見出し画像

鮮魚街道七里半[三巡目]#4最終回

-利根川から江戸川まで-

 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅の三巡目。

 五香(松戸市)→ 納屋川岸(松戸市)

 二〇二三年一月一日  元旦。
 11時半ごろ新京成線北習志野駅でふわりと家族から解放された。
 叔母の家に新年の挨拶に行かなくてもよくなったからだ。来てもいいけど来なくてもいいらしい。どっちでもいいなら行かない。嫁と娘は、このまま義妹と合流して実家のある鴻巣に行くという。正月早々突然訪れたこの二日連続のフリーダムに私は小躍りし、迷わず鮮魚街道の撮影に行こうと決意した。

 今日こそ三巡目のゴールラインを踏もう。

 そしてこれで一旦鮮魚街道の撮影は終わりにするつもりだ。だが、安心してほしい。鮮魚の旅はこれで終わった訳ではない。次回からはその先の水路を辿り、鮮魚の最終目的地である日本橋まで足を伸ばそうと思う。もう飽きた、つまらない、面倒だと思ってもやり続けると新しい道が拓けてくる。これも三巡回らないと思いもつかなかった。継続こそが可能性なのだ。

 なので、ラストランは丁寧に、そして忠実に鮮魚街道を歩こうと思う。

 新京成線五香駅を降りた。ここで駅ナカの珈琲屋には寄らず、鮮魚街道に向かう。すでに昼過ぎである。ここから陽は傾き、あと数時間経てば夕暮れに変わるだろう。写真どころではなくなるはずだ。なぜなら陽も落ちるとシュワシュワなお酒を求めて喉がシュワシュワに渇くからだ。

 まずは駅のロータリー正面から一本左側の筋を入る。この道から鮮魚街道の再スタートだ。
 コロナの影響だろうか、元旦とはいえどこの店も開いていないので街に人がいない。澄み切った冷たい冬の空気だけが頬をくすぐる。いつもは開きっぱなしのヨークマートの裏口もシャッターが閉められ、その前には空の番重が重なっている。

 こんなふうに昔はお年玉をもらってもデパートなんて営業してなくて、お金を使えるような店はセブンイレブンだけだった。そこで無理やりビッグワンガムや食べたくもないお菓子をとりあえず買って無駄使いをした記憶が蘇る。本来あった元旦の姿が戻ってきている気がしないでもない。
 レトロな模型屋の前を通るとライトグリーンのモトクロスバイクが正面からドロロロとやって来て店の前で停まった。もちろん模型屋も正月休みだが、その謹賀新年的な貼り紙を見るなり彼は分かりやすく舌打ちし、Uターンして帰っていった。
 〝長い正月休みを利用してラジコンを組み立てていたがどうしても必要なパーツが無いので試しに来てみたらやっぱり休みだったが満載の背中だった。
 ラジコンといえば三〇過ぎてハマったことがある。小学生の時に買ってもらえなかったリベンジである。フォードフォーカスを一日ぶっ通しで作り続けて真夜中に完成したのだが、どうしても部屋の中で走らせたくてスロットルを回したらモーターが逆に付いていたのか結構なスピードでバックスピンをして股間にぶつかり悶絶した痛い思い出だ。まぁいい。

 この先右側は畑、左側は住宅地が続く。常盤平の辺りまでだろうか。人もいないし、写真も撮らず、とてものんびりとした散歩になってしまった。
 慎重にグーグルマップを確認しながら街道を歩くと、八柱駅の手前で正規のルートを初めて歩くことがわかった。今までは道を間違って進んでいたのだ。この道は私が高校生の時にアルバイトをしていたイトーヨーカドーの裏を通っていた。

 あの時の私はレジ打ちのお姉さんに人気があったような気がした。気がしただけである。加工食品売り場に配属されて、暮れには臨時でレジ打ちのヘルプもさせられたのだ。そこで色々と個人的なことを聞いてくる茶髪でソバージュのお姉さんがいたのだが、顔が思い出せない。確か仔犬みたいに可愛かったはずだが思い出すと顔だけのっぺらぼうになっている。なにせ三五年も前のことだ。のっぺらぼうの顔を谷村有美に置き換えた。本当は有森也実と迷ったが、そこまで可愛くなかった気がしたので谷村有美にしたのだ。

 人間の記憶というのは便利である。

 みのり台駅を過ぎたあたりでそろそろ茶でもしばいて小休止したいと思ったが、やはり、正月早々に開いている珈琲屋はなかった。工業団地の真ん中にあるマンションの敷地内の公園のベンチに座り、行き交う人々を見ながら小休止した。こういうひと休みが、後から効いてくることを私は三巡目でようやく知った。


 あと、三巡目で知ったことといえば、私は最初に五〇㍉レンズを付けると違和感なく使い続けるのに、三五㍉レンズを付けて撮影をスタートすると五〇㍉に付け替えてもまたすぐに三五㍉に戻したくなる習性があることがわかった。
 ようするにものぐさだということと、画角の視点をすぐに切り替えられないということ。
そして今回はコシナのツァイスレンズ2本を持ってきた。三五㍉はビオゴンのF2.8で五〇㍉はプラナーF2.8だ。面白味のないレンズの布陣だが、安定感は抜群である。

 卸売市場を右手に見下ろしながら和名ヶ谷の高台を歩くと、遠くに円盤を乗っけたような象徴的な建物が見えてくる。松戸駅にある旧伊勢丹だ。いよいよ鮮魚街道も終わりに近づくのだ。
 国道6号線を渡り、千葉大園芸部の敷地をぐるりと迂回する。足の疲れもかなり慣れてきた。JR常磐線の線路を越えたら今回は江戸川を平行している鮮魚街道を歩かずに土手まで一気に登った。


 初詣帰りなのだろうか、川沿いの歩道は散歩客でごった返していた。ゴールの納屋川岸の黒塀を注意深く探しながらゆっくりと歩く。
 自然と目には江戸時代の賑わう川岸の様子が写ってくる。ネットで見た江戸時代の鳥瞰図やら模型が頭の中に刷り込まれているからだろう。
 ゴールの納屋川岸を見つけたので土手を降りた。普段は見向きもされない納屋川岸の解説を熱心に読んでいる家族がいた。

 その脇をするりと通り抜けて一応ゴールだが、私はその先のラーメン屋に行く奪われた暗闇の中にとまどいながら。いやいやまさか正月から営業しているワケはないと思いながらもしれーっと前を通ると店は開いていた。

 実は柏にある本店は幾度となく訪れているが、松戸店は初めてである。二〇二一年にオープンしたのだが、なかなか行けなかった。柏店はそりゃ駅から離れているので、松戸店のオープンでぐっと身近になったのだ。店に入るとラッキーなことにガラガラだった。券売機でラーメン(中)を購入し、着丼を待っていると続々と客が入り、瞬く間にほぼ満卓となった。私のすぐ横に赤ちゃんをおんぶした女性が座る。おんぶしたまんまだ。わかりみが強い。子供ができるとなかなかこういう本格的なラーメン屋はハードルが高い。いつもはフードコートに入っているラーメン屋を利用されているんだろうけど、正月くらいいいよね。私はそっと祈った。どうぞ彼女がラーメンを食べ終わるまで赤ちゃんが泣きませんように。彼女が最後の麺一本まで誰にも気兼ねなく食べれますように。

 

着丼!


 なんなら柏の本店より美味く感じるぐらいだ。この味を欲していた。ラードにより蓋をされた熱い熱いスープ。強めの煮干し臭。柔めで中太の草村麺。メンマ、ネギ、ついでに置いてある焼豚。これら全てが調和し、絶妙なバランスの上で活きている。まさしくキングオブ中華そばだ。
 そして、私が食べている間に店主は暖簾を下げてしまった。今日は一五時までの営業のようだ。今は一四時四〇分。ギリセーフ。新年早々こんな些細なことで運を使ってしまった。
 腹を煮干しスープで満たし、店を出た。げっぷの煮干し臭さえも愛おしい。今、のら猫に出会ったら執拗にストーキングされるだろう。

 のら猫には残念だが、私はまだ家には帰らない。なにせ二日連続のフリーダム強化期間である。このまま腹を摩りながらおめおめと帰るわけにはいかないのだ。だがしかし、だがしかしだ、今は正月である。営業している店は少ない。予め検索していた立ち飲み屋「ほていちゃん松戸店」に立ち寄る。本当は勇気を出して憧れのセルフ居酒屋「大都会」に行きたかった。地下へと続くダンジョンのような階段を見て諦めた。残りのHPも手持ちのやくそうも少ないからだ。なのでガラス張りのドアで奥まで見渡せる1階の「ほていちゃん」のドアをガラガラと開けて入店した。

 正月は他に選択肢も少ないので、結構な混みようだった。家族連れまでいる。ここで酎ハイと塩こんぶピーマンを注文。後半から完全に食レポになってしまったが、趣味のスナップ写真を楽しんだあと酎ハイをペロペロと舐めながら撮影メモを取る。我、今日ココニ完成セリ。最高の年始ではないだろうか。そして最高の「鮮魚街道」ティロ・フィナーレである。

 三巡目の松戸を最後に鮮魚街道の旅をさらに先へと延伸しよう。
 鮮魚は松戸の納屋川岸で陸路から水路へ、馬車から舟へ積み替えられ日本橋の魚河岸まで運ばれる。ならば私も鮮魚と同じく江戸川を下り、新川、小名木川、日本橋川と運河沿い「塩の道」を進み、昔あった日本橋の魚河岸まで歩いてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?