見出し画像

「妖精さん」活性化計画:勇気と静けさ

世の中がもっとこうなりますように。あの人がもっとこうだったらいいのに。仕事がもっとああだったらいいのに。システムがもっと〇〇で、社会が、もっと○○であれば良いのに。

願うこと、期待することは決して悪いことではない。

何故なら、「願ったり」、「期待する」ことは、他でもない、「私」が何を望んでいるか、知るヒントになるから。

「妖精さん」は悩んでいた:不満の元は不安

今年の都知事選で、候補者の主張を読んでいる時に、初めて「妖精さんリストラ計画」という言葉を知った。

意味は、企業などの「働かないおじさん」のことを指していて、こうした人達をリストラする計画、ということらしかった。

私は女性なので、男女差別的な記事にならないように一応付言すると、きっと「働かないおばさん」もいるのだと思う。しかし、日本の歴史上、「働かないおじさん」の年代の女性は、寿退社をしているのでほぼいないのだと思う。私は働かない年配の女性に会ったことがない。むしろ、そういった当時の文化の中で、会社にとどまることを選択した女性は、逆に、皆本当に驚く程本質的に、会社に貢献して「働いている」人が多い印象だ。

バブル当時、恐らく今より「女性が結婚して当たり前」圧力が日本社会で根強かった中、「働く」ことを選択した女性達。「当時」の男性並みに、ガムシャラにモーレツに働くしか、「社会」で女性に提示されている「定型オプション」がなかったのかもしれない。だからこそ、日系の大手で働いていて、私が最も「仕事ができるなぁ」と感じて、信頼できた「管理職」は、全員女性だった。

なお、繰り返すがこれは、全く男女差別の趣旨はなく、私が以前いた職場に関する、私の個人的な感想だ。「日本社会は・・・」、等一般化して語るものではない。

前の職場では、男性は出世されていても、「お勉強ができるのだろうな」ということは理解できても、具体的に仕事が出来て、「頼れる」人はほぼいなかった。何故なら、皆「上(部長・役員・社長)」に報告することだけを目的にしていたので、「下」には報告するための、情報取得しか極力時間を割かない。「仕事」をしよう、ではなく、(上に気に入られそうな)「報告」をしよう、というメンタリティの人が多かったため、尚更そう感じたのかもしれない。女性の管理職の方々は端から、「出世」を意識していない(無理だと分かっている)ので、「報告」は出世組に任せて、「仕事」をしようというメンタリティの方が多かった。

私は最初、この「妖精さん」のターミノロジーを知った時に、ツボにはまってしまった。実態を鑑みると、大分素敵なネーミングを付けてもらっているな、と思った。

一万人を超える企業になると、確かに役員の数は多いが、「役員になれなかった」その世代の男性が何千人とあぶれている。そして、日系大手にいた時に、カルチャーショックだったのは、結構な人数で、ずっと仕事をせずに一日中話している人(男性)、9:00に来て、一日中席を外してどこにいるか分からないまま、17:00に退社をする人(男性)、一日中座席でゲームをしている人(男性)、出社してからほぼ座席で寝ている(+時々いびきをかく)人がいる(男性)ことだった。*全員私より10~20年上の方々。なので、この「妖精さん」に該当すると思う。

私だったら、仕事をせずに給料をもらうことは、本当に申し訳なく思うため、到底出来ない。しかも彼らは年功序列文化にある会社にいるので、役員になれなかったとしても、相当の給料をもらっている。。なので、とても驚いた。

それ以上に驚いたのは、私から見て「全く仕事をしていない」のに、何故か、彼らはとても不満気なのだ。

席を一日中外す男性社員と、一度、一緒に出張に行ったことがあった。(私一人で行くはずだった出張だが、部長が、「仕事の出来ない彼にチャンスをあげたい、Hatokaさん色々教えてあげて」とこっそり彼も帯同するアレンジを私に伝えてきた。私としては、彼は私より役職が上なので、それは部長の仕事では?と思ってしまったが承知した)。

取引先等とのミーティングの合間、車での移動の最中で、この彼は終始「会社の悪口」、「同僚や部長の悪口」を言っていた。

―こんなんじゃうちの会社だめだよね。何でHatokaさんこんな会社は入っちゃったの?こんなに働いても給料安いしさ。

―〇〇課の〇〇さんは本当に仕事ができない。そのくせ、上に取り繕うのが上手いから、海外駐在に行けたんだ(*駐在員は給料が高い)。俺の方が〇〇語できるのに。

―部長はだめだよね。器じゃないよ。部長になる人じゃなかったんだよ。

私は悪口が苦手なので同調はできなかったが、色々「何でそう思うのですか?」と質問したり、「〇〇さん、それ具体的に上に言ってみてはいかがですか?とてもいい提案だと思います」等、言ってみたが、彼は終始「ネガティブ」だった。つまり、私に解決策を求めているのではなく、文字通り「不満」を口にしているだけだった。

なお、繰り返すが「給料安い」と彼が言っている時点で、私より彼の給料は高い。また、他社比較という意味でも、当時調べた中では業界中給料は、高い方に入ると私は理解している。医者や経営者など、若くても5000万以上収入がある方々と比較すれば、「安い」と言えるかもしれないが、彼くらいの年次であれば、十分貰っていると思った。*妻と子供二人を養って行くことを鑑みても、貰っている方だと思う。

だが、彼は「不満」だった。

何故なら、「〇〇課の〇〇さん」と比べて、「優秀な自分」だと思っているのに、海外駐在に行けなかった。(=より高い給料を手にする機会を逸した。)「同期」で仲良くしていた人々は、皆、彼より二つ上の役職についている。自分だけが、まだその役職に上がれていない。子供が二人いて、家のローンが残っているから、下手に転職も怖くてできない。

聞いていると、こうした「不安」が、「不満」の原因らしいことが分かった。

私は驚いた。これだけ日中働いていない人が、(*出張で仲良くなったので、普段席にいない理由を聞いたら、タバコを吸って散歩をしているとのことだった。それは駄目ですよ!と叱ったら笑っていた)、今以上の「役職」や「待遇のアップ=お金」を求めていることに。

口に出かかって、咄嗟に仕舞った言葉がある:

「こんなに働かないで、こんなに給料もらっている、と思えば嬉しくないですか?」

今コロナで在宅勤務になっていると聞いた。彼らは、どのように仕事をしないスタイルを続けているのか、とても興味深い。

世界は「私」の認知で出来ていた

彼は悪い人ではない。親切で、面倒見が良く、子供のことを良く考えている、素敵なパパだ。配偶者さんのこともとても大事にされている。

話を聞いていて思った。彼が、やる気がなく、不満に満ちていて、「会社が嫌い」、「会社辞めたい」と思うのは、「彼」が「会社に認められていない」と思っているからではないか。

「自分が相応しい」と思っていたのに、実際、会社は別の人を海外駐在に送った。「自分が出来る」と思っていたのに、実際、会社は昇進させてくれない。過去、これだけ自分は役員と大きな仕事をしたのに、会社は、認めてくれない。

私は、彼と出張に行って、初めて彼は「仕事ができないのではなく、仕事を敢えてしようとしない」のだと知った。*部長の認識の方が若干ずれていた。

普段、彼は「拗ねて」いたのだ。「会社」から、「やっぱりあなたの力が必要だった」と言われることを、「やっぱりあなたが駐在に行くべきだった」と言われることを待っているようだった。

その証拠に、「タバコと散歩」発言の後に、はっきり言葉で「だって、会社がそういう判断したんだから、俺はやる気失くして当然じゃん」と言っていた。

恐らく、傍から見れば、日系大手、〇〇会社で〇十年働いている彼は、所謂、エリートなのだろう。「羨ましがられる」社会的要素を一般的に付帯している人なのだろう。

でも私の目の前にいた人は、不満と不安に塗れ、やる気を完全に失くしていた。憮然として自分が望むものを、拗ねながら待っているだけの毎日を過ごしていた。

はっきりと、この会社は(この会社の男女比率は男性が多い)古い年功序列システムが、しっかり根付いていて、レールから外れた人は、やる気を失くす程、働かなくなるシステムが息づいている、と分かった。

「仕事って楽しいんだよ」、「働くって素晴らしいことなんだよ」と自分に言い聞かせながら、働けることは幸せだと思う

少なくとも彼の場合、「海外駐在」も「お金」も、実は必要条件ではないことが良く分かった。むしろ「認められること」が必要条件だと思った。彼にとって「海外駐在」と「お金」は十分条件だ。

私や恐らく世間から見たら、彼は立派なエリートサラリーマン。十分な収入を貰っていると分かる。でも彼の視る会社という名の世界は、「不平等」で、「意味がなく」、「理不尽」な場所みたいだった。

私はこの時ふと思った。世界は「私」で出来ているのだと。

いくら「世間」や「社会」が、この会社が良いと言おうが、あなたは他と比べてお金を貰っている方ではないか、と言おうが、「私」がそう思わない限り、「私」にとって、そうならないのだ。

そして、お金を価値の物差しにした瞬間に、私の作る世界は、エンドレスに「不平等」で、「意味がなく」、「理不尽」な場所になると思う。

何故なら、この彼が抱いていると思った感覚は、他でもない当時、私が良く抱いた感覚でもあったからだ。

―部長は何故、自分でこの社員と対話をしないで、私に丸投げするのか。(私の方が給料少ないのに)

―この社員は何故働かないのにこんな高い給料もらっているのかな。(私の方が給料少ないのに)

私は、仕事中トイレとランチ以外、無駄に席も立たないし、流石に散歩もしない。彼に比べれば集中していたと思う。でも、「認められていない」と思った瞬間に、彼のように不安から不満を持たない、とは言い切れない。他でもない、私が「妖精さん」予備軍ではない、とはっきり否定できるだろうか、と思った。

では、彼が暗に発信していた通り、「会社に認められる」ことが、私が作る「世界」を幸せにする条件になるのか。

自分で自分を認めること:変える勇気と受け入れる静けさ

私は長い間、相手や会社や社会や国が、もっとこうなればいい、とか、こう変わってほしい、とずっと思っていた。

私がいやすくて、心地よく過ごせて、楽しく、生き生きと過ごせるような社会、世界。そのために、ここがこう変わってほしい、とかもっとこうなってほしい、と思っていた。

でもそう思えば思う程、上述の彼のように、不安から不満ばかりが口をついて出た。なので、上述の彼のことを私は他人事と思えなかった。

私が、悪口を直接的に言わなくても、言葉がもう少し丁寧だったとしても、「相手」や「会社」にもっとこうしてほしい、と願ったり、それが叶わず、「拗ねたり」することもあった。

そんな時に出会ったラインホルト・ニーバーの言葉:

THE SERENITY PRAYER
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.   Reinhold Niebuhr
(静寂の祈り : ああ、神よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、この二つを区別するための知恵を、どうぞ私にお与えください) ラインホルトニーバーの祈り*訳:Hatoka Nezumi

これは、19世紀アメリカの神学者だったラインホルト・ニーバーの言葉。アメリカのアルコール依存症の自助グループが使用を始め、日本でも広く、読まれている言葉だ。*なお、自助グループは宗教団体とは関係ない、と多くのグループが声明を出している。この祈りの発祥自体はプロテスタントの神学者だが、用途としては非宗教的に広く用いられている。

変えられるのは、まず自分だ。

心のどこか奥深くで、そう思えた言葉。

―もっといい就職先があったのではないか。

―もっとあの人よりもいい大学に行けたのではないか。

―もっと昇進できたのではないか。もっと会社に認められたのではないか。

―もっと、もっと、、、、

こういう視点が作る「私」の視る世界は、「不安」で色が暗くて単色だった。

―私は本当にこういう就職先に行きたかったんだろうか?何でだろうか?

―なぜ私はあの人と比べるのだろう?私はどういう大学に行きたかったのだろう?

―なぜ私は昇進したいと思うのだろう?なぜ私は会社に認められていないと思うのだろう?

―私はそもそも、本当に働きたいのだろうか?働きたくないのではないか。

こういう視点が作る「私」の視る世界は、「静謐」で、色が淡くて、複雑な配色に溢れていた。

「妖精さんリストラ計画」は、簡単な「処理」だと思う。*実際やろうと決断したり、合意を取るのは難しいかもしれないが。

でも妖精さんが生まれる背景には、会社の非効率な人材配置や、硬直的な年功序列システム、上司と部下のミスコミュニケーションから生まれる、社員の不信感から来る、モラルの低下があるのではないか、と思う。

こうした側面は、日本のイノベーション創生を遮っている原因でもあると思う。そうであれば、きっと、日本の組織は、変えられると思うし、私もまず、私の行動から変えていきたいと思う。

そして、「もっと会社に認めてほしい」、「もっとあの人がこうあってほしい」という点は、「他者は私によっては変えられない」、という静けさを持って、他の誰でもない、私が、私を静かに認めてあげたいと思う。

もう年だから、とか、自分はすぐ退職するし、という視点ではなく、この会社に入ったばかりだし、新人だし、という視点でもなく、まだまだ自分は、「決められる立場にないし」「上が何とかしてくれ」という視点でもなく。

「変えられるものを変えられる勇気と、変えられないものを受け入れる心の静けさ」を持って、自分と向き合う。これが、「会社」と向き合う準備で、「人生」と向き合う準備なのかもしれない。

from 2:14:万歳千唱

君の中のカナシミを喜ばせて 君の中のクルシミを勝ち誇らせて      なぁどうすんだよ おいどうすんだよ                  その影に隠れ震える 笑顔の手を取れるのは 君だけだろう

君の中のカナシミを喜ばせて 君の中のクルシミを勝ち誇らせて      なぁどうすんだよ おいどうすんだよ                  君の笑顔にさせてやろうぜ、万歳三唱 万歳千唱

濡れた瞳で明日を目指す意味を 僕は今でも探し続けているんだよ 旅し続けているんだよ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?