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2021/07/30 「週刊文春」が報じた幻の五輪開会式案を読む

漫画『AKIRA』の主人公の赤いバイクが、風を切って新国立競技場へ走り、tテクノポップが響く中、Perfumeが円筒形の舞台の上で踊り出す―。木の根が巨木へ変化し、空へ向かうイメージ、茶室のフレームに合わせて躍るダンサー、鳩をかたどった無数の紙飛行機。

上記は、「週刊文春」8月5日号が報じた「幻」の開会式演出プランの全貌である。最高にクールで、イラストや記事を読むだけでワクワクした。と同時に、実際に開かれたちぐはぐな演出プランを思い出し、たまらなく悲しい気持ちになった。もしかしたら、追悼のダンスを披露した森山未來以外にも、沢山のダンサーが登場し、日本のダンスの粋を世界へ発信できたかもしれなかったのに。

文春によると、上記のプランは、2019年6月に演出責任者に起用されたMIKIKO氏のチームが考案した。ところが、20年5月に電通代表取締役らによって、MIKIKO氏らは外された。その理由は、過去の文春や他の媒体の報道をネットで調べてみても、判然としなかった。

コロナで縮小・簡素化が必要となった事情は分かるが、それなら、演出プランを「リサイズ」するように依頼すれば済む話ではなかったのか。なぜ、女性侮辱演出で辞任した電通のCMクリエイター佐々木宏氏らが、裏で別のプランを練り、MIKIKO氏が辞任する事態になったのか。

結局のところ、開会式演出プランは、小池百合子都知事が推した火消しと木遣り、森喜朗・組織委前会長の推す市川海老蔵氏など「政治案件」が、全体のストーリーを無視して、押し込まれたものだったのだ。そうした舞台裏を知れば、なぜ、あの開会式が全体のまとまりを欠き、中途半端な代物になってしまったかがよく分かった。

「政治案件」が開会式演出に持ち込まれた事例は、何も東京五輪だけではないだろう。開催国が共産圏の場合、開会式そのものが国威発揚の場だ。

今回、問題だと思うのは、持ち込まれた「政治案件」を、巧妙にかわしたり、取り込んだりしながらも、全体のストーリーを成立される力量を持つ人材や考え方が存在しなかった点である。どこかの新聞記事で、日本の文化芸術が、商業広告や権威の「添え物」だった証左だという、ある識者のコメントを目にした。全くその通りの指摘で、頭をうなだれるしかない。

私は、文句なしに娯楽として楽しい商業演劇などを否定しない。実験性や前衛的、反政府的な要素を含めば良しとする一部批評家の見方に違和感も覚えてきた。すべてのジャンルの舞台作品を先入観なしに観て、純粋に批評したいと思ってきた。ただ、今回の一件をみて、反省とともに、文化芸術の自立性にも目を配らなくてはいけないという思いを強くしている。

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