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死ぬまでの暇つぶし

生き急いでいると言われる。

せかせか生きて、次から次へと意味不明な行動を起こす僕に嫌気が差して離れていく人は、最近増えた。


人間関係がミニマムになっていく。


いっそのこと、数人の共感者と、熱狂できるこのnoteアカウント、あとは我を忘れられる書物さえあれば、十分生きていける気がする。


生き急ぐ理由は単純明快。


死の睡り以外の休息を願わない

から。


自分が他の人と少し違うかもしれないと気づいたのは、もう小学生低学年の時から。

死ぬ直前の神風特攻隊を送り出す、飛行機の整備士をしていた爺ちゃんから、嫌と言うほど死の話を聞かされていた。


その時、

何にも熱狂できない生き方を選んだ時、死の瞬間に凄まじい虚無と孤独に襲われるんじゃないか


という感覚を植え付けられた。


その感覚が、歳を取るにつれて膨れ上がっていく。


だから、死の恐怖から逃げるように、いつも何かに取り憑かれてきた。



小学生の時は、剣道にのめり込んだ。

中学3年間はバスケ。

高校2年から文系数学にハマった。

大学生前半はチャイナエステに。後半は、限られた時間を捌くというゲームに、もっぱらのリソースを割いた。

今は、読書と、このnoteで自分の感情を吐き出すことに。



何かに熱狂している間は、死の恐怖を忘れることができた。



今日この時間まで僕の時間は一瞬で、暇だなと感じる時間には決まって死がよぎるから、忘れようと他のことを探して疾走してきた。



だから、一日中携帯を見ながら「暇だ暇だ」と言ってゴロゴロしてる人を、到底理解できそうにない。


僕がそんな生活をしてしまったら、「死」という魔物に背後から刺殺されてしまうのだ。



幼少期に死の概念を歪曲して植え付けられてから、立ち止まることができなくなった。止まれば何者かに追い付かれる。



僕のせっかちな生き方は、残念ながらこれからも続く。



また近々、すぐに熱狂できるものを見つけると思う。


これまで通り、寝るのも食べることも忘れられそうな生活が、死ぬまで永遠に続いていこうとしてる。



とは言っても、本人である僕は最高に楽しいとか思っているから、どんな批判も聞き入れず走っていく。



そんな時、一人や二人だけでいい。せめて共感できる人がいてくれたらいいのに。




一回限りの人生で、何もかもやり切って死んでやろう。そう思っている。


♪SEKAI NO OWARI「サザンカ」


いつも読んでいただきありがとうございます!