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日常の覚書き(初手から身を切ろうとする者には何も残らないという話)

 関わるべきではないのだろうけれど、誰かが書き留めておかなくてはならないことだとも思う。そんな話。

 「おりこうさんにしていれば、お菓子を買ってあげる」、「まじめに勉強すれば、おこずかいを増やしてあげる」というのは、あくまでも家庭のなかだけの方便にすぎない。
 自らの在り方や居ずまいを正せば自分の欲しいものが手に入る、というルールは家庭の外には存在せず、自分が欲しいものをどうしても手に入れようと思うのであれば、ちゃんと戦略をたてて勝ち取らねばならない。
 もちろん、幸福や成功といったものは日々の習慣の積み重ねによるところが大きいとは思うが、自分が求めているものと日々の努力との間にどれくらいの関連性があるか、という意識は常に心のどこかにおいておく必要があるだろうと思う。

医vsドラ

 現在、一部の医薬品販売をめぐって日本医師会(医者)と登録販売者協会(ドラッグストア)が衝突している。わたしは仕事柄、普通の人よりもちょっとだけ近くで、その争いを見ることができている。全容が見えるほど深いかかわりはないが。

 一部の医薬品というのは、ジヒドロコデインやリン酸コデインなど「コデイン系」の成分を含む、いわゆる咳止め薬だ。

 最近では地上波のニュースでもよく取り上げられているので、ご存じの方も多いとは思うが、このコデイン系の成分は過剰に摂取すると麻薬に似たような症状を呈するため、これが若者の間で広がっているという。

 医師会が言うには「このような状態になっているのは、危険性のある医薬品を若者が気軽に入手できる状態をつくりだしている、ドラッグストアと製薬会社のせいだ」ということらしい。

 無理筋だと思う。
 製薬会社にもドラッグストアにも、憲法で商業活動の自由が保障されているし、若者の生活態度や趣味嗜好に関して、いち企業がなんらかの責任を負うというのは、おかしなはなしである。そもそもこの「若者」というのも、どういった若者をサンプルとして採ってきているのか不明である。

 なぜ、医師会がそこまで「筋違いの恨み」を抱いているのかは分からないが、仮に「顧客をドラッグストアに奪われているから、取り戻したい」という思惑があるということにする。


たぶん医師会の勝ち

 無理な勝負を挑んでいるように見えるが、ことの成行きを見ていると、どうやら医師会の勝利であるように見える。
 さきほど「筋違いの恨み」と書いたが、咳止め薬をめぐる医師会の主張はあくまでも入念に練られた戦略の最初の一手のようなものであり、定石や牽制球にすぎないのだろうとわたしは思う。

 勝負事には必ず勝ち負けがついてまわるが、ひとことで「勝利」といっても細かなグラデーションがあって、「8割ぐらい勝って、十分すぎる勝利」という場合もあるし、「5割くらい勝って、御の字」という場合もあるし「2割くらい勝って、あとは損切り」という場合もある。
 こういった勝利状態を正しく判断するためには、当然だが、事前に勝利条件をしっかり設定しておかなくてはならない。

 医師会としても、はじめから100パーセント勝とうなどとは思ってはいなかっただろうと思う。
 ドラッグストアでの咳止め薬の取り扱いがなくなり、「風邪をひいたら、必ず病院に来てください」という状態は、医師会にとっては望外の勝利であり、むしろ、店頭での医薬品販売が多少なりとも煩雑化するようドラックストア側に何らかの制度改革を強いることができさえすれば十分だ、と考えていたのではないかと、わたしは個人的に思っている。

 しかし、現状どうなっているかといえば、ドラッグストアは自身の顧客に不便を強いるような改革を、自ら進んで行っている。

 

馬鹿かペテン

 たとえば、お酒を買うとき。店員さんがレジを打ちながら各自で判断して「20歳以上」のボタンを勝手に押してくれるような店は、買い物をしていて楽だと思う。
 完全にセルフレジ化したお店だと、店員さんがボードを持ってくるなどして20歳以上の確認をしに来るのを待ったり、こちらから店員さんに声をかけなくてはならなかったりするので、非常に手間だなと思うし、わたしはそういうお店ではお酒は買わないことにしている。
 さいわいわたしには日常的に飲酒する習慣はないので、それで困ることはないのだが。

 では仮に、あなたが花粉症だとする。フェキソフェナジン塩酸塩などの抗ヒスタミン薬の入った鼻炎薬といっしょに、医薬品の目薬や点鼻薬を購入しようと、それらをまとめてレジに持って行った場合を想像してほしい。
 おそらく今までは、商品を3つスキャンした後に「医薬品の説明はよろしいですか」とたずねられたはずだ。
 もし仮にこれが、レジに商品を1つ通すごとに「医薬品の説明は必要か」とたずねられたとしたらどうだろう。なんだかくどいな、と感じないだろうか。
 おそらく今後そうなるだろう、とわたしは思う。
 すでにそのようにルール変更をしはじめているドラッグストアもあるようだ。

 医師会というのは非常に強い政治的影響力をもっており、厚生労働省にも太いパイプを持っている。
 一方、登録販売者協会のそれは微々たるものだ。

 ドラッグストアは自社で働く登録販売者たちの署名を集め、パワーバランスの不均衡を解消しようとつとめた。ここまではよかったのだが、「若者の薬物濫用はドラッグストアのせい」という主張に対して、「そういった事実はない」ということを証明するために、一部のドラッグストアは過剰な自己改革を推進しているように思う。

 ドラッグストア側の勝利条件というのは、政治的影響力に関する圧倒的なビハインドを跳ね返せるような体制の構築であり、身の潔白の証明ではない。
 「若者の薬物濫用はドラッグストアのせい」という事実無根のいちゃもんに対して律儀に応えて身の潔白を証明したからといって、それが政治的影響力の増大に直結するわけではない。
 「正義の味方」などというのは空想上の生き物にすぎず、そんな社会的ポジションは存在しない。

 これらは、それぞれ別々の戦略をたてて進めるべき問題であって、事実無根のいちゃもんに関しては、筋違いであるということを逆手にとって、掲示物などで「家庭や学校、地域社会と連携し、若者の健全な成長をみまもっている」とか「警察と協力して医薬品の窃盗には厳しく対処する」といったようなアナウンスをおこない、論点を正しつつプロパガンダの向こうを張るなりすればよかったわけで、こういった駆け引きやパワーゲームを展開できずに、はじめからムキになってしまっている段階で、すでに勝負は決していたのだと思う。

 改革のコストを自ら引き受けるだけでなく、自らの体裁を保つためだけに、自らの顧客に負担を強いるというのは、戦略として下の下だと思うのは、わたしだけだろうか。

 誰が指揮をとっているのかは知らないが、そういう状況に気付けていないとするなら責任者は大馬鹿者だと思うし、仮に分かっていてやっているとするなら、とんだペテンだ。この問題は、はじめから出来レースだったのではないか、と思うほどだ。

 これに関して、これ以上わたしに語れることはないので、これ以上の深堀りは避ける。

 厚生労働省に関しては、この問題以外にも、もっと闇が深いところがありそうではあるけれど、わたしごときが扱える問題ではないので切り込まないでおく。

 今回のケースとは状況がことなるかもしれないが、「レジ袋有料化」のときも、なんだか似たような感じだったような気がする。
 あれは環境省といういち役所が暴走して、国の唯一の立法機関である国会を飛び越えて勝手にルールをつくり(厳密には「省令」なので法的拘束力はない)、他人の財布に手を突っ込んでくるということをやっている。

 おそらく政治家よりもお役人のほうが頭のいい人が多いので、政治家もうかつに手を出せないのだろうけれど、人よりたくさん勉強して人よりいい大学を卒業しただけの「個人」にすぎない役人に対して、数百人数千人の有権者の代表である政治家が負けてしまうというのは、なんだかアンバランスな話である。

 一方、似たようなケースで役所が負けた例をあげると、「ゆとり教育」がわかりやすいだろう。
 わたしが高校1年生のときに、「ゆとり教育」は正式にスタートしたのだが、わたしが通っていた学校では、課外授業と称して通常の授業をおこなっていた。普通「課外授業」というと、週に1コマ1時間程度のものを想像するかもしれないが、わたしの通っていた高校では週10コマ10時間くらい”課外授業”をおこなっていた。
 少なくともわたしが在学中の3年間はそのルールに変更はなかったので、お役人に見とがめられることなく、うまくやりすごしたのだろうと思う。
 もっとも、わたしが入学する前からの「伝統」であった可能性はあるが。
 全国的にも、この手の「工夫」はあったはずだ。
 結果、「ゆとり教育」という制度そのものは廃止せざるをえなくなった。

 つめこみ教育の是正という大義名分があったにもかかわらず、文部科学省は、「学生に勉強させる」という現場の教職員の使命に敗北した。
 国の医療費負担の軽減という大義名分があり「セルフメディケーション税制」という錦の御旗があったにもかかわらず、ドラッグストアは医者に負けた。

 役人と教師が綱引きをすると教師が勝利するが、医者と小売業が綱引きをすると、大差で医者が勝利する。

 ここから先は毒を吐きかねないので、くちをつぐむことにする。 

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有坂初荷は「箱庭師」
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