【個人の事情】エネルギーバリア問題
あなたは人混みは平気なほうですか?
私はと言いますとエネルギーバリアの問題提起をするだけあって、多分、中学生の頃には「苦手」である認知があったように思います。
人混みが苦手と聞くと、混んでるから嫌なのだろうと思われそうですが、それだけでの意味で苦手なのではありませんでした。
今は以前よりはかなり平気になったものの、どうして苦手だったのかがわかるようになったので、理由がわかるだけに敢えては人混みの中に行きたいとは思わなくなりました。
一方であなたは、「どうせなら、いついかなる時でも自分らしくありのままで振る舞えたらいいな」と思うタイプですか?
これは実は人混みの克服と同じ原理が働いておりまして、『人混みの克服イコール、自分らしくいられる』となるのです。それがなぜだか分かりますでしょうか?
今回はエネルギーバリア問題に関して、長年ビジネスや仕事の現場でごく普通に働いてきた私が、どうしてそこに辿り着いたのか、どうやって克服したのかを個人的な事情を例にとりながら、さいごはあなたの人生や仕事にお役に立ちそうな情報とからめてお話ししたいと思います。
だっふんだ!私はHSS型のHSPのようだ?
これを書きながら、先ほどwebで[hsp 繊細さん]で検索をかけ、改めてチェックしてみました。すると、「HSS型のHSPが私はまぁ、当てはまるかしら?」と思いました。
ほかにも「繊細さん」がHSPと同義のようですね。
ここで私が提起しているエネルギーバリア問題は、ちょっと違う方が対象なのだと改めて気づきました。
ですがHSPでなければ、それは何と呼ばれているのかというと、私もそうなのですが、エネルギーバリア問題で取り上げたような、
この才能はエンパス*と言います。
この共感力が高い(強い)特徴を持つエンパスなるものを分かりやすいように「共感さん」と名付けてみましょう。
ちなみにエンパスに起こる不都合な特徴についてはこちらの回でつづっています。
米医学博士の虎の威を借り、目には見えない世界を証明
エンパスは米精神科医にしてサイキック(霊能者よりサイキックのほうが表現として私の中ではフィットします)である、ジュディス・オルロフ博士によって、そういうタイプの人がいることが紹介されました。
1996年に最初の本を出されていますが、アメリカと言えど当時は、医師というお立場的にも、ご本人がサイキックであることを表明したことは勇気のいることだったと思われます。
かつ、『医学博士の資格が人から信用される権威の象徴になっている』ことをご本人が証言されている点も興味深いところです。
このエンパスという言葉は、本の中では『直観的感情移入』と和訳されていて、エンパスの扱いはちょろっとしたものです。
というのも、オルロフ博士が本の中で伝えたい本筋というのは
『直観はすべての人に与えられた才能であり、その才能を英知として人生に生かしましょう、人生をよりよく生きましょう。』
ということなので、あくまでそういうケースの人たちがいますよ、と言った感じの触れ方です。
そんな他者との共感力が高く、ピンときやすい共感さんですが、わたしの個人的な感覚としては、日本にはたくさんいると言われているものの、個人が尊重される西洋と比べて、言い出しづらい風潮はあるのかな?と思ったりします。
人の目が気になりがちですから、人と違うことは勇気がいりますものね。
ですが、これこそが空気を読んでいることに他ならないわけです。
あと、なんでも「スピ系かぁ」で片づけられるのがオチなので、言いたくないなと思ったりします。
とはいえ強弱の差はあってもわたしの目からは
「そういうところが共感さんなんですよ!」
と指摘したくなる方もおられます。本人は気づけないようですね。
ですが、勘がいい、目鼻が効く、ピンときやすいそんなあなたは「共感さん」である可能性が高いです。
そして博士も当時は、そんな今の日本の風潮と似たような環境にいたのかなと思ったりします。
科学、医学などの博士でありながら、生まれ持った目に見えない世界への認知能力、予知などができるサイキック能力があることによって、まわりから理解されにくい自身の葛藤や疑問を持ち続けた人生を通じて、
目に見える世界での医学的な専門分野と、サイキック等の目に見えない個人的事情の橋渡しをする、そういった世界が存在することを証明しようとする人生の流れであったようにお見受けします。
そして、ヘレン・ケラーも実はこのパターンの人じゃないかな?
と私は思っています。
えっへん!私はごく普通人であるエンパス
何度かnoteの中でも申し上げてます通り、「何もかもが私は中間なのかな?」と思っています。
知ることは好きですが頭がいいわけではありません。
高学歴ではなく、エリートでもなく、家柄も普通であることも手伝って、会社員生活は最後におかしな森に迷い込みましたが、おおむね中間街道を進んできたと思っています。
「私がエリートだったら、もう少し皆さん真剣に耳を傾けてくださるのかしらん?」
とも思ったりしたこともありましたが、いろいろ検証してみた結果、私はこのスペックで生まれてくるのが、自分の社会的役割を果たすのにはちょうど良いのだとある日、気づきました。
噛み砕いてお伝えするのに、私がこのくらいの中間のIQであることがいいのだと思っています。
我ながら面白いと感じるのは、物質的な現実社会…つまり会社の中でも、そのための修行と言いますか、スライドできそうなタスクをたくさんしてきたことをのちに気づくことになった点です。
例えば、コミュ障の私は営業になった時に苦労したのは人にわかりやすく伝えるスキルが身についていなかったため、なのでまず、人にわかりやすく説明をする力を磨かざるを得ませんでした。
そのうち、英和文の校閲・校正をすることが増えるようになっていきました。
私の英語力では普通だとそういう仕事は任せられないものですが、不思議とそういうタスクとご縁が多く、異なる成り立ちのものがうまく伝わるように言語化するスキルを磨いてきたように思います。
つまり、仕事を通じて人に伝えるためのスキルを何かしら磨き続けてきたわけです。
一方で直感さんであり、エネルギーを感じ理解力がある私個人の資質として、メカニズムが理解できている上で、言語化し、ソリューションまでご提案するには、脳みそレベルはギリギリこのくらいがちょうどいいんだろうと思うようになりました。
このように、仕事で身につけた経験やスキルは、私個人の資質とかけ合わさって、今に役立っていると感じます。
僭越ながら、自分の人生を俯瞰してみると、立場は違えどオルロフ博士と同じように感じたものです。同じプロセスを辿っているようにも思えて共感しました。
それは、どんなことが起こっても、人生のさまざまな経験が今に繋がっているからでしょう。
30年前からエンパスや直観をビジネスに活かそうとしたアメリカ
エンパスのいいとこ取りをするために、博士は本の中でアドバイスをしています。
ですが人というのは、本を読んだところでうまく克服できないものです。ビジネス本を読んでも、成功者と同じ結末にはならないのと似ています。
ちなみに博士の本は和訳された二つある本はほとんど同じ内容ですが、ビジネスマンの方には『Second Sight 第二の視力』(1998)のほうが受け入れやすいかも知れません。(私はつぎの改訂版は読んでいません)
読むのに抵抗感があるであろう点は、エンパスに触れるだけではなくて、透視や予知などの超能力的なことについても触れているからです。
とはいえ、先述した通り本の主題はあくまで直観を人生に生かすと言う点にあります。
というのも、2022年大学の世界ランキング3位のスタンフォード大学のビジネススクールPhDプログラムでは直観をビジネスに活かすやり方を教えていることに触れられています。
直観を『戦略的技術』としてビジネスに使う理由は、他者競合との差別化において革新的であることが必要なのものの、そのためには数字や分析だけに頼っていると、どこも同じようになりがちだからです。
博士の元にビジネスマンたちが直観の活かし方を請うためにクリニックに訪れていることも描かれています。30年前の本ですから、アメリカではその当時はまだ物珍しい話だったかも知れませんが、今ではより馴染んだスキルになっている可能性は大いにあり得ます。
日本ではまだ忌避する風潮があるこのような才能は、触れられさえせず、なんならビジネスマンがそんなことを話題にすると揶揄されがちですが、日本人のほうが実際にはエンパス能力は高いはずなので、私たち日本人は、その気になればうまく使いこなせるようになるのではと思っています。
むしろ、なぜもっと早くにこういった情報が日本には伝わらず、浸透して来なかったのかが私としては不思議なくらいです。
「わたしがイライラするのは人のせい!」にしてもよい?
例えばイライラしている人が周りにいたとします。その人の態度から「なんだコイツ!」と思って、同じようにイライラしてしまうことはないでしょうか?
また、社長がイライラしてると、まわりもピリピリしてしまうのも会社あるあるです。
一方で、いつもゴーイングマイウェイで、そんな空気を読めない人もいるものです。
KYとも呼ばれますが
「いいなあ!あんなふうに鈍感になりたいものだ!」
と、思っていらっしゃる方も多いことでしょう。
性格として片付けられますが、これらはピンときやすい共感さんとしての才能によって分けられるべきものなのでした。
さて、冒頭で人混みが苦手かどうかについて話しましたが、イライラした人がすぐ近くにいなくても、1キロなどと離れた場所にいる人の感情をキャッチしてしまうこともあるのが共感さんです。
これをサイキックと呼んで分類するか悩ましいところだなぁと、私は個人として思うのですが、そのあたりは聞きたくない人もいらっしゃるかも知れないので、限定ブログで詳しく説明してみようかと検討しているところです。
また、この回は試金石にしてみたいなと思っていまして、スキの数やコメントなりがあれば、どのくらいみなさんがご興味を持っていて、もっと深く知りたいと思っているのかを測ってみたいなと思っています。
もしも反響があれば、どのぐらいの深度で書いたらいいのかの参考にしたいと思っています。
劇的ビフォーアフター:共感さんは自分をもっと愛せるはずだヨ!
私が善玉菌(善魂の菌)エネルギー注入のいいな、と思っている点は、
エンパスを能力として直観さんの仕事や人生を善ループさせることができるのに加えて
直観の能力を高める点において戦略的なスキルとして使うためにも、注入しておくとマスターするのが早くなる
その両方ができるからです。どんなに忙しい経営者や社会人の方でも、アメリカにに行かなくてもよくて安上がりですし、そのほうがスピードが速いですよね。
それでは、なんでも普通の私はどうなのよ?
と言えば、自分のような体質をエンパスとは思っていなかった上で、エネルギーワークを受けた口なのですが、実は次の日から劇的に変化が起こったこともあり、その感動が今の活動の源にもなっています。
これは私個人の体験談になるものの、善玉菌(善魂の菌)エネルギーの素晴らしさが伝われば嬉しく思います。
通勤のときの混雑はエネルギーに敏感な者としては非常に辛いものがあります。当時の私は街の中心部に向かう途中、満員のまましばらくどこにも停まらずに走り続ける公共機関を利用していました。
敏感すぎるので、パーソナルスペース命なものですから、
人に触れるのもダメですし、
自分が座った視線の位置にバッグなどがあろうものなら気になってしようがありませんでした。
目を瞑り、着くまでひたすら無心になろうと努めるしかありません。
それでも道中、ずっとイライラしっぱなしで、降りるとそんな自分に嫌気がさしては自己嫌悪するのを繰り返しました。
そんなある日、ふと満員のみなさんの様子を観察してみると、誰も私のように気にしている方はおられないようでした。
知らない人の顔が至近距離にあっても、全く気にすることなくスマホに集中している若い女性に私は目が釘付けになり、リスペクトせずにはいられませんでした。
「どうして平気でいられるのだろう!寛容か!」と。
一方、この女性と比べて私ときたらなんと了見の狭い人間なんだと思って、我慢ならない自分にほとほと嫌気がさしたものです。
怒り、いらだち、反省、自己嫌悪がワンセットで毎朝起こるのですから、本当に何かの罰を受けているような気にすらなったものです。
ですが、それがなんということでしょう!!
善玉菌(善魂の菌)エネルギーを注入した翌朝のことです。
その朝もいつものように、私の目の前やパーソナルスペースに、人やバッグが入り込んでいたのにもかかわらず、何も感じない自分に気づいた時の感動たるや!
何が起こったのか、自分でもよくわからないけれど
「みなさん!私、全然平気です!気にならないんです!!!」
と叫びたいくらい嬉しかったことをいまでも覚えています。
この経験から、私はイライラしたり落ち込んだりする必要がなかったことを悟りました。
性格ではなく、体質のせいだったのです。
それなのに自分の性格の至らなさのように思って、不要に自分を責めていたわけで、もうそれには及ばないことが分かった私は、本当に心から救われるような想いがしたものです。
そしてこの経験は、また一歩、私が自分を好きになり、自分を受け入れる土台が整ったプロセスの一幕でもあったのでした。
ここは私にとって非常に意義深いターニングポイントだったと思います。
人間関係、他者との良好な関係を築くことは、生きる上での生きやすさにつながります。
そのためにも、目には見えなくとも適度な境界線が守られていることは知っておくべき必要な事であり、私たちが思う以上に大切なのです。
土台ができると軸を立てやすくなります。自分軸です。
それまでは共感力が高過ぎたために、しばしば他者に引きずられたものでした。共感さんじゃなくて『同調さん』と呼んでもよいくらい、相手の気持ちがわかってしまうために同調しようとしていました。
例えば、焦ってる人がいると自分まで落ち着いていられず、急かさせる前になんとかしようとしたり、
悲しそうだと自分を卑下してまで元気にしてあげたくなったり、
暗くネガティヴな相手にいたたまれず、場違いに明るく振る舞い声を立てて笑ったりしていました。
そういうのは、まったく自分らしくなくて後で堪えるもので、自己嫌悪に陥りました。
しかも他人軸で動いた上で、自分らしくないキモい動きをして自爆するようなものだから始末に負えません。すっとこどっこいのピエロみたいなものです。
ですが、今ではそういうのもほぼなくなりました。
ついしてしまっても、すぐに「いま引きずられちゃったな」と感じて、それ以上は相手に合わせようとはしなくなりました。
これは、この後ひき続き、おかしな森(前職の会社)で狂気の村人たちが次々と襲ってきたときにも大いに役立ちました。
常に冷静な自分に立ち戻ることができたため、バッサバッサと返り討ちにしてやりました。それまではやられっぱなしだったのにもかかわらずです。
同調さえしなければ、こちらのほうがマトモなので恐れるに足りず、凶暴で巨大に見えた村人たちはみるみる小さくなっていきました。
柔よく剛を制すというやつです。
共感さんはバリアがしっかりすれば、こんな形でも自分軸の強化もできます。攻めも守りも万全です。
あとは頑張らなくても元から自分が持っていた、ピンときやすい、目鼻が利くなどのイイトコロを出しさえすればいいだけで、そこから先は自ずと自己肯定感を高めていく流れへとつながっていくのです。
そうすれば他人事も自分のことのように感じることができる、人の気持ちを察してあまりある共感さんなのですから、もっと愛し愛されないわけがないのです。
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