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”コーヒー”


 珈琲といえど、こいつはまだ不完全だ。珈琲には遠くおよばない。いや、はるかにおよばない。

 期末テストから解放されたその日の放課後。友人は売店で買ってきた紙パックいりのカフェオレを飲みながら、教室の黒板に大きく「珈琲」と書きなぐると、そこからすぐに2人の王様を取り除いてしまった。

「加非――どうだろう。このなんともいえない物足りなさ。加えるに非ず、いや語順が逆だから非ずを加える。きっとまだ、ヨーロッパに伝来する前段階で、この加非とやらはイスラム商人の所有物に違いない。しかも、王が2人もいなくなってしまった。戦争だ。栄枯盛衰だ」

 きっと、連日の徹夜でカフェインを摂り過ぎたのだろう。言っていることが支離滅裂だ。期末テストは今日で終わったというのに、さらにカフェインを求めてカフェオレを飲んでいるあたり、症状はよっぽど重篤なのだろう。
 かけてやれる言葉はないだろうかと、適切な語彙をさがしていると、友人はカフェオレを手にしたまま両手を広げ、おもむろに天を仰いだ。

あなたに平穏がありますようにアッサラーム・アレイクム
あなたにも平穏がありますようにワレイクム・サラーム
「心の友よ」
「はよ帰って寝れ」


終わり。
仕事のバタバタがひと段落ついて、明日から2週間くらいは割とゆっくり。
ちなみに珈琲の当て字を考えたのは、宇田川榕菴うだがわようあんという蘭学者らしい。明治期の翻訳語は西周、前島密、福沢諭吉、中江兆民あたりをおさえておけばよかろうと思っていたけれど、この企画がきっかけで、新しい知識をしいれることができた。

ちなみにおすすめ書籍。

あと、一時期熱中したゲーム。


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