オリンピック関係者に乗ってもらったタクシードライバーが国際大会の意義について考える【全文無料】
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オリンピック関係者に乗ってもらったタクシードライバーが国際大会の意義について考える【全文無料】


東大卒だけどタクシードライバーやってます。


そんなキャッチフレーズを掲げながら、コロナ禍で人のいない東京を走り続けてきた。現在は、タクシードライバーと出版社経営の複業体制を成立させるために動いている。

さて、この記事を書いている現在、裏では開会式が放送されている。なんで見ないのかと言われると、そもそも「何とか式」という類のセレモニーが苦手なので、どのオリンピックでも開会式は見たことがない。

さておき、我々はオリンピック関係の報道に随分とうんざりとさせられてきた。

ぼくはそもそもオリンピック誘致などという時代錯誤なことをする必要はないと思っていた。なので誘致の段階から反対で「お・も・て・な・し」の報道も顔をしかめながら見ていた。

なぜオリンピックが誘致されたのか。最初は利権をつかめそうな業界からの要望なのかなと思っていたのだが、どうやら違うようだ。

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おっと、お客さんだ。

ご高齢の婦人がショッピングセンターの前で手を挙げている。

「ご乗車ありがとうございます!!本日はどちらまでお送り致しますか?」

「近いんで悪いんだけど、東砂一丁目までお願いします」

「かしこまりました。しかし、暑いですねー!」

「ほんと暑いですね!!ほんと溶けちゃいそう!!」

「この暑い中オリンピックやるなんて信じられないですよね」

僕がそう言うと、ご婦人は少し考えてこう答えた。

「前のオリンピックの時はもっと違ったんですけどね。今回はもう全然ワクワクしなくて……」

聞いてみると前回の東京オリンピックの時に中学三年生だったとのことであった。

前回の東京オリンピックが1964年なので、57年前。当時、15歳でも72歳とまだまだお元気なのである。ぼくが生まれる17年前のことなので、あまり実感が湧かなかったのだが、ご高齢者の中ではオリンピックは特別な存在なのだろう。

東京への誘致が決定したのは2013年。ということは2010年くらいにはオリンピックを誘致しようという企画が明瞭なものとして立ち上がっていたものとしよう。

そうか。その世代の人がワクワクしていたから、オリンピックは誘致されたんだなと腑に落ちた。当たり前といえば当たり前かもしれないが、不思議と今まで自覚したことがなかった。

1964年に15歳の方は、2010年に61歳。
1番権力を持つお年頃。

1964年に30歳の方は、2010年に76歳。
成功者として大きな影響力を持つ人も。

1つの象徴が森喜朗元総理で、1937年生まれ。ということは旧東京オリンピックの時には27歳であった。誘致をし始めたと想定される2010年には73歳ということになる。

ぼくの世代にとってのオリンピックは、時期が来たら一応見るけど、2週間もしたら忘れてしまうという程度のものであった。オリンピックが大好きという同世代はあまり見たことがない。

20人に1人くらいはオリンピックの機会に色々なマイナースポーツを見る人もいるのだが、大抵は主要な競技のハイライトをニュースで見る程度であった。

実はぼくは、アテネオリンピックのときにオリンピックの記録を延々とつけるバイトを一夏していたので、オリンピックという大会の壮大さには実感を持っている。

信じられないくらい色んな競技があるし、誰も注目しない日本人選手もたくさん出場している。ぼくが担当した競技でいうと、ウェイトリフティング、カヌー、近代五種、

他に水球、陸上ホッケー、シンクロナイズド飛び込み、3000メートル障害、円盤投げ、やり投げ、十種競技。

十種競技というのは、100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400m、110mハードル、円盤投げ、棒高跳、やり投げ、1500mである。これの担当になった人は泣いていた。

あと厳しいのがカヌー。解説もなく、ひたすらこぎ続けるだけの映像を2、3時間見続ける必要があった。深夜の眠気もあってカヌーは1番の外れであった。

オリンピックというと、メダルが取れる競技とサッカーやバスケなどの単独でも商売になる競技ばかりが注目されるが、オリンピックの本質は実は違う。アマチュアスポーツの祭典なので、本来は「参加する意義」がある大会なのである。

そういう文脈もあって、ヨーロッパなどでは「メダル数争い」などに関心を持つ人も少ないのだそうだ。一方でメダル争いをするのは、国威掲揚のために強さをPRする機会としてオリンピックを利用する。

かつてはナチスドイツもオリンピックを利用したし、冷戦時代はアメリカと共産国の熾烈な争いが繰り広げられていた。

もちろんどの国でも金メダルを取った自国人のことは賞賛すると思うのだが、どうもあちらの人は「国籍がどうのよりも、優れたアスリートを見たい」という考えのようだ。

これを知ったのは、バンクーバー冬季五輪(2010年)において國母和宏選手が「うるせぇなぁ」と発言して話題になった時。日本のメディアは、國保選手の品格がどうなのかを論じ、それでもメダルが取れるなら良いかもしれないと議論していた。メダルが取れるかどうかが日本人にとって1番大切なことなのである。

なので現地でも日本のメディアは、國保の振る舞いはどう見えるのかなどと外国人メディアに聞いて回ったらしい。その時に帰ってきた答えはこれ。

「おまえらは何をいってるんだ?日本人の礼儀?ショーン・ホワイトが出るんだぞ。何しに来たんだ?」(記憶を元に再現)

ショーン・ホワイト選手はスノーボード界のレジェンドで、この選手を大舞台で見たいという一心で、世界中のメディアは現地まで押しかけてきていたのだ。

自分の国がメダルを取って、それによって自分の国の優秀さを世界に示し、それを認めてもらえるという考えは、もう時代遅れなのだろうと思う。

大学の卒業旅行でオーストラリアにいったとき、テレビでスポーツ番組を見ていたら、たまたまかもしれないが世界各国の名選手が紹介されていた。そこで見て印象的だったのが、長野オリンピックの原田の大ジャンプが流れていたことであった。

日本ではこういうことはあまりない。自国人の栄光にばかり興味があるのが日本人なのである。逆に言うとスポーツそのものにはそれほど興味を持っていない。


オリンピックは、日本のナルシズムを満足させるための装置なのである。


何が言いたいかというと、かつての東京オリンピックは大成功であった。戦争で痛めつけられた日本の復興と、地に落ちていた国際評価を取り戻すのがオリンピックに課された使命であった。

そして、日本の金メダル数は16個。1番取ったのはアメリカで36個、次がソビエト連邦で30個。日本は3番目である。

つまり、2つの超大国に次ぐ位置まで日本が登り詰めたと「錯覚」させられる鮮烈な出来事であったのだ。実際の所、第二次世界大戦後の国土の荒廃と復興に対する苦労については、計り知れないものがあるし、先人達の苦労にはどれだけ感謝してもしすぎにはならない。

ただギャップはある。

旧オリンピックを鮮烈な思い出として持っている世代と、そうではない世代。

そして、東京オリンピック2020は、旧オリンピックに対する強烈な体験を持つ世代によって誘致されたということだ。

今回の東京オリンピックは、時代に合わぬ出来事が起こり続け、事あるごとに炎上し、批判され続けてきた。その象徴が国立競技場である。

1964年の東京五輪の時に立てられた国立競技場は撤去され、誰も望まぬ、役にも立たぬ高級スタジアムが建設された。旧国立スタジアムは、誰からも愛される歴史的なモニュメントであったのだが、このスタジアムはネットスラングでは「便器」と呼ばれていて、評判も散々である。ぼくもサッカー観戦に一度行ったのだが、「凄く悪いわけではないものの、最高の立地に1500億円かけて建てる価値はまったくない」という評価である。

陸上競技場なのだから陸上競技をすればいいと思うのだが、サブトラックがないため陸上競技の大会は開けないらしい。愚の骨頂である。

そして維持費が膨大にかかる上に回収の目処も立たないと。

どうしてこんなことが起きてしまうのだろうか。その答えが見えてきたのも、やはりタクシーの乗務中であった。


ピコンピコン

突然音が鳴る。迎車予約が入った合図である。毎度の事ながら心臓に悪い。

今回は日曹橋交差点であった。明治通りと永代通りの交差点、といって分かる方は分かると思うのだが、要するにオリンピック会場が多数ある東京の湾岸近くである。

詳細を覗いてみるとやはりオリンピック関係の迎車であった。オリンピック会場にも侵入できる許可証を掲示して、某競技場へと向かう。

オリンピックはもっと早い段階で中止するべきだと思っていた。コロナ禍で無理してまでやることではないからだ。また、冒頭で書いた通り、誘致すること自体あまり賛成ではなかった。

この日は開会式の3日前。まだ世間はオリンピックムードにはなかった。実際にこの日に載せたご婦人は「前のオリンピックの時はもっと違ったんですけどね。今回はもう全然ワクワクしなくて……」と言っていた。

しかし、オリンピック迎車の文字を見て少し胸が高鳴るのを感じた。

そして、某競技場につけると、ガイド役とおぼしき男性とブロンドの女性が乗り込んできた。行き先のホテルは予約時に聞いていた。

何か話しかけようと思ったのだが、うまく口が動かなかった。

本当ならWelcome to Japan!!と言えるべきであった。まったく心の準備が出来ていなかった。

いや、英語だけではなく世界各国の言語で挨拶であったり、歓迎の言葉であったりを言えるようにしているべきであった。タクシードライバーだけではなく、東京に住む人はみんな“そうあるべき”であったのだ。

オリンピックを前にして語学の勉強をした人はどれだけいるのだろうか。もちろん、コロナ禍だから交流の機会はあまりないことはわかっていた。それは当然のことだ。しかし、それこそが1番の損失であったのだ。

話しかける機会を逸ししてしまった。後ろで会話をしているのだがどうやら英語ではないようだ。響きからするとフランス語のように思えた。

bienvenue au Japon

フランス語ではこう言うらしい。簡単な英会話なら出来るのだが、フランス人だから英語は駄目かもしれない。何か話したいけど……。何も話を用意していなかった。心構えが出来ていなかった。

そうだ。オリンピックは国際交流の機会であったのだ。

今回のオリンピックで国際交流の機会が失われてしまった最大の理由は、中国武漢での流行から、世界的なパンデミックにまで発展してしまったことだ。だから、東京都を攻めるのは酷なところはある。

今回の記事の趣旨はそこではない。行政の不手際を追求するのはぼくの得意とすることではない。

ぼくはただ思い出していた。

ブラジルワールドカップに行った時のことを。1ヶ月間、ブラジルに滞在した時のことを。

この時の体験を一言で要約すると「ブラジルが大好きになった」である。恐らく国際大会でもなかったらブラジルには行っていなかったと思う。また、ワールドカップという機会ではなかったら、ブラジルはあんなに優しい顔をしてくれなかったかもしれない。

ブラジルワールドカップは、今回の東京オリンピックと似た状況であった。行政は最悪で、準備も遅く、無駄金を使いすぎることから批判が渦巻いていた。反対デモを何度か目撃したし、建設途中のスタジアムが崩れて死者が出るというニュースもリアルタイムで見た。

反対派は大勢いたと思うのだが、我々のような海外からのゲストを心から歓迎してくれる人もいた。あの時たくさんのブラジル人と握手をして、抱き合って、簡単ながらも言葉をかわして、大声で笑い合った。

1番笑ったのは、ぼくが間違えて「オブリガーダ」という女性言葉でお礼を言ってしまった時だ。

その後、2人で大笑いした。こういう交流があったからといって経済的な利益はほとんど生まれないだろう。

しかし、地球の裏側に親しみが感じられるようになる。自分の住んでいる地球が大好きになる。世界が好きになる。あるいは、日本や日本人に興味を持ってもらえたり、好きになってもらえたりするかもしれない。

もしかしたらそれは、第三次世界大戦を止める1つの抑止力になるかもしれない。あるいはまったく役に立たないかもしれない。

ただ、少なくとも、ぼくの人生はとっても豊かになった。

クイアバのパブリックビューイングで家族連れと立ち話をしたときに、小さな女の子に「ムイントボニータ!(とっても可愛いね!)」と言った。

彼女は、とっても嬉しかったらしく、サンバのステップのようなものを踏んで全身で喜びを表現してくれた。実にブラジル人らしい。

ぼくは一生あの子のことを忘れないし、もしかしたら、彼女もぼくのことを一生覚えていてくれるかもしれない。

そのことに経済的な価値はない。しかし、それこそがオリンピックの意義なのではないだろうか。

今回はコロナ禍によって、機会が限定的になってしまった。しかし、本来は「小さな国際交流」に「自らが参加すること」がオリンピックをわざわざやる意義なのだ。

しかしながら、日本ではかつての成功体験に基づき、経済的な意味で日本に活力を与えるという目的が強調されすぎている。また、60年前と違って、日本人は十分に世界で活躍している。だから、日本人が世界に「追いつけ追い越せ」という時代でもないのだ。

そうではない。世界中に親しみを持つ機会なのである。参加すると世界が好きになるのだ。こんなに素晴らしい機会はないことだろう。

そして、本来であれば、小学生、中学生などの子供が、その素晴らしさを享受できるべきであったのだ。世界から来たお客さんに対して、戸惑いながらも「ようこそ、日本へ」と言えたとしたならば、その子の人生にとっては一生の宝物が生まれていたかもしれない。

いやいや、日本人はシャイだから難しいかもしれない。でも、あっちが言葉を覚えてくる。「コンニチハ」と言われて「こんにちは」と返す。小さな国際交流はそれだけでいいのだ。


実際に、それだけのことをブラジルで経験しただけで、ぼくは未だに幸せだ。


そして、フランス語で喋る女性をタクシーに乗せたぼくは幸せになり損なってしまった。一言挨拶をするだけで、彼女は満面の笑みを浮かべてくれたかもしれない。日本人っていいなと思ってくれたかもしれない。ぼくも彼女の笑顔をずっと覚えていられたかもしれない。

次の機会はもうないかもしれないが、その時は満面の笑みでこう言おう。

「日本へようこそ!Welcome to Japan!」

言葉なんて何でもいいのだ。日本語だってまったく問題ない。大事なのは笑顔で話しかけることだ。それ以外に必要なものは何もない。

日本に来るのは打ち負かすべき敵ではなく、一緒にお祭りを楽しむ仲間なのだから。

今回の東京五輪では国際交流の機会は失われてしまった。ぼくはタクシードライバーという特殊な仕事をしているので、その機会を得た(そして逃した)。

これを損失と捉えることも出来る。確かにその通りともいえるのだが、取り返す機会はまだある。

来るのは60年に1回だが、行くのは4年に1回。いや、冬期五輪と男女W杯までいれると4年に4回。年に1回。その他の国際大会をいれれば機会は無数にある。

日本人の感覚では、国際大会にわざわざ出向くのは「不可能」なのだろう。だから自国開催を一生に一回の機会だと考えたのだろう。

しかし、コロナ禍が終わることが前提ではあるが、どこの国でやっているオリンピックでも観戦することは可能なのだ。もちろん交通費などの諸々はかかる。つまりコストがかかる。

逆に言うと国内開催のオリンピックは「少し安い」だけなのである。


若い世代を中心に、今回のオリンピックにはうんざりしている人が見られるように思う。そんな世代には言いたい。


オリンピックは、行くもんだよ、と。

もっともぼくの場合はオリンピックよりもワールドカップのほうが興味があるのだが、パリ五輪は行ってみようかなと密かに思った次第であった。

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タクシードライバー、文筆家、会社経営者。 東京23区を中心にタクシー営業中(月22〜24日勤務)。愛する東京が職場です。 旅とサッカーのウェブ雑誌OWL magazine代表。サポーターを主役にした紀行文を書き連ねています。 株式会社西葛西出版代表取締役社長。本を作ってます。