果てのメディア

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「人間らしさを味方に」をテーマに、時代を超え“変わらないもの”に未来へのヒントを見つけるためのリサーチマガジン。 ▶︎https://www.instagram.com/hateno_media ▶︎hatenomedia@gmail.com

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  • ポエトリーマガジン

    写真と言葉で伝えるポエトリーをご紹介していきます。

  • 読みもの系記事

    読みもの系記事。第1回目の人物インタビューは、脳科学者・茂木健一郎さん。

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なぜ私たちは茂木健一郎さんと京都の街を走ったか?!

どうして私たちは茂木さんと走っているのか? 「ついてきてる?大丈夫〜?」 茂木さんの呼びかけもむなしく、どんどん距離が離れていく。 それにしても、茂木さんの走るフォームが想像より美しい気がする。何かに似て····あ、まるでウサギのような躍動感か! 「たいへんだぞ〜!急がないと遅れちゃう!」 『不思議の国のアリス』に登場する白ウサギは、いつも急いでいたけれど。そもそもアリスを不思議の国へ連れていったのは白ウサギだから、茂木さんって白ウサギみたいなもの?! 芋づる式

    • びわ湖の中から見上げる世界。素潜りカメラマンにインタビュー

      【びわ湖の中から見上げる世界】 宇宙に漂っているような不思議な写真。 じつはこれびわ湖に潜って見上げた景色でした。 ある日、Instagramで偶然みかけた 宇宙のようなびわ湖の世界。 誰がどうやって撮っているのか? 素朴な疑問を胸に、”潜りカメラマン”こと 伊藤哲也さんにお話を聞いてきました! 無音の世界で見えるものまずは伊藤さんのInstagramアカウントから、 びわ湖に潜って見える世界をご紹介します。 水中にゆらゆらと揺れる水草を見上げて。 普段ではみるこ

      • 果てのメディアとは?

        たとば、地上から5cm浮いた場所にあるような「果てを見つめる視点」を持った人、もの、場所など、さまざまな情報を紹介していきたいと考えています。果てを見つめることは「人間らしさ」を考えることにもつながっていく。果てのメディアは、人間らしさを味方に、時代を超え“変わらないもの”に未来へのヒントを見つけるためのリサーチマガジンです。 (果てのメディア編集長 亀口美穂)

        • アから始まる

          視線を変えて、 広い場所に心を向けて。 いまにいながら、旅をする。 かたちを持たないイメージは、 泡のように消えていくけれど。 わたしがそれを「ア」と名づければ、 ここにカタチが生まれていく。 text&photo by Miho Kameguchi

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          【延暦寺特集:後編】延暦寺の住職・星野最宥さんに”心を調える”あれこれ、お聞きしました!

          前回の坐禅体験では、心の浮き沈みを止めて考えない瞑想時間の心地よさを知ることができました。後編では、延暦寺の住職・星野最宥(さいゆう)さんに“心を調える”ための、ちょっとしたコツやテクニックなど、あれこれとお話をお聞きしてきました!聞き手は、果てのメディア編集長の亀口がつとめます。 ”場所や環境”も心のよりどころ 亀口:今日はどうぞよろしくお願いします。 星野:はい、よろしくお願いします。坐禅体験はいかがでしたか? 亀口:1時間と聞いていたので長いかなと思ったんですが

          【延暦寺特集:後編】延暦寺の住職・星野最宥さんに”心を調える”あれこれ、お聞きしました!

          【延暦寺特集:前編】"考えない"瞑想時間を日常に。比叡山延暦寺で坐禅体験してきました!

          静寂の中で、ロウソクの灯りだけが揺れている。いま、誰かが廊下を歩いていったような、いま鳥のさえずりが聞こえたような、いま……いま。無音の空間で坐禅をするいま、聴覚が研ぎ澄まされていく。 なぜなんだろう?でも、なぜ?なぜ?なぜって何を、そうだ。考えることを止めなければ。ああ、でも、この坐禅が終わったあとに……。そういえばメッセージへの返信を帰ってから……あ、いや、いまは。 考えないから「今」が見えてくる 比叡山延暦寺の坐禅を体験してみようと思い立ったのは、こんな感じで、

          【延暦寺特集:前編】"考えない"瞑想時間を日常に。比叡山延暦寺で坐禅体験してきました!

          なぜ人は、きれいな風景を見ると感動してしまうんだろう(後編)

          なぜ風景は人を感動させるのでしょうか?じつは、人の営みが途切れることなく、無事に続いてきたからこそ、人はその風景に感動するし、風景は美しくあり続けることができるのだと言います。 前回のインタビューでは「人と風景はシンクロする」「山を見ていると山の気持ちになる?!」などなど、風景に感動する理由をお聞きしました。 今回も引き続き、滋賀県立大学 地域共生センター講師で風土に根ざした暮らしと文化を研究する上田洋平先生にご登場いただき、お話を伺います。聞き手は私、果てのメディア編集

          なぜ人は、きれいな風景を見ると感動してしまうんだろう(後編)

          なぜ人は、きれいな風景を見ると感動してしまうんだろう(前編)

          青い空と新緑の緑、風に揺れる稲穂と水の波紋。なぜ美しい風景は、人を感動させるのだろう?Facebookやinstagram、いわゆるSNSの投稿では、距離の近い情報が目について、そのたびにざわざわしたり…。 日常の情報がたくさん入ってくると、見る側の心は揺れ動いて疲れがち。 でも、そこに美しい風景がすーっと流れてくるだけで、日常から少し心が浮遊して、なんだか落ち着いた気分になりませんか?心が宇宙のスケールにちょっとつながるような、おおらかな気持ちになっていくというか。

          なぜ人は、きれいな風景を見ると感動してしまうんだろう(前編)

          私は自然の一部にはなりたくなかった

          ここから遠く、存在が小さくなるまで。 離れてしまえば、無感動で 離れてしまえば、気配さえもなかった。 静寂の世界で、誰にもじゃまされず 心を動かすこともない。 きっと、もう傷付きたくはなかったのだ。 ・ だけど離れた場所で、ただ傍観していると 遠くに見える世界は、止まってみえた。 街の喧騒も、誰かの笑い声も 無意味なおしゃべりと、 それを繋ぎ止める相づちも。 ・ 何も聞こえない無音の今を、 ここで、ただじっと見つめている。 気がつけば身体の輪郭は巨大に広がって、 やがて透明に

          私は自然の一部にはなりたくなかった

          深淵の光のライン

          体はここにいながら 考えては消えて 考えては中断し 結局は、曖昧なままで 結論には至らない。 目には見えず カタチにもならず それならそれは ないも同じと言いながら。 やがて積もった思考の残像は 抽象的な線を描き 行くべき方向へと続いていく。 それは目にはみえず 暗闇の中でこそ光ると知る。 深淵に潜る思考の中に 光のラインが浮かび上がる その時を待つ。 photo by @takahiro_bessho text by Miho Kameguchi

          深淵の光のライン

          いないものと、いるもの

          かつてそこにあった気配が いまでもそこに残っている。 いないものと、いるものが、 同じ場所で生きている。 目に見えないものは、 ゼロではない。それは、 気づかぬところでなぐさめて、 気づかぬところで励まして、 いないものと、いるものが いつも味方でいてくれた。 わたしが決めたことは、 わたしだけが決めたのではない。 顔を上げて見渡すと、 いないものと、いるものが わたしの前と後ろに広がっていた。 わたしはふりこのように、 その真ん中に立って、 わたしが決めた!と叫んでい

          いないものと、いるもの

          孔雀の見つめる先

          つくられたものではなく、 そのままで美しい。 生きている緊張感を みなぎらせているから。 何かに集中している姿って、 体ぜんぶに「意志」がみなぎっている時。 完成させる、負けない、やり遂げる、失敗したくない。 いろんなモヤモヤをぜんぶ取っ払った先に、 きっと何かがみえるのかな? まずは、モヤモヤを消し去るためにも、 何度も何度も積み重ねていって、 もう自動的に体が動いてしまうぐらいになったら、 こんどは新しい世界が待っていたりするのかも。 photo by Michiko

          孔雀の見つめる先