ミートソースの日
無性にミートソースを食べたくなるときがある。
わたしはパスタといえば、普段ならトマトソース。少し気分を変えたい時はサーモンやらが入っているクリームソース。次いでジェノベーゼ。
ミートソースはおいしいけれど、なんだかいつも後回し。だけど、時たま食べたくなる。
母はときどき、ミートソースのパスタを作ってくれた。
じゅわっと炒めた玉ねぎとひき肉にレトルトのミーソースを入れて、ケチャップも少々。
料理上手の母なので、こんなことをここに書いたら「なんでよりにもよってそれを書くの!」と抗議をされるような気がする。
けれど、料理上手な母だからこそ、「今日は適当にすませちゃおっか」と二人でにやにや笑って食べたこういう料理の方が記憶に残っていたりする。
一人暮らしをするようになってからも、たまに自分でミートソースパスタを作る。
恋人に振る舞ったときは、まんまと全部手作りだと騙されてくれた。愛いやつめ。
その日もわたしはいつものようにミートソースパスタを作った。
ひき肉のにくにくしい香りが、ソースを入れるとじわじわ変わっていく。冷たいソースは熱いフライパンの上でひき肉と玉ねぎと絡み合い、やがてふつふつと鳴り出す。
そうしたらもう、それは完璧なミートソースになるのだ。
つるつる茹でたてのパスタにミートソースをかけて、粉チーズをふりかける。本当はパセリをかけたらよかったけれど、あいにく切らしていた。
食べる時はゆっくり麺と絡ませる。わたしははじめに全部を混ぜるのではなく、食べながら少しずつ混ぜていくのが好きだ。
これを初めて見た恋人は「変なの〜」と目を丸くしていた。わたしは、卵かけご飯も一気に混ぜない。
後半にソースがなくなるのが嫌なので、前半は少し控えめにソースを絡めていく。
実際、配分など何も考えずに食べても問題ないくらいにはしっかり多めのミートソースをかけているので、こんなことをする必要はないかもしれない。
けれど、最後に残りすぎた多めのソースと麺を絡めて食べる瞬間がすきなのだ。
ミートソースの日は、だいたいいつも、時折やってきて暫くまた姿を眩ます。
だけど今回はすこし違った。
翌日、用事があったので珍しく外出をした。
こんなご時世、加えて会社を辞めたこともあって、人と会う時以外は外食をしなくなってしまった。
それでも久しぶりの一人での外出だし、たまにはお昼を食べてから家に帰ろうかな。
そんな風に思って目に留まったのは、誰もが知ってるあの素敵なイタリアンレストラン。
そう、サイゼリヤ。
久しく一人での外食をしていないわたしにとって、サイゼリヤは外食難易度レベルとしては初心者向けで、実にありがたい。それになにより、何故だか無性にあの味が恋しくなった。
平日の昼間にサイゼリヤに入ったことがあまりなかったので(大体は友達と夜に入って駄弁ることが多い)、これはとても驚いたのだが、サイゼリヤの平日ランチは500円。
しかも、メインの料理の他にサラダとスープがついて、だ。それでワンコインとは、一体どれだけの人がサイゼリヤに救われてきたことだろうか。わたしは日本中のサイゼリヤに救われてきた人々を想像し、感慨深い気持ちになった。
ランチメニューからメインの料理を選ぶ。
しかしわたしは選ぶまでもなく、ある料理に心惹かれていた。そう、ミートソースパスタだ。
その瞬間、脳内には二人のわたしが現れる。感覚型のわたしと、理論型のわたしだ。
脳内で、感覚型アホの子担当のわたしが叫ぶ。「ミートソースにしよう!」
すると、すかさず理論型気難し屋のわたしが抗議する。「いやいや、待てよ。ここまで来てミートソース?昨日食べたのに?」と一気にまくし立てる。
「今日はわざわざ外食してるんだよ?それなら、家で食べられないようなものを食べた方がいいって!だって、ミートソースパスタは簡単に作れるのだとちょうど昨日証明されたばかりでしょう。なにも翌日に食べなくたって……」
わたしは揺れる。たしかに、ミートソースパスタはいつでも食べられる。ここはひとつ、もっと特別っぽいものを選んだ方が良いだろう。他の料理に目を走らせる。
理論型のわたしは更に言う。
「ハンバーグは好きだけど、個人的にサイゼリヤではハンバーグよりドリアの方が好きだな。そうだ、それこそ、ドリアはどうだろう?」
半熟卵のミラノ風ドリアがわたしに微笑みかける。知っている。サイゼリヤはなんだかんだ言って結局はドリアが一番おいしいんだ。(個人の意見)
ドリアは正直、ありだ。
しかし、感覚型のわたしがみるみる落ち込んでいくのがわかった。
「でも、今日は米の気分じゃないし、ミートソースパスタが食べたい……」
脳内でしょんもり小さくなっていく感覚型のわたしを想像し、そういえばと昔のことを思い出した。
わたしはもともと、一度ハマったら何度も同じものを食べ続けるタイプだ。
幼少期は外食してもいつも同じメニューばかり注文し、「本日の日替わりメニュー」なんかには目もくれなかった。
中高一貫の母校にあった学食でも、必ずカレーうどんを食べていた。学食を利用するのは週に一度だったけれど、おそらく6年間の中でカレーうどん以外を食べたのは片手で足りるくらいだ。
大学に入って、必ず「季節限定メニュー」を楽しそうに注文する友人を見て、「そうか、せっかくなら」とその凝り性を少しずつ治していった。
毎回違うものを楽しみ、新しいものに挑戦することはとても素敵なことだ。
その認識は今でも変わらない。けれど、わたしは元来こういう人間だったことを思い出した。
「せっかく一人でランチしているのだし、たまにはいいじゃん」
脳内でそんな言葉が響いた。そうだ、たしかに。
今日くらいは、計算なしに素直に自分の好きなように好きなものを食べよう。
それがたとえ昨日と同じものでも、わたしがおいしいと思うものを食べればいいのだ。
理論型のわたしはすでにそっぽを向いていた。
二日連続のミートソースパスタは、思った通りおいしかった。
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