【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「双身ワームホール」
控え室で待っていた宇宙飛行士は、最新号の科学雑誌を上下逆さまに持っていた。
「時間です。行きましょう」
坂木道夫が出発を促すと、女性飛行士は咳払いをして立ち上がった。
開館60周年を記念する特別講演の開始を前に、会場となる博物館は静寂に包まれている。
控え室を出る二人は、ドア横に設置されたセンサーにIDをかざし、退室記録をログに残してから講堂へと歩きはじめた。
今回のイベントにおいて、坂木は講演者のアテンド係という役割を担っている。
主催の博物館が公益財団法人ということもあり、裏方にアルバイトを雇う余裕などはなく、協賛企業に名を連ねるオーセンティックホテルズの立場としては、運営を手伝う人材を提供しなければならないという事情があった。
「世間はワームホール発見の話題で持ち切りですけど……」
無給労働の唯一の報酬ともいえる飛行士との会話を、坂木は質問の時間にあてることにした。
「今日はどのようなことをお話しになるご予定ですか」
講演のテーマは講演者本人だけが知る情報だ。
17年もの間沈黙を貫いた彼女が、今日、この場で何を語るのか。集まった聴衆の関心は、その一点に集約しているといっても過言ではない。
前方をまっすぐに見据えたまま、飛行士はゆっくりと口を開く。
「もう一人の私。彼女との約束の話をするつもりです」
「お集まりの皆さんにお伝えしたいことがあります」
講演の冒頭で、飛行士は深々とあたまを下げた。
「私は、私たちは、全人類に対し、謝罪をしなければなりません」
これでは講演というより記者会見だな、と西坂は思う。
「17年間、真実を隠していたこと。事故が起こったあの瞬間に勝手な判断をしたこと。どちらも、とても罪深いことだと承知しております」
飛行士のいう事故とは、17年前に発生した有人宇宙船の通信途絶のことだった。
生命が居住可能なハビタブルゾーンに位置する系外惑星『ヒジキ339b』へ向けて出発した宇宙船。その宇宙船の唯一の乗組員である彼女は、地球との通信途絶と同時にコールドスリープから覚醒した。
「通信が途絶したあの瞬間、宇宙船、厳密にいえばその内部にいる私は、知的生命体が射出した有害粒子に身体を貫かれていました」
広大な宇宙空間において、宇宙船の航路と、射出された特定の粒子の軌道とが、偶然にも同じタイミングで交差する可能性はゼロに等しい。言葉どおり天文学的な確率といえるのだが、彼女はその偶然を引き当て、有害粒子の直撃を受けた。
「有害粒子を射出した知的生命体のことは、便宜上、ここでは、彼らと呼ぶことにします。彼らはピンポイントで私を狙ったわけではなく、あくまでも軍事演習の一貫として、有害粒子を宇宙空間に射出しました」
演習とはいえ、仮想敵に着弾することを想定すれば、ダミーを使用するという選択肢はない。軍事演習には、有害性を保持した実弾が使用された。
そのほか、この有害粒子には、本来の性質のほかに、知的生命体に衝突した場合に備え、圧縮された情報が付与されていた。
これらの事情を飛行士が正確に把握しているのは、体内で展開された情報が、彼女のなかで記憶として正常に認識されたからでもある。
「すべてを理解したとき、私は二体に分離していました」
理解が追いつかないのか、講堂にいる聴衆の大半は、ぽかんと口を開けている。10分前の坂木と同じ反応だ。
「生命の強制分離。それこそが、彼らが保有していた他者への有害性でした」
分離した生命の末路については、付与された情報のなかには詳細が記されていなかったのだという。
「狭い宇宙船のなかで、自分と同じ顔の生き物が眼前に存在する状況は、恐怖以外のなにものでもありませんでした」
宇宙船には一人分の生命維持装置しか搭載されていない。孤立した宇宙空間では助けを呼ぶことすらもできず、飛行士は途方に暮れるしかなかった。
「まさに八方塞がりでしたが、そんな状況のなかで、もう一人の私が、とあるメッセージの存在に気づきました。粒子に付与された情報の片隅には、謝罪として分離した一体を引き取る用意がある、と記載されていました」
そして飛行士は、数時間後に接触してきた彼らの代表に分離した一体を預け、宇宙船の進路を地球への帰還軌道へと変更し、自らはコールドスリープで眠りについた。
「そこから先は、皆さんがご存じのとおりです」
帰還した飛行士は口を閉ざし、事故調査委員会の質問すらも無視して、完全に引きこもった。
「この秘密は墓場まで持っていくつもりでした」
しかし、ワームホールの出現によって、彼女を取り巻く状況のすべてが覆る。
「先日発見されたワームホール。その先には、分離したもう一人の私が……、そして、彼らの母星が存在します」
本来であれば一人しか存在しないはずの生命体。その生命体の強制的な分離は、極めて不安定な状態を作りだしていた。
より遠く。より長く。分離した状態が続くほど歪みは増大していき、やがては、一体に戻そうとする宇宙の自浄作用が、二地点を結ぶワームホールを出現させる。
「私たちは、これを双身ワームホールと名づけました」
ワームホールの出現により、その向こう側にいるもう一人の飛行士から、情報を付与した無害粒子が届くようになったのだという。
少しずつ事態が呑み込めてきた様子で、講堂内にざわめきが生じていた。
「ワームホールの出現は偶然の産物なのか、それとも、原因の一端を担う彼らの意図によるものなのか。無害粒子で届く情報には彼らの検閲が施されており、真相は明らかになっていません」
彼らが友好的な生命体だという保証はない。無事に帰還することができた飛行士は、地球侵略のための手段として、17年間踊らされていただけという可能性もある。
「あの日、あの場で私が死を選んでいれば、地球にワームホールが出現することはありませんでした。おそらく、以前と変わらない日常がこれからも続いていたはずです」
状況は17年前と変わらない。おそらく、飛行士を殺害することで、歪みは解消し、ワームホールは消失するだろう。
「ですが、その一方で、もしもワームホールをうまく活用することができたなら、それは、地球人類にとって、大きな飛躍のチャンスといえるのではないでしょうか」
壇上の飛行士は一度だけ天を仰ぎ、さらに言葉を継いだ。
「歪みを解消し、ワームホールを消失させるか。危険を覚悟の上で、未知の世界に一歩踏みだすか。そのどちらかを選ぶ権利は、私にはありません」
飛行士は小さく深呼吸をする。
「あの日、別れる間際に、もう一人の自分と約束をしました」
そこから先は、坂木も初めて聞く内容だった。
「いつか、この決断を後悔する日が来るかもしれない。大切な人を危険に晒してしまう可能性もある。――それでもやはり、私たちは前を向いて生きていこう」
飛行士は凛とした表情を聴衆に向けた。
「私は前へ進みたいと思います」
ふざけるな、という怒号が講堂内に響いた。
「おまえ、なんてことしてくれたんだ!」
聴衆の一人が大声を上げて立ち上がる。血走った目で飛行士を睨みつけるその男の手には、刃をのぞかせたカッターナイフが握られていた。
男は壇上へと駆け上がると、刃先を飛行士に向けたまま突進した。
「危ないっ!」
側にいた坂木が瞬時に反応して男をねじ伏せる。
「こちらです。行きましょう」
坂木は飛行士の手を引き、出口へと駆けだした。
「行くって、どこへ?」飛行士が尋ねる。
「避難先のホテルを手配してあります」
皆より早く話を聞いていなければ、避難先の手配をすることも、咄嗟の出来事に素早く対応することもできなかっただろう。
そのような意味では、アテンド役が坂木だったことには、運命的なものを感じずにはいられなかった。
この場で彼女が殺害されていれば、歪みの解消とともにワームホールは消失していただろう。保守的な考えの者からすれば、それこそが正しい決断なのかもしれない。
――だが、自分は違う。
「進みましょう、前へ。博物館の歴史に新しい1ページを!」
(了)