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2019年の1冊「急に具合が悪くなる」

人は色々な偶然と出会い、その度に悩み、もしくは気の赴くままに選択を繰り返し生きるものでしょう。「病」という偶然に振り回された私の2019年は悩みが多かった1年でした。

そんな1年を、ある1冊の本を紹介するという形で総括しようと思います。

帯に「まだ書ける?」「なめんなよ、磯野真穂!」とあるこの本は、7月に乳がんで亡くなられた哲学者 宮野真生子さんと人類学者 磯野真穂さんが、「病」について本気で言葉を交わした往復書簡です。書簡の宛名や〆の記名、書簡に添付される写真のコメントを見ていると、女の子同士の交換日記の様な微笑ましさも見え隠れするのですが、言葉を交わし続けながらお二人の関係性が深まり、宮野さんが本当に急に具合が悪くなると、「病」についてソウルメイト同士が語り合う様相に変化していきます。お二人はたった5回しか対面したことがなく、本書は20通の書簡のやり取りが終えて3ヵ月経たないうちに出版されました。

私はこの本を、医療者である自分、患者になった自分に投影しながら読みましたが、婦人科で手術を受けて患者になった自分にとって、大事な本と出会えたように思います。

往復書簡の6便「転換とか、飛躍とか」の136ページの宮野さんの言葉。

整った、遊びのない言葉たち。会話のはずなのに、書き言葉にどんどん近づいてゆくのが、病気についての語りです。その語りは一貫性を持ち、余分なものを含んでいませんので、当然ほとんど動きがありません。

 そうなんです、自分の2019年をこの本の書評という形を借りて書こうとしても平坦な文章になってしまうんですね。病を語るということは、本当に遊びがないのです。

病気を持つ側は、こんなことを言ったら相手の負担になるのではないかと気遣い、同時に、相手に負担と思われてしまった時に自分が抱えるであろう傷の深さを恐れて口をつぐみます。-148ページ磯野さん

でも、遊びをなくしているのは語りを聴く側ではなく、病を語る側かもしれないと患者フェーズに居た私は思います。

病気で不安に駆られた私は、合理性で未来を予想し、自分を守ろうとしていました。ー96ページ宮野さん

病に対する知識を武装することもそうですし、病のことを知らせるのはこの人たちまでとルールを決めることで、自分を守ろうとする気持ちには深く共感しました。でも、それってカッコつけてるだけかもしれない。往復書簡のやり取りに遊びが足りなくなってきたことを感じた磯野さんが、6便では遊びのある会話としてお二人のLINEのやり取りを書き、書簡の最後に必ず書いていた質問を省略しました。宮野さんの書簡の最後に添付されていた生蕎麦の写真のコメントが印象的です。

磯野さんが長野から送ってくださった生蕎麦。「副菜の呪い」にかけられた女は「一手間加えざるとえない女」でもあります。こういうところでかっこつけちゃうのがいかんのかもしれない。ー142ページ宮野さん

たぶん、磯野さんが作ってくれた遊びという余白からポロっとこぼれた本音なんだろうと思います。今、こうしてキーボードを叩いていても涙がでます。「副菜の呪い」かあ。わかるなあ。一汁一菜でいいやん、って言える人が羨ましいんですよね。私も、もう少し楽に生きた方がいいんだろうなあと思いました。

偶然と選択と覚悟を繰り返して今を生きている

その場の人たちとの会話の中で戸惑いながら、自分の生き方を患者と家族のあいだ、あるいは病者と友人とのあいだで手探りしている。それがいろんな人が生きていることの実態じゃないのでしょうか。ー196ページ宮野さん
自分の存在を患者という役割で固定することにもつながっているんじゃないでしょうか。そのとき、人は自分の人生を手放すことになります。ー116ページ宮野さん

患者という看板を背負うと、周囲から「無理するな」「休め」の大合唱が始まります。当たり前ですよね、休むのがある意味仕事になりますから。100%患者になることを選択する人もいるでしょう。私はというと、割りきって休むことを楽しんでいた一方で焦りも感じていました。Twitterのタイムラインに居る仲間たちの時間軸は、それまでと変わらず流れているのに、自分だけが停滞しているように見えることもありました。いったん患者モードに浸かると、これまでの自分に戻れないのではという恐怖も感じました。そんな恐怖感に抗うように、休職中もパソコンがあれば出来る書き仕事や、ため込んだeラーニングの課題と向き合っていました。やっぱり働いていたい、生きていたいのだと思いました。でも、それって論理的に考えた結論でもなんでもなくて、それが心地よいという自分の感性に従ったまでなんですよね。人は、両親から生まれた運命は選べなくとも、食べるもの、着る服、進む学校、部活、塾、大学進学、就職、住む場所、結婚などフェーズの大小を問わずに色々な選択をして生きています。その結果が今の自分であり、それを受け入れるのが覚悟なのかなとも思います。

”もし運命というものがあるのなら、それは生きる過程で降りかかるよくわからない現象を引き受け、連結器と化すことに抵抗をしながら、その中で出会う人々と誠実に向き合い、共に踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気であるような気がしています。ー215ページ磯野さん
”私が偶然性を引き受けて生きることの意味を哲学的に問い、語り続けてきたのは、まさに私が偶然からひかれるラインと踏み跡を刻む自分の大切さを伝えたいためでした。-224ページ宮野さん

上記は最後の往復書簡である10便からの引用です。磯野さんが、宮野さんとの往復書簡のやり取りをやめる選択もあったのに、受け入れて続けたことから生まれた言葉です。死の恐怖と戦う相手とのやり取りですよ、身内でもなく実際には5回しか対面したことがない相手ですよ。共に踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気、ってこういうことなのでしょう。書評として言葉を引用するのが本当に難しい本でした。美しい言葉が多く、印象に残る言葉を書き出すだけで4000文字超えてしまったんですから。なので、まずは手にとって読んでほしいです。

最後に。

患者たちはリスクに基づく良くないルートを避け、「普通に生きてゆける」ルートを選び、慎重に歩こうとします。けれど、本当は分岐ルートのどれを選ぼうと、示す矢印の先にたどり着くかどうかはわからないのです。
ー29ページ宮野さん
客観的なデータは、一人で歩いて患者の元にやってくるわけてはありません。それはある具体的な文脈に埋め込まれ、医療者の口から具体的な言葉としてお話として語られます。当然のことながらそのお話には医療者が思う未来予想図とその地図の中で理想的な振る舞い方が埋め込まれています。患者はその話を聞き、提示された未来から自分の明日、三日後の生き方を決めてゆきます。ー39ページ磯野さん

薬局で働いていると、「貴方の選ぶ薬を信じる」だとか、「○○先生が出してくれる薬ならきっと効く」など、およそ科学的根拠から遠く離れた言葉をかけられることがあります。そこには信頼があるからです。仕事で自分が発する言葉に意識的でありたいと私は常に思ってきましたが、私たちが発する言葉の先に患者さんの未来があることをお二人の言葉が教えてくれました。心に刻んで仕事を続けたいと思います。


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