【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「夢枕」
赤道直下に建造されたメガフロート『マイルストーン』。標石の名を冠するこの海上都市には、祈りを海洋に投下するための竪穴貫通孔が存在している。
「矢切さん、あれ」
坂木道夫が同行者の名を呼び、前方の竪穴を指し示した。
「おお、あれが……」
矢切は坂木を追い越し、しっかりとした足取りで竪穴へと歩み寄る。とても103歳とは思えない軽やかな動きだった。
――さすがは、人間国宝。
老いを感じさせない矢切の背中には、超人的な生命力を感じずにはいられない。
竪穴の前では、魔女の仮装をした一人の少女が、膝をついて海に祈りを捧げているところだった。
「私がいなくても寂しくないように、天国でもマーリウに友達を見つけてあげてください」
祈りを終えた少女は、おもむろに立ち上がると、陽光を反射する海にカボチャを一つ投げ入れた。
その様子を見ていた坂木は、少女に向かって質問をする。
「マーリウはカボチャが好きだったのかな」
すると少女は、頬を膨らませながら首を左右に振った。
「マーリウはカボチャなんて食べません」
カボチャを投下したのは今日がハロウィンだからだという。マーリウとは少女が飼っていた観賞魚の名前だった。
「そっか、ごめんごめん」
坂木の国ではハロウィンにカボチャを投げる習慣はないのだが、独自の文化を構築するこの海上都市では、カボチャの投下は年中行事の一つになっていた。
生活様式が変われば、祈りの形も変わる。地上を離れて暮らす彼らにとっては、海に返すという行為には特別な意味合いがあるのかもしれない。
とはいえ、文化の違い以前に、少女が魔女の仮装をしている時点で、ハロウィンを連想すべきだったのだろう。そういう意味では、洞察力を欠く自分はボディーガード失格なのだと坂木は思う。
そもそも、どうしてホテル屋の自分が人間国宝の通訳兼ボディーガードに指名されるのか、坂木にはその理由がさっぱりわからなかった。
「お嬢ちゃん」
少女の前に立った矢切が、微笑みを浮かべながら尋ねる。
「もう一度マーリウに会いたいかな?」
坂木が訳すと、少女は矢切を見つめたまま静かに頷いた。
「マーリウに会ったら、友達の作り方を教えてあげなさい」
そういうと矢切は、羽織を脱ぎ捨て、胸の前で両手を合わせる。
――やるつもりだ。
一連のその動きは、矢切が舞を披露する際の合図でもあった。
人間国宝、矢切重太郎。稀代の舞踊家として名を馳せる彼の踊りは、その特殊な波及効果によって鎮魂の舞と呼ばれている。
終わることのない永遠の弔い。二度と会えない死者への想いは、行き場を失ったまま、形を変えずに生者の心の奥底に留まり続ける。
矢切の踊りには、そんな生者の潜在意識を刺激し、死者を夢枕に立たせるという波及効果があった。
「今夜は寝る前にマーリウの名前を呼ぶこと」
鎮魂の舞を披露した矢切は、肩で息をしながら少女に語り掛ける。
「いいね?」
「うん、わかった」
ありがとう、といって走り去る少女を見送り、矢切は休む間もなく再び歩きはじめる。
「さあ、行こうか。ハロウィンの子供たちが待っている」
向かう先は、竪穴の頂点に設置された天空演舞場。上空では、飛行するドローンの編隊が『Jutaro Yagiri Requiem Dance』という文字を空中に投射していた。
「やはり、歳には勝てないなぁ」
渾身の踊りのあとでは、さすがの矢切も疲労の色を隠し切れない様子だ。その身体を支えるのも同行者の役目と思い、すかさず坂木は矢切のかたわらに寄り添う。
「体力は温存してくださいね。本番はこれからなんですから」
「練習も本番もない。舞は祈りと一緒だ」
否定ではなく、諭すように矢切はいった。
今日はハロウィンであると同時に、半年前に死去したマイルストーン初代市長、ジュピター・ハロウィンの追悼式が執り行われる日でもある。市民のみが参加できるこの式典に、矢切は鎮魂の舞の踊り手として招待をされていた。
「一つ、お聞きしたいことがあるのですが」
天空演舞場の舞台袖で、出番を待つ矢切に尋ねる。
「どうして私を同行者に指名したのですか」
開演を直前に控えたこのタイミングでの質問は、場合によっては相手の機嫌を損ねてしまう恐れもある。尋ねる坂木には躊躇があったが、それと同時に、このタイミングでなければ本心を聞きだせないという思いもあった。
「それは……」
矢切の答えは意外なものだった。
心の奥底にある一つの感情が、スポットライトを浴びて光り輝く。
こみ上げる想いをなんとか押しとどめて、坂木は「いってらっしゃい」と矢切を送りだす。
眼下には圧巻の光景が広がっていた。
海上都市の各層には、竪穴の外周を取り囲むように大勢の市民が集まっている。
――こんなにもたくさんの人が……。
建造初期の姿を思うと、都市として成熟した現在の光景には感慨深いものがあった。
海上都市の建設に貢献した人物として、外国人としてただ一人、名誉市民の称号を与えられた自分が、まさかこのようなかたちでマイルストーンを再訪することになるとは思ってもいなかった。
あれから何十年経ったのだろうか。過ぎ去った時間は定かではないが、初代市長ジュピター・ハロウィンの笑顔は、いまも鮮明に思いだすことができる。
『ほかの誰でもない。親友のきみが、一番、彼のことを想っているから』
先ほどの矢切の言葉が呼び水となり、心の奥のジュピターとの思い出が蘇る。
――今夜、夢の中で、彼となにを話そう。
仮装した矢切が、市民の祈りを全身に受け止め、踊っている。
ジュピター・ハロウィンの子供たち。
竪穴を囲むマイルストーンの市民たちが、母なる海に祈りを捧げながら、いっせいにカボチャを投げ入れる。
(了)