「普通の幸せ」と聞くと、あまり聞こえは良くないようにも思う。 「普通の」だから。 でも「普通の幸せ」を感じる状態ってなかなか難しい。 まず、心の状態に余裕がなければ幸せを感じられない。 そして、1人では感じられない。 1人は身軽で自分の行きたいところやしたいことができて、人の衝突もなくて、自分と向き合い続ける。 自分がしたいことができているなら幸せかもしれない。 でも幸せでしかない。 相手と衝突をして、感情が動いて、考えて迷って、その先に「普通の幸せ」があるのだと思う。
どんなに自分のことが嫌いになっても、 自分が自分を見捨てることはできなくて、 一生一緒にいなければいけなくて、 だからこそのびのびと生きてほしいし、 優しい人であってほしい、 今の自分は嘘でまみれた ちゃらんぽらんな自分、 自分で自分を育てなきゃ。
わたしは アプリに依存をしていた、している。 よく言えば夢想家、端的に言うと妄想家。 アプリは妄想を広げるためのタネみたいなものだった。 衣食住にまつわることが好きで、日常を尊み大事に生きたいと強く願っているからこそ、こうことを一緒にしたら楽しいんだろうな、こんな暮らしがしたい、妄想が広がる。 そして相手に勝手に期待する。今度こそ自分に合った素敵な人なのではと。 妄想が広がるにつれて期待値は高くなり、もう何が何だかよくわからない。 あーこの人は違うなと思うばかりで、目
思考が止まった。 自分がどのように頭を使って、考えて行動してきたのかがわからなくなる感覚に陥った。 なぜ人は働くのか、何のために働くのか、どうして愛を求めるのか、愛とは何なのか。 人はなぜ生きるのか。 なぜなぜなぜ どうしてどうしてどうして 答えのない、無限のループ。 死にたいとは思わないけど、生きたくもない。 無気力というよりも思考の仕方がわからなくなって、ずっと何かに絡まっている感覚がしばらく続いた。 頑張れる源がないから頑張れないのか。 忍耐力がない自分がいけな
4月に入社して8ヶ月。 私は会社を辞めることになりそうだ。 想像以上に会社の成長スピードが遅すぎた。どんどん失速している。 その逆を行くかのように、自分の成長したい欲はどんどん大きくなっている。 今の会社に対して、大きな視点でしか見れていなかったように思う。 もう少し視界を狭くして会社を見るべきだった。 入社してからずっと、「自分はここにいていいのか」「なぜここにいるのだろう」「自分に何ができているのだろう」ともやもやを抱えながら生きていた。 この8ヶ月間で何ができたかと
どんなにかわいくて一緒にいて大切に思っていても、憎くてしょうがなくなるときがある。 そういう感情が生まれると、自分はなんて最低な人間になんだと思って泣きたくなる。 逃げ出したくなる。 自分も生ものなんだよなあ。
一日たっても消化しきれない感覚がある。なんだか体の中にへばりついている感じがる。ここまで映画に飲み込まれる感覚は久しぶり。 劇中での会話が、自分のこれまでの何かと結び付けられて、主観的な視点でしか映画を見ることができなかった。 特に印象的だったのは、喧嘩のシーン。 男は冷静で論理的に話して相手のことを考えて優しく改善の余地を探している風にしていて、 一方で女は感情で話をしすぎて言ってることが矛盾してきて、最終的には男の言っていることに丸め込まれてしまうところ。 丸め込まれ
4月1日から新社会人になって1ヶ月だたった。 あっという間だったといえばあっという間であったが、 焦らしい時間もなくはなかった、いやむしろ多かった、 だから、あっという間だったと言い切れる訳ではない。そんな1ヶ月だった。 「社会人」と聞くと、大人だなあ、責任持ってやらないと ワードだけで肩に力が入っていたような気がする。 就業時間が正確に決まっている訳でもなく、 毎日同じ業務をする訳ではないので、 手持ち無沙汰になるときが多い。 明確な指示がある方が少ないので、 上司が
昔の恋人と最後にデートしたときに食べたプリン。 店内はこじんまりとしていて、カウンター席で並んで座った。 私はこのプリンが食べたくてここのカフェに行きたいと思ったのだけれど、 彼は「特に食べたいものないな〜」と言いながらメニューを見ていた。 プリンは固めで美味しかった。彼は結局何を食べたのかは思い出せないが、 一口食べる?と言って味を共有した記憶がない。 彼の前でハンバーガーを食べると思うと緊張して食べたくなかった。 彼の前でクレープを食べると思うと緊張して食べたくなか
犬の散歩をしに外に出てみると、少し春っぽい空気を感じた。 季節の変わり目を空気で感じるとすごく幸せな気持ちになる。 明日の服装を考えるときに、お天気アプリを開いて、この服装がいいかなとコーデを組む。 でも、大体やっぱ暑かったなとか、薄着すぎたなとか外れてしまうことが多い。 季節の変わり目を肌で感じることはあるのに、毎日の気温を肌で感じることはほとんどない気がしている。 この気温のときはこのくらいの重ね着がいいなと判断していくと、自分自身の感覚で判断する 積み重ねていくと
先日、舞台「だからビリーは東京で」を見てきた。 舞台を見るとなると、大体が出演している俳優さん目当てで行くことが多いが、今回はテーマに魅力を感じてチケットを取った。 劇中で何度か口にされていたフレーズ 「教えてほしい、自分がどこに向かえばいいのか、何をすればいいのか」 作品を観ているときはそこまで頭に残る印象はなかったが、 観終わってみると、ここ数年で引っかかっていた気持ちを言葉にしたのがこのフレーズだったのか。と気がついた。 自分が何をしたらいいのかわからないと、
さびしい、むなしいという感情が今から湧き出る。 感情が生まれる瞬間がわかるようになった。 急に泣きたい気持ちになって、一気に気持ちが下がる。 テレビの取材でまちかどインタビューを受けている若い夫婦。 恋人の同じ時間を共有できている幸せを知らせてくるSNS。 この人たちは、さびしいむなしいと感じることはないのだろうか。 あったとしても、その感情は愛に変わる。 自分の感情は愛に変わることはなく、不安に変わる。 これまでの自分はヤリモクなんてあり得ない! そういう行為は付き合