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悩み苦しむ時間に意味があると思いたい

一日たっても消化しきれない感覚がある。なんだか体の中にへばりついている感じがる。ここまで映画に飲み込まれる感覚は久しぶり。



劇中での会話が、自分のこれまでの何かと結び付けられて、主観的な視点でしか映画を見ることができなかった。

特に印象的だったのは、喧嘩のシーン。
男は冷静で論理的に話して相手のことを考えて優しく改善の余地を探している風にしていて、
一方で女は感情で話をしすぎて言ってることが矛盾してきて、最終的には男の言っていることに丸め込まれてしまうところ。
丸め込まれて泣くことしかできない彼女を見て、かつての自分を思い出した。
丸め込まれている自分に嫌気が差していた時期もあったし、
対等に話せない自分への頭の回転の遅さにも嫌になっていた時もあった。
自分がもう少し賢かったら、対等に話せていたら、幸せと呼ばれる時間が過ごせたのかもしれないと思う。

感情的になったり、自分に嫌気が差したり、「何を」持って恋愛をするのか。
そもそも恋愛は「何を」なんて考えるものではないのか。
恋愛は感覚や本能でするものなのか。
そんな簡潔にまとめられても困る。
第一、恋愛の過程では感覚や本能は許されないときがある。

恋愛なんて愚痴ばかりだ。
そんな愚痴も好きという感情があれば、愚痴はどこかへ消える。
いつになっても恋愛はわからない。きっとこれからもわからない。
でも、こうやって考える悩む苦しむ時間に意味があると思いたい。



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