メンタルの強いひと
大人になるまで、わたしはメンタルが強い方だと思っていた。
具体的な成功体験があるわけではないが、これと言った挫折もなく、嫌なことは寝たら忘れるタイプだったので、両親からも「メンタル強いよねえ」と言われていた。
所謂“自分の機嫌を取る”のも上手いし、“自己肯定感”も高めだ。
世間で「自己肯定感を高めよう」という言葉がよく聞かれるようになった頃、それはわたしにとってちょっとした誇りだった。そのうちに、「自分はメンタルが強い」と思い込んでいた節もある。
そんなわたしは、ある朝会社に行けなくなった。
何か大きな事件があって、というわけではない。小さなことがいくつも重なり、唐突に自分の心と身体がコントロールできなくなってしまっていた。
眠ったら忘れられる、切り替えられる、明日の朝にはきっとすべてが元どおりになっている。
そう祈りながら目を瞑っても、次に目を開ける瞬間にはいつも頭の中が冷え切って激しい焦燥感に襲われた。
会社を休職して復帰した後もそれはなかなか治まらず、「今日は調子がいいな」と思っても、次の日には嘘のように身体が重くなる。
なかなか安定しない心が辛かった。
わたしが自慢にしていた“自分の機嫌取り”も“自己肯定感”も吹けば飛ぶようなものだった。
そんな時、一緒に暮らす恋人のことを思った。
彼はわたしから見てもメンタルが強く、向上心の高い人だ。
わたしとは色々な面で正反対で、それゆえに尊敬する部分も多い。
彼はなぜメンタルが強いのだろうか。
もちろん、そばにいるわたしのメンタルが弱いので強くならざるを得なかったのかもしれない。
けれど、数年共にいると彼のこの芯の強さは本物だと嫌でも感じるのだ。
そう考えると不思議なことに気が付いた。
そう、彼は芯の強い人だけれど、決して“メンタルが安定している”わけではない。
切り替えが不得手で、落ち込むことがあるとこちらが不憫になるほど長い時間沈んでいる。
それはタイミングを問わず、一緒に出かけている最中や、わりと大事なシーンでも見られる。
機嫌が悪いとむすっとして、こちらが話しかけるのもはばかるほどの“話しかけないでくださいオーラ”を発するのだ。(余談だがこういう時はそっとしておくのが一番だと気づいた。)
切り替えがはやいタイプのわたしはそんな彼を難儀だなあと思っていた。
「どうしてこんなに気持ちが安定しないのだろう」とはじめての挫折に落ち込むわたしに、彼は「安定しなくたっていいじゃん」と声をかけた。
そこでわたしはふと気づく。
もしかして、メンタルの安定とメンタルの強さはイコールではないのかもしれない。
わたしはこれまで、メンタルの安定が強さに直結していると思っていた。
だからこそ、安定しない自分がいることが嫌だった。
つまり、わたしは落ち込むような出来事それ自体も嫌だったのだけれど、不安定な自分自身を責めていた部分が大きかった。
これでは、二度落ち込んでいることになる。
難儀なのは、こちらの方ではないか。
恋人は「なんなら、いつも安定している人の方が俺にとってはちょっと不思議だ」と言った。
そうか、生きているんだから、気持ちが上がったり下がったり、心が浮かばれたり沈んだりするのが当たり前なんだ。
確かに気持ちが落ち込むことは、できれば少ない方がいいし、いつもご機嫌でいられたらそれほど幸せなことはない。
けれど、自分はそうじゃなかった。本当の自分はとても不安定な人間だ。でも、それでいいのだ。それがわたしにとっての普通なのだ。
そう気づいた時、わたしはひどく救われた心地になった。
根本的な問題解決には繋がらないかもしれない。
でも、落ち込む自分を責めずにいられるだけで、だいぶ気持ちが楽になった。
そうか、なかなか気持ちが上向きにならなくても、落ち込むことそれ自体は必死に生きようとしている証なのかもしれない。
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