座間9人殺害事件裁判を傍聴した⑤

これまで:

座間9人殺害事件裁判を傍聴した①座間9人殺害事件裁判を傍聴した②座間9人殺害事件裁判を傍聴した③座間9人殺害事件裁判を傍聴した④

弁護人・検察官からの被告人質問が終わり、私はその衝撃にほぼ呆然とした状態で、普段はあまり食べないチョコを一気食いして、待合エリアで佇んでいた。

お手洗いを済ませてから法廷に行こうと思っていたところ、ある女性から声をかけられた。

・傍聴をしている理由

その女性は、私と同じく一般傍聴席に当選した人で、一席開けた左隣に座っていた人だった。

「あの、突然すみません。怪しい者ではなくて、記者でもありません!皆さんに聞いてるんですけど、何で傍聴したいと思ったんですか?普段裁判傍聴とかしてます?」と聞かれた。

私は少しだけ怪しみつつ、記者ではない様子だったので、「今時間もあって、人生で一度は裁判を傍聴したいと思っていたので」とソツない返事をした。

すると女性は、
「何でこの事件だったんですか?被告凶悪ですもんね、被告が見たいとか?」と言われた。

私は”見たい”という表現が間違っているか、と言われればそうではないのだけど、ここまでの公判を傍聴して、その答えではないと思ったので、
「心情を、肉声で聞きたいと思いました。」と答えた。

女性は引き続き「何でこんな事件起こしたのか、理解したいですよね!」と言った。

私はそれに対して「いや、、、聞きたかったし知りたかったですけど、あれを理解できるとも思わないし、理解したいとも思わないし、そういう対象ではないです」と答えた。

すると女性は不思議そうな顔をしたので、すぐさま私は「そんな感じですかね」と、一応笑って返してみた。

女性は「そうですか、ありがとうございます!」と言って去っていった。

何か間違った返しをしたかな?と思ったし、公判前だったらもっと無邪気に返事ができていたかもしれない。

けれど、これまでの公判を傍聴した私の素直な気持ちは変わっていた。

期待をしたり、理解をしたりしたいと思う存在は、自分にとって大切だったりする人だし、普通に日々接する人に対してだって思うけれど。

被告はあまりにも期待するに値せず、理解するに値しない、人の形をした”なにか”という者に変わっていた。自分のその照準も、法廷内にいる人たちの照準も合わせる価値のない”なにか”という者に。

・精神鑑定医への尋問

休憩が終わり再開した後は、被告を精神鑑定した医師への尋問だった。
事件当時、責任能力があったかどうかについての審理だ。

開廷後、法廷内の左奥のパーティションが開き、刑務官に囲まれた被告が再び姿を現した。これまでの開廷の際と同じように、裁判官・裁判員が入廷する際に立ち上がり、すぐに着席した。

医師がパワーポイントで作成したような鑑定結果資料が、法廷内のビジョンに映し出され、この資料を元に尋問は進行されていった。

被告を見ると、目を瞑ったままほぼ動かない。寝ているのか?と思うほど、動かない。

午前の公判の際の、自身の母親からの手紙の時には前後に何度も動いたりしていたので、見た目の表情は一緒でも、あの時の彼の心情は揺れ動いていたのかもしれないと思った。

医師は、どのような鑑定をしたか、何度鑑定をしたか、何度会ったかなどをとても細かく報告した。
捜査段階で被告と合計21回会い、60時間余りにわたって面談した内容について、理由と結論を資料に沿って述べていった。

きっと弁護人にとっては、最後の頼みの綱に違いない。
前のめりで医師の証言を聞いていた。

個人的に願った通り・予想した通りと言っては言葉が悪いかもしれないし、何ならそこに理由がある方が怖くなかったのかもしれないが、結果は
「精神的な障害はみられない」
というものだった。

この結果によって、じわじわとジリジリと、これまでの被告人の証言の怖さが増してくる。正常な状態で殺した、という事が立証されていく。

医師の報告が終わった後、弁護人・検察官からの証人尋問があった。

弁護人は、資料において母子手帳についての記載がない事や、学校の通知表などの記載がない事を挙げ、それは精神鑑定において重要ではないのか、それがない事で精神鑑定の結果に影響はないのか、などを聞いていた。

精神鑑定の穴、を見つけようとしていた。

医師は、少しおっとりした話し方の人物とはいえ、見解や意見についてはとても明快だった。
そして、なるべく理解しやすい言葉で話そうとしていた。

母子手帳については、その後の休憩明けの再開時に取り寄せていた事を確認して、出産後に何か精神疾患が見られるような旨はなかったと証言し、通知表などについては取り寄せを希望したが、入手できなかったと言った。

「僕は全て洗いざらいの情報を調べるし、鑑定においてデータがあればあるに越した事はないので、全ての入手を警察に求める人間です」とも明言した。

医師は、検察官側が用意した方で、検察に有利なように証言するのか、などとほんの少し思ったりしていたが、極めてとても公平な方のように思った。
結果を現実として理論的に、思惑などはなくそのまま話す方という印象だった。

そして医師は、被告のIQについても説明をし、被告のIQが中の上レベルの110である事、言語能力のIQは少し高い119である事も話した。

弁護人は言語能力のIQが119と高いがゆえに、
「被告は死刑になるために、完全な責任能力があると装える可能性はないか」という質問に対しても、

「面談をこれだけ繰り返して、これだけ検査を重ねているので、そのように装うのは、僕も含めて精神科医の前では不可能です」と述べた。


また、精神疾患がある方にこのIQの数字は出せないという事と、医師が問う質問に対してもとても合理的に且つ理解をして話していて、自分の欲求に関しても合理的で冷静である為、診断の結果精神的な障害はみられなかった、と再度述べた。

「彼は人を自分の部屋に誘き寄せる事を、”操作”って言うんですけど、言葉の通りで”操作”している意識があるんだと思うし、”操作”できるんだと思います」と。

本人の言葉から聞くのも重たかったが、良識あるであろう医師から聞く言葉は別の重さがあった。言葉における信頼度が増したように感じるからだ。

その後は裁判官から医師への尋問もあったが、これまでのやり取りにはなかった細かな点において、本当に精神的な障害が見られないのか、という最終的ないくつかの確認だった。

被告は審理の間、目を瞑ったままほぼ動かなかった。
まるで自分の話ではないかのようだった。精神疾患がない事は自身が一番分かっているし、何を改めて?というような態度だった。

遺族として心を砕いて、関係者として一生懸命審理して、気持ちを揺らしている法廷内の人も、また日々のニュースに気持ちを揺らす人も、全てピエロのように踊らされているのかもしれない、と思いながら、私は被告のその様子を見ていた。

全ての審理が終わった頃には、もう外は暗くなっていた。

・傍聴を終えて、あとがき

傍聴を終えて、最寄り駅まで歩きながら、都心より澄んでいるように感じる立川の空気を吸い込んだ。

傍聴するまでは、傍聴した後どんな感情になるんだろうと考えたりしていた。

終わった後に感情がある、と思っていた時点で甘かった。
憤り、怒り、悲しみ、諦め、憐憫、、どれも合わない。
全ての感情を通り過ぎて、無に似て非なる状態になっていた。

一番近い状態は、多分「混乱」。

感情を感じたくないのではなくて、あまりにも不可解な感情の存在のいる法廷に半日いた事で、善や悪や良や害が何なのか混乱してしまっていた。

理解しようとしたくないのは、もちろん変わっていない。
人を殺す事は、もちろん悪だし罪なのは間違いない。

ただ、今日私の目の前にいた人の形をした”なにか”は、生活する為に、食べる為に「働く」のではなく、至って普通に自然に「殺す」を選ぶ人間だった。
しかも何度も言うが、姿形は自分が愛する人や毎日会うような人達と何ら変わり無い。

傍聴に参加する前に持っていた被告への期待に対しても、犯行の理由についても何もなかった。理由を知りたい、という事はその理由を知って納得して知識にしたいという事だと思うのだが、何もないのだ。

理由や答えを求めていたのは私や、もしくは世間の勝手だけれど、出てきた答えはあまりにも理解しがたく、"正"の理由ではなかった。

自分の性欲を満たしたいから、自分の生活資金が欲しいから、楽をして暮らしたいから、殺した。
捕まりたく無いからバレないようにする為に、解体した。
全てにおいて、とても合理的に自分本位・自分ファーストという強すぎる確固たる意思を持って。

そして、こういった人間はきっと被告だけではない、とも思った。

周りの大切な人や、今一緒に電車に乗っている無邪気に景色を見て喜んでいる子供や、健やかに時間を過ごしている見知らぬ人が、どうかこういった犯罪に巻き込まれないように、と願うのが精一杯な帰り道だった。

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私はこの日以降残り2日あった公判の裁判傍聴の抽選に行ったが、2日とも落選した。


25日には被害者遺族による意見陳述があった。法廷に立った遺族は涙ながらに極刑を望んだ。

そして被告から出た発言は、やはり一貫して自分本位だった。

検察側から公判を振り返っての心境を聞かれた白石被告は「(24日に)母親の調書が読まれ、母親のことで頭がいっぱい」と答えた。家族の面会や手紙は一度もなく「さみしい」とし、もし母や妹が自分の犯行の被害者となったら「(犯人を)執拗に追い詰め殺しに行く」と語った。
 一方で被害者には「一部に対しては深い後悔が持てないのが正直な気持ち」と発言。最初の被害者や子どもがいた被害者ら4人に限定し「申し訳ございませんでした」と述べた。
 判決については「親族に迷惑をかけたくないため、判決が出たら控訴せず、おとなしく罪を認めて罰を受ける」「(死刑は)怖い」などと話した。
                          引用:東京新聞

そして、2020年11月26日の公判で検察は被告に対し、死刑を求刑した。
判決は2020年12月15日。

検察は「全ての被害者が首を絞められた際に必死に抵抗していて、殺害されることを明らかに拒絶していたことにほかならない。被告の法廷での証言は客観的事実と一致し自然かつ合理的で、信用性が否定されないのは明らかだ」などと述べました。
そして「被告の犯行は計画的で卑劣、冷酷かつ猟奇的だ。被害者の人権や尊厳を無視したもので悪質極まりない。短期間に9人の若い尊い命を奪っていて、極刑以外を選択する余地はない」などと述べ、死刑を求刑しました。                       引用:NHKニュース

被告の証言が、客観的事実と一致していて、自然且つ合理的というのは、言い得て妙だと感じた。

ただ、自然且つ合理的に殺人を選ぶ人間の事については、どれだけ努力しようとも、やっぱり理解に苦しむ。

私の人生初めての裁判傍聴は、脳天をかち割られるような衝撃的なものになった。

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