【個人の事情】組織で働くということ#1
働き方改革が始まったころ、前職のまじめな管理部長は超過勤務がつづき、途中からタイムカードを押さなくなったと噂で聞きました。
烈女Eさんがまともな引継ぎをしなかったせいで、複雑怪奇な経理の全容をゼロベースで把握することと、いま目の前の現状をまわすことの両方を同時にしないといけなかったからで、
しかも立場的に、指摘されればご本人がお役所に説明しなければならないことを天秤にかけ、面倒だからと考えて、そうしていたそうです。
せめてきちんと引継書があれば違ったのでしょうが、「では、この方はどうすればよかったのでしょう?」
思い出すたび理不尽なジレンマに胸が痛みます。真面目な人ほどまともにやろうとするからこそ苦労するのが世の常なのかもしれません。
さて、『2・6・2の法則』というものを経営者、リーダー、組織になくてはならない陰の立役者さんであれば一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
会社の組織のような「集団」になると、優秀な上位が2割、平均的な中位の人材が6割、下位のグループが2割にわかれるという考え方。つまり、積極的に働くのは2割だけで、6割は普通に働き、残りの2割は働かないといわれているものです。
私が「優秀な上位」だったかはさておき、少なくとも「積極的に働く」グループであったことにまちがいありません。
今回はそんな私が「積極的にがんばって働いていた」ものの報われず、
「ではどうすればよかったのだろう?」と思った実体験を検証までしてお話したいと思います。
会社が黒字化しなかった理由その1
外資系企業のマーケティング部で商品企画を担当していた時のことです。
一般的にはブランドマネージャーがそれに当たる任かも知れません。
私が同社で営業をしていたときに、この任に空きが出るということで、当時の上司が私にマーケティングセンスがあるからと推挙してくれたことで転属することになりました。
私が就任したこの時点で、日本法人化して10年が経っていましたが、いまだ黒字化を果たせていませんでした。
一方で、商品名などにブランドの独特さがあったため、現場を知っている叩き上げからのスライドが合理的だったのです。
「現場を知っている」ということは私の大きな強みとなってくれました。
どこに問題点があるのか実体験として把握できていたので、始める前からそこを改善すれば良いと知っていたからです。
ときに「マーケティングは現場がよく分かっていない」「理解しようとしない」と聞きます。
実際にオフィスに閉じこもっているだけ、営業に同行したりしなければ、どんなに営業が現場の声やリアルな市場調査を吸い上げたとしても、企画に反映することができない。なぜなら理解できていないから。ピンとこないから。
そういう一面はないでしょうか?
会社が黒字化しなかった理由その2
ほかにも問題点は大きく二つあり、一つは新商品、新企画の紹介が他社よりもいつも遅れていたことで、しかも店頭販売のローンチまでの時間的な猶予が少なかったため、十分な商談の時間が取れなかったことでした。
これではいくら良い商品であっても、ベストな条件で店頭で目立つディスプレイがされないわけですから、結果的に売上も伸びない傾向にあったのも当然と言えましょう。
会社が黒字化しなかった理由その3
もう一つは、なぜかいつもすべてのスケジュールが押してギリギリだったので、ミスが多かったことでした。実に基本的なところです。
例えば同梱すべき大事なプロモーションツールが入っていなくて、あとから数千店の規模で店頭に直接、なる早で送らなければならなかったりなど、失敗を補うための余計な経費が毎回かかっていたので利益を削っていたのです。
これはもちろん、目に見えにくい人件費にも影響しています。
物流部門は通常のリピート配送にも追われながらの追加作業となるため、人員を追加投入しなくてはならなかったからです。
悪ループは営業のモチベーションにも響いてきます。
いつも直前、いつもハプニングに追われるといった感じで、お得意先様との良好な信頼関係を築くのにも一苦労で、せっかくユニークでエスプリの効いた世界観を持ち、かつ良質な商品だったのにも関わらず、それ以前の問題でつまずいていたのでした。
つまり、商談に行った頃には、「すでに勝敗は決まっていた」というわけです。
黒字化しなかった会社をカイゼン!
初めての内勤と業務内容に苦戦しつつも、この問題点を知った上で改善をすることが出来た私は、問題を確実につぶしていったことで、半年後には日本法人化して以来はじめての黒字化に成功することができました。
プロモーションは月2回と、ひんぱんに計画されていたため、それらを回しながら次のものを1ヶ月以上早めて商談に間に合わせるようにするのは、大変なんてものでは本当になく、精神的なプレッシャーと体への負担はかなりのものでした。
なぜなら私の業務がすべての起点となっているわけで、ここが定まらないと何もはじまらない、みんな動き出せない、そんなポジションだったので、まさに死に物狂いで働きました。
私はキャッチコピーも自分で考えていましたから、プロモーションのコンセプトを考えるには、市場調査も必要ですし、他部署と連携して、市場に商品がローンチされるまでの商品管理を責務として全体を見ながら動かなくてはならず、
時間はいくらあっても足りないと言った感じで、当時、我ながらよく頑張っていたなと思います。
そんな中でも頑張れたのは私に営業としての「経験と想い」があったからでした。
現場での板挟みとなるつらさが分かっていたので、風下でなんとか辻褄を合わせるよりも、風上の段階できちんとやるべきことが行われていれば、物事は流れるように上手く流れていくと分かっていました。
そこに営業の推進力が重なれば、より会社としてのパワーが増強されると考えていたのです。
試練バクダン投下!社長の気まぐれ狂騒曲
そうしてうまく数字が上がっていた平和な頃に試練が起こりました。
もう少しで翌々月の企画書の入稿が終わる段階といったタイミングで、当時の社長が欲をかき、プロモーションの商品入れ替えを決めたのです。
予測した商品構成を、「今!」その時に売れていた商品にする、というのです。
営業をしていた時に、ひとりで広範囲なエリアマネージメントをしていた経験から、私はこういった直前に慌てて行う変更が、何も功を奏しないことは経験上、知っていました。
付け焼き刃はむしろミスを誘発しやすくなるし、なにより労力の割に数字のインパクトはありません。
じっくりプランを練って確実に実行する、実行したあとに、さらにやった方がよいことを機敏に追加して実行いくほうがよほど数字が上がるというもの。
それなのに、組織として1番やってはいけないことをやろうとしていたわけですから、私はその変更を決める会議に出席していた営業のマネージャーに、
「なにより風下の営業が一番困る」リスクを伝えて止めるように進言しましたが、
「やらないと気が済まない人だから」
と、苦虫をつぶしたシタリ顔で言うのです。
この時の結末は、なんとかミスなく終えることはできましたが、神経も体力もすり減らした割には数字はさほど上がらず徒労に終わったと言ってもいいレベルの惨憺たるものでした。
言い出しっぺの社長はというと、実にしれっとしておりました。フランス人だからか?自分が悪かったとは絶対に言わないのかも知れません。
とはいえ、同じことを繰り返さなかったので本心では「やっちまったな!」くらいには思っていたと思いたいです。なにせSボンヌ大卒ですから。
それにしても、なぜか「実際にやって結果を見せないと想像できない」と言う経営者は一定数いるもので、私はいつもその辻褄合わせに付きあわされてきた、そんな会社員生活だったように思います。
#2へつづく
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