有坂初荷は「箱庭師」
未来について、かなり大枠で考えてみました。
有坂初荷の創作素振り。練習のための試作小説『水闘/ハイドロ・ギュムノス』と、それにまつわる覚書きなど。
自己紹介「アクティビティの保存※」をテーマに、これから表現や創作をおこなっていく予定です。 興味のある分野は、歴史や言語、メカやサブカルなど。 もともとは理系ですが、より広い視野を獲得し、人生をより豊かにする目的で、長らく趣味で文系科目の勉強をしております。 入り口は社会学 『攻殻機動隊』のアニメ版の影響で、大学の情報科に進学しましたが、C言語に苦戦するうちに、わたしは作中で度々引用される文学や社会学に興味を持つようになりました。そのころ読んでいたのは、東浩紀や大塚英志な
結論からいうと、すばらしい判断だと思います。 たとえば、プロスポーツ選手の場合、違法な薬物をつかっていることが判明すると、メダルを没収されたり、大会への参加資格をはく奪されたりする。 プロゲーマーが違法なツールを使った場合も、おなじような対応がとられる。 そういったストイックな世界と比較すると、「創作活動」の領域というのは、こういった「チートツール」が、はいりこみやすいのだろう。 創作は競技ではないし、プロと趣味の境界があいまいで、誰もが気軽に参加できることが
はじめに 導入 世の中には、意図的にねらって人を笑わせることができるような人や、本人が意図しているわけでもないのに自然と笑いの中心に立てるような人がいる。「笑いの才能」という指標でこれらを見ると、前者は分析家タイプや努力家タイプとして分類できそうだという気がするし、後者は天才タイプといって差し支えないだろうと思う。 後天的に笑いのセンスをつかむ人と、先天的に笑いのセンスをもっている人がいて、「お笑い」というのは、もしかしたらこういった人たちの絶妙なバランスによってなり
買い替え ようやくPCを買いかえた。今回も中古PC。 そこそこスペックのよいものが、2万円前後で手にはいるので、とてもたすかる。 以下スペック。 OS : Windows11 pro 64bit CPU : Intel Core i5 CPU速度 : 3.4 GHz RAM : 8 GB HDD : 512 GB MSofficeつきで2万円ちょっと。普段つかい用のPCとしては、十分すぎる性能だと思う。 これまでつかっていたPCのスペックは以下の通り。
はじめに導入 生きていくうえで必要なものが、はじめから全て用意されていて、新たに何かを買い足す必要がないような場合において、「お金」がどのような意味を持つのか、どのような役割を果たすのかといったことについては、この『有沢友好。のみらいよち』全体を通して、ふれることはない。 そこまで深く手を伸ばすような余力は、もうわたしにはない。 しかし、今回は「お金」についての話をしようと思う。前回の「断片1」では「社会」の未来について考えてみたので、今回は「社会」を構成する要素の
関わるべきではないのだろうけれど、誰かが書き留めておかなくてはならないことだとも思う。そんな話。 「おりこうさんにしていれば、お菓子を買ってあげる」、「まじめに勉強すれば、おこずかいを増やしてあげる」というのは、あくまでも家庭のなかだけの方便にすぎない。 自らの在り方や居ずまいを正せば自分の欲しいものが手に入る、というルールは家庭の外には存在せず、自分が欲しいものをどうしても手に入れようと思うのであれば、ちゃんと戦略をたてて勝ち取らねばならない。 もちろん、幸福や成
はじめに導入 よく耳にする言葉に「社会の歯車」というものがある。個人を消耗品のように使い捨てにするようで、どちらかといえばネガティブな意味合いで使われるような言葉ではあるけれど、一方で「人々が互いに協力しあいながら社会を動かしている」という感じもして、わたし自身は、プラマイゼロでフラットな印象を抱いている。 昨今たくさんの人が話題にあげるAI(Artificial Intelligence)はもちろんのこと、さらなる科学技術の発展は今後、わたしたちが社会を支えるために
進捗報告など 想像していたよりも10倍くらい疲れた。 昨年の年末からずっと、『有沢友好。のみらいよち』にむけて考えを詰めていて、もうすでに自分なりに納得のいく結論にたっしていて、頭の中におおまかなプロットもあるのだけれど、「ひとまとまりの文章」に落とし込むだけの体力が残っていない。 まだ何もかたちになっていないのだけれど、自己満足というか、自分なりに頑張ったという実感があるのと同時に、「自分はもう無理できないんだ」ということを強く感じた。具体的には、気持ちはまだ30
こころ穏やかにゴールしたい。 たとえ形式的になっても。 軽めの苦行として。 といった感覚ではじめたが、いがいと大変だった。 いちばん大変だったのは、言葉をまとめる時間がないこと。 書くネタはいくらでもあるのだけれど、角が立つような内容や、人によっては毒になるような内容は、オブラートに包んだり希釈したりする必要があったりで、その作業がたいへんだった。場合によっては、薄めすぎてただの水になったものを書きかけて、「こんなの書いても意味ないし、時間もったいないな」と
この記事は、2023年の12月に書いたものだが、2024年2月に加筆・修正を行った。 はじめに ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』と、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』の2冊を半年かけて読んだ。 熟読しようとつとめたが、1度読んだだけでは、到底すべてを理解することは不可能だと思った。 これらの本でテーマとして扱われている「遊び」の考察は、自分の新たなライフワークになりそうだと感じたが、当分は脇に置いておきたいと思った、それくらいつかれた。 これからわたしが
100日までに『ホモ・ルーデンス』の感想を自分の言葉で「まとめる」といったような気がする。 いちおう、あと2,3時間あればロジェ・カイヨワの『遊びと人間』を読破できるところまできているので、目標は達成できそうではある。 とはいえ、まだ論旨など「どういう語り口でいくか」といったところが、まったく見えていないので、きょうは徹夜する予定。 ざっくりとした方向性としては「現段階でのわたしの理解」であるという点、多くの解説者が「遊び」という単語のもつライトなイメージにひっぱ
ここ最近でいちばんハッとした話。 ざっくりとしたテーマでいうと、「年々増大するインターネットトラフィックにたいする経済的負担を、いったい誰が負担するのか」という話。 ネットコンテンツやネットサービスを提供する人たちと、物理的なネットインフラを提供する人たちの間で、いろいろと対立が発生している状況で、韓国の場合は国が新しく法律をつくってネットインフラを提供する人たちの肩を持ったら、ネットコンテンツを提供する人たちが見切りをつけたという感じ。 詳しい事情を元プロゲーマ
きょう1日ぼんやり考えていたことのうち、表に出せるもの。 捕球率 わたしは手が届く範囲の幸せは、取りこぼさず100%キャッチしたいと思っている。 要領が悪かったり、何かのミスで取りこぼしたりすることはあるけれど、それでも70%くらいはキャッチしている、という実感はある。なので、何事も努力が大切だ、という気分で生きている。 仮にこれが50%くらいだと、物事がうまくいくかどうかは「50:50」になるのだから、世の中すべては「運」次第だ、という考えに至るのだろうか?
油断すると病みがこぼれだしそうになるので、できるだけ明るい感じで書こうと思ったのだけれど、なんのノイズもない明るい文章って、読んでいても「だから何?」ってなってしまうような気もする。 かといって、暗い文章は書きたくない。 そういうときこそ、「物語」の力が必要なんだろうなと思った。 ストレートに表現すると角がたつようなことでも、フィクションに落とし込んでやればちゃんとオブラートに包めるような気がする。 毒や病みを含んでいても、ちゃんと人の背中を押すことができる
書かねば。 ふと思ったのは、最近のゲーム実況界隈について。 単純にここ数年のわたしの興味の向き方の問題なのだと思うのだけれど、ビッグネームの人たちがつくった「コンテンツ」よりも、多人数でプレイ可能なタイトルをみんなで一緒に「ストリーミング」するスタイルの方が、メインストリームになっているような気がする。 プロの芸人さんなんかが「ゲーム実況」に参入しているけれど、少なくともわたしは見ていない。たぶんゲームプレイに「べしゃり」を求めていないからだろうか。 そういえば
気がつけばnoteをはじめてから、90日以上が経った。 する予定ではなかった連続投稿も、もうすぐ100日に達する。 何か意味のあることを書いたのは、せいぜい20回くらいで、そのほかはとりとめのないことを書いたり、てきとうにYouTubeから好きな動画を引用してきただけだったと思う。 何百日も連続投稿をされている猛者もいて、そういう人にはかなわんなと思ってしまう。 わたしの場合は、これ以上むりにつづけると、「毒」や「危険物」が流出しかねないので、このまま変に力む