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銚子街道十九里#7

小見川から下総橘まで

 利根川土手に登り、東に歩き出した。
 布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って、布佐から銚子まで下ろうと思う。つまり、ここから利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)と呼ぶらしい。
 布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。

    *

 2月下旬。
 8時に家を出た。
 前日は冷たい雨の中、家族でディズニーランドに行った。降りしきる雨に震えながら行列に並んでいると嫁は私に優しい言葉をかけてくれた「明日はひとりで撮影に行ってもいいよ」と。
 途端に元氣がみなぎってきた。が、元氣のみなぎりは悟られないようにする。もしも少しでも元氣を見せたなら、この話し自体が消滅するからである。
 21時に帰宅。すぐさま明日の撮影行の準備をした。嫁に明日8時20分に家を出ることを告げると驚いていた。目を閉じると秒で落ちた。そして7時に自然に目が覚めた。なんなら目覚まし時計より先に起きた。

 今なら早起きゴルファーの気持ちがわかるかもしれない。

 天気は昼過ぎから下り坂。気温は13℃まで上がるらしい。
 出かける仕度は済んでいるので、着替えだけ先に済ませると娘が美女と野獣に出てくるヒロインの真っ黄色のドレスのまま起きてきた。昨日、ディズニーランドから帰ってきて、眠たくて私に八つ当たりをしてからバタンキューしたのだが、そんな事は一切覚えていません状態だった。〝パパスキスキ出かけちゃイヤイヤ状態〟になる前に家を出た。予定より20分も早いがしかたがない。

 地元駅までの道すがら、空を見上げると天気は非常に良い。いよいよ桜も開花なのか。ただ、気をつけなくてはならいのは、天気予報は15時頃から下り坂である。
 京成津田沼駅で京成線に乗り換えると電車は旅行客でパンパンだった。乗客はおもにスーツケースを傍らに置いた外国人なのだが、不思議なことに結構な数の外国人が京成佐倉で降りて行った。なので京成佐倉駅からは座れた。

 佐倉にいったい何があるんだ。

 9時に京成成田駅に着いた。ここで京成線からJRの成田駅に乗り換える。朝飯を食べずに家を出たのでお腹と背中がくっつきそうだ。しかし、ここに来るまでの車中で散々ネット検索したが、成田で朝からやっている飲食店がない。仕方がなく駅ナカの立ち食いそば屋「いろり庵きらく」に入る。パネルで朝そばセットの注文画面を出した。でもやっぱりセットじゃなくて通常の単品メニューに戻ろうと思ったけど戻り方が分からない。後ろに客が並んでしまったので仕方がなく朝食そばセットに決めた。あとで気がついたが私の後ろに並んだ客は不慣れなドイツ人だったので全然待たせておけばよかった。
 山菜と温泉卵がのった温かいそばだが、やっぱり麺がぶよぶよで食えたもんじゃない。ぶよぶよでも、地方駅の立ち食いそば屋でありがちな、太麺でチープさの残る〝田舎ぶよぶよそば〟なら許せるが、お上品を気取ったくせにぶよぶよだとこれは絶対に許せない。いろり庵きらくは立地がいいので過去に何度も騙されたがもう二度と来ない。

 Never Everだ!

 さてさて、カウンターに置いてあるポットのそば湯も飲んでゆったりと時間をつぶし、成田線銚子行きのホームに降りると、電車はまるでコンビニの前で待ちくたびれたような飼い犬の顔をして停車していた。相当前から成田駅に来ていたのだろう、ギリ座れたが車内は結構な混み具合である。
 いつもならここでカメラを出したり、レンズをセーム革で磨いたり撮影の準備なんかをするのだが、両隣りに二人三脚のようにぴったりとおばさんと高校生が座ったので大人しくしていた。佐原駅を過ぎると両隣りの客は宇宙ロケットの推進用ブースターのように切り離され、車内はいつものガラガラ状態に戻った。私は徐ろにカメラを鞄から取り出し、電車を降りたらすぐに撮影出来るように準備を始めた。
 今まではライカSLを使っていたが、今回は新しいカメラを導入した。ライカM-P(Typ240)である。私にとって焼失したM9以来念願のデジタルレンジファインダー機である。約一年間、悩みに悩んだ末に手に入れた。なぜ10年前に発売されたこのライカM-Pを購入したかをここで書こうとしたが、長くなったので別の記事で書くことにした。
 あれよあれよという間に小見川駅に着くと意外にも降りる客が沢山いた。

 じゃあ、みんなで銚子街道を歩こう!

 と叫んだが、みんな蜘蛛の子を散らすようにバラバラに改札からどこかへ向かっていった。私はとりあえず利根川を目指して歩いた。地図で確認すると小見川駅周辺はかなり栄えている。なんなら牛丼のすき家まである。無理して成田駅で不味いそばを食わなけりゃよかったと深く後悔した。
 ちょうどお彼岸のシーズンなので、花屋がお花を軽バンの荷台にパンパンに積んで、働き蜂のように忙しそうにしている。

 銚子街道(利根水郷ライン・国道356号線)を越えると川沿いの町はぐっと風情を増す。黒部川にへばりつくように古い工場や倉庫が並んでいた。利根川や黒部川の舟運の要地だからか、家並みも古く呉服屋やら旅館まである。しかしどこも営業しているような、していないような。曖昧な感じだ。
 目の前を女学生が剣道着姿で歩いていた。これは絵になると思いすぐあとを追ったが、カドを曲がったら消えてしまった。はてさてどこに行ったのやら。
 黒部川より向こうは田んぼしかないので、黒部川沿いを歩かず、ファミコンのラリーXのデモ画面みたくジグザグに少しずつ銚子街道に引き返した。再び街道に戻るといきなり潰れた居酒屋が目の前に現れた。かなりの廃墟っぷりに心が痛い。どのぐらい放置されていたのか。昔はさぞかし賑わっていたのだろうと思い起こさせるほどの煌びやかなバブル時代風の建物だった。
 駅から離れるとぽつりぽつりと苺農園が並びはじめた。
 しばらく銚子街道を歩くとY字路に差し掛かる。右に行くと本線の銚子街道だが左の道を選び、銚子街道の一本裏通りへ潜り込んだ。これが大正解。この先恐ろしく退屈な田舎道が延々と続くが、もしもあのまま銚子街道を選んで歩いていたら、歩道無い・安全無い・撮れ高無いの無い無い尽くしのデンジャラスロードを歩く羽目になっていた。
 だが裏道もキツかった。道の右サイドは違法放棄のゴミとぬかるみ。左サイドは果てしなく視力の限り水田が広がる。

 よくよく考えてみればとんでもない景色なのだが、目が慣れてしまって今では〝無〟である。
 人っこ一人通らない道。そのずっとずっと先は行き止まりになっているはずだが、それすらも見えないほどまっすぐな一本道。めちゃくちゃ暇である。
 あまりに暇なので堀江淳のメモリーグラスの
 〝ゆらり揺らめいてそうよあたしは
ダンシングドール♪〟の「ダンシングドール♪」の声が裏返るところを練習していたら、後ろからリュックを背負った少年にしれっと追い越された。ファミコン影の伝説の青忍かよ。

 すげー恥ずかしい。
 
 しかし、時折り道の傍に点在するミニチュアサイズの鳥居は何のおまじないなのだろう。正直気持ち悪い。知らず知らずのうちにとんでもなく恐ろしい風習のある村を彷徨っているのではないか。なんて考えるほど暇である。
 鳥居を置く理由は調べるとなるほどという感じだった。(違法投棄対策らしい)

 とことん歩いてやっとこさ退屈な裏の一本道の終わりが見えてきた。そのどんつきを右に曲がり、JR成田線の山の下踏切を渡り、また銚子街道に出る。そして目の前の看板には〝ようこそ東庄町(とうのしょうまち)〟の看板が現れて、ゆるキャラが私の入村を歓迎してくれた。
 しばらく裏道もないので銚子街道で危険に晒される。おっとっと、ここ東庄町では〝いちご街道〟と呼ぶらしい。しかしファンシーな名前とは裏腹に大型トレーラーが少女鉄仮面伝説ばりの無表情さでギリギリを掠めるデンジャゾーン(危険地帯)である。しばらく我慢しながら歩く。

 まるで路上(ストリート)と命の交換(ライフトレード)をしているかのような時間(タイム)だった。

 スマートフォンで現在地の地図を見るとまた街道から一本裏の道が復活していたのでそちらに移動する。凄く細い家と家の狭間の脇道がその裏道まで繋がっているときがある。そんな時はちょっと申し訳ないが人ん家の軒先を横切ることになる。おそらく私道だろう舗装されていない砂利道を歩きながら住人に気が付かれないように静かに通らせてもらう。

 裏道に出るとこれがまたなかなかに退屈な道で、これといって何もない。人もそんなに歩いていないし、畑や田んぼと農家に挟まれた景色の変わらない道をひたすらに歩いた。

 平手造酒という酒蔵メーカーみたいな名前の剣豪の墓がこの辺りにあるというが、それよりも問題なのはこの辺で笹川駅に向かうか、それとも次の下総橘駅まで頑張って歩くか。ここで終われば程よい疲労感でゴールできるのだが、それだと距離がちょっと足りない。このペースで毎回一駅ずつ進むとなると銚子までの撮影日数が倍になる。今日は夜に呑みなどの予定を入れていないので頑張って歩いてみることにした。
 舟溜まりなんだか舟の墓場になっているんだか分からない桁沼川を渡るといよいよ後戻りはできない。線路から離れすぎてしまったからだ。だが、そんな素敵なタイミングで両足の親指の付け根が痛くなった。

 足マメである。

 歩くたびにガンダムのビームライフルで撃たれたようにズキューンズキューンくる。昨日のディズニーランドで使った足が武田幸三のローキックばりに地味に効いていたのだ。
 新田青年館に置かれた手作りの作業台の脚が隠れミッキーのデザインだった。普段なら微笑ましい景色だが、いまはなんか無性に腹が立つ。


 昨日は少年に戻ってあれだけ隠れミッキーをさがしていたのに。

 なにも無いこの町で遠くからでも目視できる城みたいな大きい家にシンデレラや白雪姫はいない。医者か歯医者。もう患者も後継者もいないのだろうか、どこも診療はしていないようだった。

 歩いていた裏道は丁字路を経て、やがてむにゃむにゃになって消えたので、銚子街道(国道356号・利根水郷ライン)に戻ることにした。裏道はもう一本外側にもあるが、ここを通ると線路からさらにどんどん離れてしまうし、曼荼羅のように同じ景色が並ぶ田舎道にも正直飽きた。刺激を求めて再び国道に出たが、やっぱりここも地獄だった。
 ドブ板に蓋をしただけの歩道。これを歩道と呼べるのかどうか。さらにこの辺のドブ板は穴が大きく、私のつま先でも余裕ですぽっと入るほど。穴に足を挟まれないように歩くと変な歩幅になる。それがまた足のマメに響くのだ。そしてドブ板を歩くたびにガタポコガタポコとアフリカ民族の打楽器のように音が鳴る。ピーター・ガブリエルなら喜びそうだが、これもうるさくてたまらない。
 国道沿いの民家の庭の奥に黒い犬が吠えているのだが、ヒモで繋がれているから余裕をこいていたら、ヒモが案外と長くギリギリまで突っ込んできた。いや、ここまでヒモを伸ばすと危ないだろ。歩道のない道なので車がスレッスレを走るんだぞ。家主の悪意すら感じる。

 嗚呼、笹川駅でギブアップすればよかった。足が痛い。疲れない足が欲しい。そうだ。下半身がメカでガンダムのような足なら疲れないで黙々と歩き続けることが出来る。ガンダムはコアファイターを中心に上半身がAパーツ、下半身がBパーツに別れている。なのでBパーツだけ欲しい。だけど下半身だけガンダムとかちょっと白くてカッコ悪いかもしれない。なのでガンダムの脚の上からGパンを履こうかなどとくだらないことを考えながらひたすらに歩いた。

ガンダムBパーツ


 ここからは裏道に飽きると銚子街道を歩き、銚子街道で命を晒されると裏道に戻るを繰り返した。少しずつ銚子街道に廃墟が増えてくる。
 
 トイレに行きたくなった。銚子街道でコメリとウエルシアの看板を遠目で見つけたからかもしれない。すでに私にとってコメリはトイレであり、園芸・農業用品のホームセンターではない。ウエルシアまであるとはいたせり尽せり也。しかし、ここは使い慣れたコメリで用を済ませることにした。このコメリもトイレが店舗の外にあるので、店員に会わずに用を足せた。ここにガーデニング用の小洒落たベンチでも置いてくれればどんなに助かるだろうと探したがビタイチそんなものは置いてなかった。隣りのウエルシアもそう。店舗と駐車場の間に設置された太いガード用の鉄パイプくらいか。ここに腰をかけると深夜につるんでるバイカーみたいになってしまう。しかし私が腰掛けたとして、傍らにバイクはない。古いデジタルライカだけである。

 少し歩くと銚子信用金庫東庄支店が見えてきた。一気にテンションが上がる。この信用金庫は駅が近いことを知らせてくれているからだ。
 そしてこの銚子がついた銀行名がまだまだ先であるはずのゴールへと心誘なう。と思ったが実はここから今日のゴールの下総橘駅まで結構な距離があった。この辺のひとたちは車で移動するから、別に信用金庫は駅近でなくてもいいのだと思い知らされた。なんなら金融機関なんて気持ちだけ駅に寄せて建っているだけでいいのだ。

 線路の向こうはざっくりとえぐられた山裾にコンクリートで蓋をして、これから道路でも作るのだろうか大規模な工事が行われていた。
 なぜか時計が鳥居の横に祀られている星之宮大神が見えると駅はもうすぐだった。

 水の里 風ろまん 東庄町

 と大々的にある書いてアーチをくぐり、振り返るとアーチの裏側はボロボロだった。そもそも〝水の里〟は理解できるが〝風ろまん〟ってなんだ?そしてなんとか駅前のロータリーにたどり着いた。

 電車が来るまで40分はあるから、一旦駅のベンチで休憩し存分に足を労ってからふらふらと駅前の探索をした。とは言えなにも無い。マメが痛いのでびっこで歩いて5分で撮るネタが尽きた。暇だから駅のトイレでうんこをした。それでも時間が余ったから駅周辺の人間観察をしている。

 4月から高校生になる娘に電車の乗り方を教えているお父さんがいる。実に春らしい光景だ。お父さんは心配で仕方ないだろう。なんなら毎日車で高校まで送迎したいくらいだと思う。いつしか私の娘も女子高生になるのだろうか。

 娘は明日高校に行く。
 光陽商事。


 その横には暇を持て余した大学生4人組。大学合格祝いに父親にスバルの自動車を買ってもらったのだろう。それを友達に見せびらかしている。実に春らしい光景だった。私がうんこに集中しているときに鼻をずるずるとすすりながらおしっこしていたのはお前ら4人のうちの誰かだな。まぁ、いい。春だし許してやろう。
 そんなことをしていたらあっという間に電車が来た。ここは単線区間なのでホームはひとつ。迷わなくていい。JR銚子線は眠たそうな顔をしながら私を迎えにきた。
 次は下総橘駅から歩けるところまで。
 一巡目のゴールは近い。

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