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散る桜 残る桜も 散る桜


日本は今、本当に平和なのだろうか?

ここ数日、友人と戦争を話題にすることが増えています。


もしも戦争で、銃口を向けられたら、あなたならどんな行動をとりますか?


戦争や事故など、唐突に「死」を突き付けられた極限状態のとき、死生観もまた問われるのです。

命あるものの最後は、どんな形になっても必ず「死」です。


今のところ、不老不死の薬は発見されていないし、人の生き血を啜っても、永遠の命を生きるドラキュラにはなれないようです。


「死」は最後ですから、「死」を考えることは「死」までの過程である「生」を考えることでもあるのです。


『きっと自分も武器を手に取り、相手に立ち向かって行ってしまう。』と私の友人たちは言います。

私は自決の道を選ぶかもしれない、と言いました。

すると友人の一人が、『あなたに死んで欲しくないよ!側にある武器を手に取って闘って、一緒に生きる道を探そう。』と言ったのです。


自分の家族や、仲の良い友人たちと一緒に生きるために武器を手に取り闘うというのは、一見、当たり前の選択のようにも思いました。

共に生きたいと願ってくれる友人たちと一緒に生きる世界は、どんなに素晴らしいものだろう、と私の心は傾きました。



戦争をしたいなんて、誰も望んでいないのに、それでも戦争が続いているのは、そうした家族や友人を守りたい、共に生きたいと願う心からなんじゃないか?

誰かが、誰かのために武器を手に取ることの繰り返しが、戦争を長引かせ、より悲惨なものにしていくんじゃないのか?


どうすることが戦争を止める、無くす手段になるのか、結論は出ません
が...。


ねぇ、もしかしたら今、自分の居るところは平和じゃないかもしれないよ!戦争についてもう一度考えたり、自分の死生観をもう一度振り返ってみませんか?


今の私が手にすることが出来る武器は、こんな小さな小さな呟きしかないんです。

満開の桜を見ながら、良寛和尚の辞世の句が思い浮かびました。


『散る桜 残る桜も 散る桜』


満開の桜も、やがてはすべて散ります。

どんな人生を送ろうと、必ず最後は「死」が訪れます。


それなら、どう生きますか?





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