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素数31が、32より硬く、大きく見える話〜数学に熱狂した高校生すやきの迷惑な感性〜

土曜日の夜24時。この時間はいつも氷結を飲みながらなんとなく昔のことを思い返している。


どういうわけか、僕には数字が質量を持って見える、というより感じるのだ。


数字に色が見えるという人はいるけど、そんなカリスマ的感性からは程遠いところにいる。

迷惑な感性を持ち合わせてしまったのだよ。1から100まで、順々に大きくなっていくはずの数字の大小関係の秩序が、僕の中で崩壊した。


高校二年生の時のお話だ。


文系クラスに進学したんだけど、ひょんなことから苦手だった数学にどハマりするようになった。


苦手を克服するために本腰を入れた数学が、趣味に変わり始めようとしていた頃だ。


整数という概念が好きになり、受かるはずもない京大や一橋大の整数問題を何十年も解き漁った。


そこで気付いたんだ。


1と自分自身以外で割り切れない数字「素数」ってなんてステキなんだ。


二桁の数字の範囲なら、例えば7や11や19や97。

これらは1と自分自身(7、11、19、97)以外に約数を持たない。

素数で最も小さい数字は2だ。


僕の中で2という数字は特別だ。2はいつも「硬いナタデココ」に例える。
透明な立方体で、これで一つの単位だ。

つまり、8なんて、ナタデココである2が4つ集まってできた寄せ集めの数字だ。イメージとして、8という数字に2というナタデココをぶん投げると、8は4つのナタデココにバラバラになるということだ。


64もそう。64という一見大きそうな数字に向かってナタデココ2を、そらいけー!とぶん投げる。するとこんなに大きそうな64が、32個のナタデココにバラバラに崩れてしまうのだ。


対して素数という数字は、ナタデココ2をぶん投げても、2では割り切れないから跳ね返って帰ってきてしまうのだ。素数は自分と同じ数字以外には絶対に割り切れない丈夫な存在。


素数19にナタデココをぶん投げてもカチーンと鈍い音を立てて、びくともせずにずっしりとたたずんでいる。素数19は、同じ大きさの19をもってでしか砕くことができないのだ。


僕が一番好きな素数がある。

31だ。32よりも硬くおおきいから。

31君は、外から見ればお隣さんの32さんより小さく見える。そりゃそうだな。


しかし32さんはなんとも脆いんだ。

たかが小粒のナタデココごときによって、16このナタデココにバラバラにされ、原形を失って地面に散らかってるのだ。31君は32さんのお隣さんでありながら、31君という同じ質感の存在が現れない限り、原型のまま静かにたたずんでいる。


僕が31君を好きなのは、

31君が、「32さんよりは小さいじゃん」と外観的には解釈されつつも、31君自身は32さんよりも遥かに強いことを信じていること、それを主張せずにただ静かに謙虚にたたずんでいることだ。




多分高校二年生の僕は、31精神に近いようなものを持っていたのかもしれない。
勉強で負けたくないライバルがいた。彼はいつも僕の前を走り、僕はちっとも実力で追いつけないことに悩み、悔しさでノイローゼになったほどだ。

そんなときほど、砂漠でオアシスを探すように、どうしたら彼を追い抜けるか、貪欲に調べ尽くし全力で走っていた。


いつか認められる日を夢見て、周りが見えなくなるほど没頭したあの高校生の日々は、公認会計士試験に合格した日以来、残念ながら今には存在しない。


歳をとればとるほど、あの頃の精神状態が恋しくなる。


何か没頭できるものを見つけたらあの新鮮な感じを取り戻せるだろうかな。


これからの僕。社会や監査法人という組織にぶら下がっている限り、極上の獲物の隙を狙って必死に追いかけるような、刺激的で享楽的”31君”に巡り合うことは絶対にないのだ。



その焦燥感だけが、5月になってからより一層激しく僕を追いかけている、そんな気がしている。















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