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おにぎりと見つめ合う時間



 わたしの母が作るおにぎりは、ゆかりやまぜこみ用のふりかけがかけられていることが多かった。
 中身はだいたい、わたしの好きなツナマヨとおかか。持たされるのは2個か3個だったけれど、全部が同じ味にならないように、冷蔵庫には常に色々な種類のふりかけが用意されていたっけ。

 恋人と同棲して間もない頃、彼は「塩むすびが一番でしょう」と誇らしげにシンプルなその白い三角形を振舞ってくれた。
 ごはんは何かしらの具がないと食べられないと思い込んでいたわたしにとって、塩むすびは衝撃的ながらも、確かにおいしかった。
 おにぎりという食べ物はそのシンプルさ故に、中身の具などのアレンジの幅が広く、各家庭でそれぞれの個性が出る食べ物だと思う。
 今回はそんなおにぎりの話をしたいと思う。

 2月の終わり、友人と外で会う約束をした。
 彼女は大学時代に同じサークルだった友人で、卒業して以来会うことは一度もなかった。
 時折、元気にやっている?などとメッセージを交わすことはあっても、会いに行くよという約束を取り付けるまでには至らなかった。
 それは、お互いの就職先が別の県だったからでもあるし、それぞれに社会人生活を必死に送っていたからそんな余裕がなかったのだとも言える。
 SNSをあまり積極的に更新しない彼女とわたしが再び会うことになったのは、わたしが彼女の住んでいる県に引っ越すことになったからだ。
 会わなかった3年の月日を思えば、あまりにも些細なきっかけかもしれないが、友達関係とは得てしてそんな些細なきっかけで始まったり終わったりするものだ。

 20代も半ばにしてなんなのだが、お互いに経済的余裕がない時期だったこともあり、近くの大きな公園でピクニックをすることにした。

「簡単な食べ物でも持ち寄ろうか」

 そんな提案をもとに、わたしはサンドイッチを、彼女はおにぎりを事前に作ることとなった。
 炭水化物オンリーだけれど、わざわざ豪勢におかずを用意するのはなんだか違うような気がして、お互いにあえてそこには突っ込まなかった。あくまで軽く、そう、ちょっとついでに持っていこうかしら、くらいの雰囲気を大切にしたかった。そういう気分だった。
 その頃、わたしの住む地域では2月でも気温が20度近い日が続いていた。

 当日、車でわたしの家まで迎えにきてくれた彼女は、大学の頃から変わらない、人好きのする笑顔を浮かべていた。
 彼女の笑顔を見ると、3年の月日など数秒のことのように思えた。
「今日、晴れてよかったよねぇ」
 そんな言葉を交わしながら、公園へ向かう。普段は歩いている道を車でどんどん進んでいく。そのうちに自分の足では行ったことのない、知らない道に出る。
 助手席の窓から見る景色に、わたしは密かに胸を躍らせた。

 公園に着き、彼女が持参してくれたアウトドア用品の数々を広げ、腰をかける。
 周りの景色を楽しむのもそこそこに、さっそくお昼にしようとそれぞれバッグからおにぎりとサンドイッチを取り出した。
 それがわたしと、彼女の作ったおにぎりとの出会いだった。

 余談であるが、わたしは「他人の作った料理」が大好物である。
 これには大きく頷く人も、反対に眉を寄せる人もいるだろうけれど、昔から友達のお弁当のおかずを1つだけ交換するのが好きだった。
 別に、わたしの母親の味に不満があったとか、そういうわけではない。
 ただ、卵焼きひとつとっても、「その家庭の味」がありありと表れるのが面白く、興味深かった。
 こんな言い方をすると勘違いされそうなので先に訂正すると、「ふむ、君の家庭の味はこんなものか」などのような分析は断じてしていない。ただシンプルに、「砂糖の入った甘いのも好き!」と、こんな具合である。

 ともあれ、そんなわたしは例に漏れず心を弾ませながら彼女の作ったおにぎりを一口頬張る。
 中の具はおかかのようだった。おかかはわたしの大好きな具だ。おいしい。それに、外で食べると倍美味しく感じるなあ。
 綻ぶ頰を隠しもせずに食べ進めて行くと、ある衝撃がわたしを襲った。

「!!!」

 これは!!!!
 目を丸くしたわたしの反応を瞬時に読み取り、彼女はふふふと不敵に笑った。

「そうそう。あえて秘密にしていたんだけどね、そのおかかの中には……」

「チーズが入ってる!」

 思わず被せてしまったほど、わたしは驚いた。
 いや、これは驚きだけではない、そう、狂喜、興奮だった。

 チーズ。チーズが入っていたのだ。
 それも、とろけたチーズではない。固形の、ころんとちいさくちぎられたチーズだった。
 何を隠そうわたしは、チーズ入りのおにぎりをこの日はじめて食べたのだった。
 しかし、むしろなぜ今まで食べたことがなかったのか。
 わたしが知らないだけで、チーズはおにぎりの具として、メジャーな立ち位置だったのではないだろうか。
 そう思うほど、おかかとチーズはよく合った。
 いや、もはや合うとか、そういう次元ではない。なんだろう、これは恐らく、しあわせの味だったのだ。

「まあ、隠すほどでもないかもしれないけど……」

 照れたように笑う彼女に、わたしはいてもたってもいられなかった。

「これは何?どうやって作るの?」
「え?普通に、よく売ってるあの、6ピース入ってる固形のチーズをちぎっていれただけだよ」

 ものすごい形相で迫るわたしに、彼女はけろっと答える。
 聞きたいのはそれだけではなかった。

「あなたは昔からこのおにぎりを食べてたの?」

 そう聞くと、彼女は、まあそうだねと頷く。
 そうか、彼女にとってこのおにぎりは日常だったのだ。
 わたしからすれば、おにぎりはおかかのみでも成立するのだから、なにもチーズを入れる必要はない。というか、おかか以外のものを入れる発想がないのだ。
 けれど彼女は違う。そこに少しの工夫を加えることができる人なのだ。
 わたしは、料理が上手な人というのは、難しいフランス料理をコースで振る舞える人のことではなく、彼女のようにちょっとした工夫で人を幸せにできる人のことを言うのだと思った。

 わたしは、彼女に「すごくおいしい。ほんとうに。すごいよ。昔から料理得意だったもんね」と言った。

 すると彼女は、目を丸くして、何をそんな大袈裟な、とでも言いたげに笑った。

「いやいや、そんな。……でも、料理は得意とかじゃないけどさ、作るのはやっぱり好きだよ。うん、そういうところはお母さん譲りだったのかなぁ」

 たとえ親が料理上手でもそれを子供が受け継ぐとは限らない。
 わたしが良い例だ。

 わたしはおにぎりのおいしさと共に、彼女自身にも感動していた。
 そうだった。彼女は、出会った時からこういう人だった。

 いつだって、ほんの些細な工夫も惜しまない人。

 友人の作ってくれたおにぎりに感動してから数日経った。
 わたしはとあるスーパーで6ピース入りのチーズを手に持っていた。
 そう、あの日のおかかチーズおにぎりを自分でも作ってみようと思ったのだ。

 ピクニックをするわけでもない。一人分の、いつもと変わらないお昼ごはん。
 けれど、どうしてもあのおにぎりを自分でも作ってみたかった。
 わたしは、あのおにぎりを食べられるというときめきに浮ついた心地で熱々のごはんを握った。
 もちろん、中にはしっかりチーズも入れた。

 おにぎりは熱々を保ったまま完成した。
 わたしは一人、リビングの真ん中でしたり顔を浮かべ、おにぎりを見つめる。
 いただきます。誰にいうでもなく、ぽつんと放たれた言葉とともに、その小さなおにぎりはわたしの口のなかに放り込まれる。

 ところが。

「あれ?」

 一口、二口、三口と食べ進めていってもわたしの期待していたあのチーズのころんとした感触は訪れなかった。
 おかしいな。なんでだろう。チーズが消えた。
 いやいや、そんなことはない。確かにわたしは、あの三角形のチーズを小さく手でちぎって入れたのだ。

 脳内に疑問符を浮かべながら、今しがたわたしにかじられたおにぎりをじっと見つめる。
 そこでわたしは、このおにぎりの重大な欠陥に気づいた。
 そう、熱い。熱々のままに握ったものだから、中でチーズが溶けてしまったのだ。
 わずかに溶けたチーズの残骸が、うっすらと目視できる。そう言われると、たしかにチーズの味はするのだ。
 でも違う。
 わたしが望んでいたのは、おかかの中からころんと顔を出すあの固形のチーズだったのだ。

 わたしはあからさまに落ち込み、がっくりと肩を落とす。

 そうか、チーズってピザ用のとろけるチーズじゃなくても、溶けるんだ……。

 考えてみれば当たり前のことだ。
 しかし、わたしの一度目のおにぎり作りは失敗に終わった。


 二度目のおにぎり作りは少し期間が空き、桜の花もすっかり散って緑が青々と芽吹き出した4月のことだった。

 前回のおにぎりに使ったチーズが6つのうちの1つだけだったので、材料には困っていない。
 しかし、溶けたチーズのあの物悲しい心地を引き摺っていたわたしはなかなか再チャレンジする気にならなかった。

 そんな折に、わたしと恋人は買ったばかりの車で出かけることになった。
 どこへ行こうか。こんなご時世だし、人の多い場所には行けないね。そんな話し合いの結果、わたし達は少し遠くの河原へ行くことになった。

「せっかくだから、お弁当ほどしっかりしたものじゃなくていいから、何か作ってくれたらうれしいな」

 いつもは料理を担当することの多い恋人からの珍しいお願いだった。
 わたしというと普段は食べる側の方が多いけれど、こういう時くらいは少しばかり良いところを見せたい。
 わたしは冷蔵庫の中に眠っているあのチーズのことを頭に思い浮かべながら、「うん、いいよ」と頷いた。

 当日の朝、いつもより少しだけ早起きをして台所に立つ。
 おにぎりを作るには不釣り合いなほどに、わたしの瞳の奥は雪辱の炎に燃えていた。
 大袈裟だと笑われるかもしれないが、それほど、わたしは前回の失敗を悔いていたし、今回こそは絶対に成功させたかった。

 しかし、前回の失敗だって落ち着いて考えれば単純なことだ。
 ただごはんが熱すぎて、チーズが溶けてしまっただけのこと。つまり、そうならない為にはチーズを入れる前に、ごはんをしっかり冷やす必要がある。

 わたしはラップの上にしゃもじから真っ白なごはんを移動させ、その上に別で作っておいたおかかをそっと乗せる。
 ここまではいいのだ。そう、問題はここから。

 手元で、今回使う分だけのチーズを小さくちぎっていく。
 そうして、ただひたすらにごはんが冷めるのを待った。

 その時、わたしは今までに体験したことのない不思議な心地に襲われた。
 
 朝のおにぎり作りは、なんとなく忙しない時間が流れている。こんな時、別のおかずを作る予定があれば、その時間に器用に他の作業を進めるのかもしれない。
 けれど、料理においてあまりにも不器用なわたしは、ただ仁王立ちしてごはんの熱が冷めるのを待つことしかできなかった。
 気合い十分のわたしと、ラップの上で平べったく寝転ぶごはんが見つめ合う。
 その姿は側から見れば少しシュールだったかもしれない。
 けれどわたしは、見つめれば見つめるほどに、この目の前の物体をなぜか愛しく思えてきたのだった。

 今回こそは成功してほしい。
 あの時の友人のように、チーズが入っていることは恋人には秘密にしよう。食べた時に、どんな顔をするのだろうか。喜んでもらえるといいのだけれど。

 そんなことに思考を巡らせていると、あっという間にごはんは常温に変わった。
 そうなればこっちのものだとわたしは得意げな気分になる。
 小さくちぎったチーズを、ごはんの中にまんべんなく散らしていく。おいしくなあれ。
 ラップごとぎゅっとごはんを固め、あとは優しく三角形に握っていく。
 成功を確信したわたしはそれはもう天にも昇る心地で、ついでに海苔を顔の形に切って貼るなどといった小粋な技を繰り出したほどだ。


 結局、わたし達は目的地の河原に着く前におなかが空いて、車内でおにぎりを食べることにした。
 恋人がおにぎりを一口、二口と食べ進め、「おっ」という顔をした瞬間、わたしはこのおにぎりが成功したことを悟った。
 その時のわたしは、あの日の友人のように「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべていたことだろう。
 そうか、あの日の友人もこんな気分だったのかもしれない。
 そして、遠い日に友人にあのおにぎりを作ってくれていたという友人のお母さんも。

 わたしは、ごはんの熱が冷めるのをじっと待つあの時間がなんだかおもしろおかしく、あれほどまでに穏やかな時間もそうないだろうと思った。
 そうか、おにぎりを作る人とおにぎりの二人だけの空間は、優しい愛に満ちているのかもしれない。

 わたしは、自分の母がおにぎりを握っていた姿をぼんやりと思い返す。
 母は、どんな風におにぎりと対峙していたっけ。

 そうだ、母は熱々のごはんをラップに包んでぎゅっと握って「あちち、あちち」とその白い球を手の中で跳ねさせていた。

 ああ、あれもあれで、愛しい姿だった。



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