恋人は居眠りができない
春に念願の車を購入し、それからはどこへ行くにも車で移動している。
今は神奈川に暮らしているが、元々は東北の車社会で育ったこともあり、車のある生活はやはり自分に向いている。
久しぶりの運転なのでもちろん、細心の注意を払ってはいるが、不思議なことに自転車や鉄棒と同じで身体が覚えている部分も多い。
恋人と2人で出かける時は大体が恋人の運転だけれど、4回に1回くらいはわたしが運転を担当している。
そんな生活の中で、わたしはあることに気づいた。
それは、恋人が助手席で全く眠らないことだ。
いや、確かに運転手の横で眠るのはマナー的にはあまりよろしくない。
特に、友達と2人で出かけている時や、付き合いたてのカップルはできる限り運転手と共に起きていた方がいいだろう。(わたしはよく眠るので、実家で父親に注意されていた。)
しかし、そんな自分の気持ちとは裏腹に、抗えないほどの威力で襲いかかってくるのが睡魔というものだ。
車での移動の機会が増えれば、ついつい眠ってしまうのも世の常だろう。
例に漏れず、わたしは睡魔に惨敗し、すでに何度も助手席でしっかりと睡眠を取ってしまっている。
恋人だって、1日中動きまわった末の帰り道では「眠い」と言いながら、目を擦る。
しかしだ。眠いとは言うが、彼はなかなか眠らない。
わたしは普段自分が眠ってしまっている分、これみよがしに「寝て良いよ」と微笑むのだが、彼は眠い眠いと言いながら、結局家に着くまで起きている。
ある時不思議に思ったので、本人に聞いてみた。
「どうして寝ないの?もしかしてわたしに気を遣ってる?」と。
すると彼からは予想もしない答えが返ってきた。
「いや、眠いんだけど眠れないんだよね。気を遣ってるというか、気が抜けない」
気を遣っているわけではないが、気が抜けない。それはわたしの運転が心許ないからだろうか。
そう問うと、彼は首を横に振る。
「君の運転は確かに上手じゃないけど、そうじゃなくて、昔からそうなの。俺、バスとかでも眠れないんだよ」
これには驚いた。ところかまわず居眠りをしてしまうわたしには考えられないことだった。
さらに深く掘り下げると、彼は真顔で答えた。
「修学旅行とか学校の行事の帰りのバスって、みんな疲れて眠っちゃうじゃん。俺も疲れて眠いなぁと思うんだけど、寝れなくて結局一人だけ起きてた。あと、授業中とかもみんな結構寝てるじゃん。別に寝てもいいんだけど、なんか眠れない」
「え!?……ってことは、授業中に居眠りしたこと、ないの?」
「うん」
「プールの後の、みんな寝てる授業とかも?」
「うん」
新事実だった。あたりに(主にわたしに)異様な雰囲気が立ち込めた。
興奮気味で質問攻めするわたしに、彼は終始ポーカーフェイスである。
「どうして気が抜けないの?」
そう聞くと、これまた予想外の答え。
「だって、バスが急に横転するかもしれないじゃん。そういう時に起きていた方が、受け身が取れるだろうし。そんなことを考えていたら、いつも眠れない」
バスが横転。受け身。
彼は、日常生活ではまず起きないであろう事態に備えているというのか。
いや、でも。災難は突然降りかかるものだ。わたしのような、平和に胡座をかいた人間はきっと突然の災難に対応しきれないだろう。
あまりにスケールの大きな話に、面食らうと同時に、どこかで尊敬の念を覚えた。
でも、じゃあ、それって、
「疲れてしまわない?」
わたしが聞くと、彼は神妙な面持ちで頷く。
「うん。だから、出かけるとすごい疲れるし、その分、家ではだらけてしまうんだよね」
だよねえ、そう言うしかなかった。しかし、なるほど。これで合点がいった。
彼のたまに垣間見えるどこか神経質な部分と、一見相反する粗雑な行動は、彼の中で明確に「家の外と内」という線引きがあったのだ。
でも、確かに、わたしにとっては“たかがバスの移動”だと思っていることが彼にとっては“いつ危険が迫ってくるか分からない状態”なのだから、きっと想像以上に疲れるのだろう。
大事なシーンで居眠りをしてしまう心配がないのは特技とも言えるが、少々同情する。
「まあだから、これが行きすぎると内弁慶になっちゃうっていうデメリットがあるんだけどね」
自嘲気味に笑った彼の客観的な自己分析に感心しながらも、わたしは彼について思いを馳せた。
彼とは同じ大学に通っていたけれど、当時は行動を共にしていたわけではないので、どんな風に授業を受けていたかは知らない。
ましてや、中学高校、小学校時代の彼は、わたしにとって決して出会うことのできない存在だ。
恋人になってからは、ソファでうたたねをする彼の姿をよく見ていたし、まさかこんな一面があるとは知らなかった。
わたしは、できることならば彼の少年時代にタイムスリップしたいと思った。
そして、修学旅行の帰り道、静まり返ったバスの中で一人目を瞑らずに窓の外の景色を眺めている少年を見てみたいと思った。
彼とは出会って7年も経つが、未だに知らないことがある。
それはそれとして、わたしは、彼の眠れる場所である今の自分を誇らしく、幸いだと思ってしまった今日この頃である。
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