ということ。
僕はそんなリアルタイム型配信の利点を
利点だと受け止めていません。
逆にマイナスの側面だと考えています。
受動的な思考能力が育ってしまう
リアルタイム型の配信を見ていると、
「受動的な思考能力が無駄に育つ」と
考えています。
こんな構造じゃないでしょうか。
AIが台頭し、更に「自分の頭で考える思考力」は
必要になるのに、自分から脳を退化させに行って
良いのでしょうか。
リアルタイム型の配信をチャット欄ありきで視聴していると、
自分の頭で考えているつもりでも、周囲の視聴者と似た考え方が
脳にインストールされ、アンインストールするのが難しくなります。
配信はドーパミンが大量に分泌する娯楽なので、依存性が高く
抜け出したくても逃げ場が無い状態になるのです。
視聴環境が悪い
これはイメージしやすいシンプルな理由だと思います。
配信は同時接続数(略して同接)が多いほど、
視聴する環境が悪化していきます。
例えば「画質」「ラグや遅延」
「荒らし,連投コメント」など。
アーカイブを目的意識を持って視聴したほうが、
遥かに快適な環境で配信の撮れ高の部分だけを
楽しめると思います。
宝の山から必要な宝だけを獲得した方が効率的
3年前くらいから「切り抜き動画」というコンテンツが
流行り始めました。
偽りの一時的な一体感を感じるのに依存するくらいなら、
見る目的を決めて、「宝の山から宝を探せる」切り抜きの方が
時間効率が良いと思います。
配信を視聴して、自分たちは鉱山の中で宝石を発掘しているんだ!
という優越感に浸りたいのかもしれませんが、
陳列された宝石を吟味して自分に必要なものを
取捨選択した方が合理的なはずです。
しかし、感謝の気持ちは忘れない
配信を盛り上げているのは実際、視聴者です。
配信者も全員が切り抜きを見る視聴者ばかりでは、
食っていけません。
そのため、配信をリアルタイムで見ているユーザーに
対する感謝の気持ちは忘れないように意識しています。
「配信者にコメントで攻略情報を伝えて助ける」
「盛り上がった時に『うおw』という弾幕が流れて、
アーカイブを見ている人も,気分が上がる」
全て視聴者の所為です。
視聴者は時に配信をつまらなくする才能を発揮させますが、
良い部分だってあります。
今後も、現在進行系で配信者を追い続ける視聴者の
有り難みを忘れず、時間をおいて配信を楽しみたいと思いました。
総括
今回は自分がリアルタイム型の配信が
嫌いな理由を模索してみました。
堅苦しい文章で、理解し難い内容があれば、
すいません。
あくまで特殊な発達障害者の気持ち悪い持論
なのでそこまで気に留めないでください。
ここまで記事を読んでくれてありがとうございました!
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