ライフステージが変わる時なぜしんどい?【人生を攻略するためのマチュリティレベル理論】の全体像
人生には様々なステージがある、とわたしは考えています。ステージといっても、階級のようなものではなく、その人の状態をあらわすものなので、RPG(ロールプレイングゲーム)のような感じです。
RPG・・・参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力し合い、架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲーム一種である。 (Wikiから引用)
ロールプレイングゲームは、様々なレベルに合わせて試練が与えられ、それを乗り越えていくというイメージが強いのですが、現実社会もまさにそれと同じだなと思うのです。(実はちゃんとやったことはありませんが。笑)
そんな人生ゲームをわたしなりに表現したのが、マチュリティレベル理論。
この理論では、体験する現実には4つのステージ(レベル)がある、としています。
それぞれのステージでは、それぞれの課題やテーマ、身につけていくスキルやギフト、そして覚醒(人生を変えるレベルの気づき)があります。
また、それぞれのステージにおける個人にとっての幸せの形が異なります。ここが重要ポイント!
求める幸せの形は変化するという前提なので、”理想の幸せ”というのさえ本当はそのステージによって見せられている夢だということ。それを悲観する必要はなく、ただ楽しめばいいのです。
特定の幸せの形にこだわること、それが執着を生みます。ステージが変わる時、幸せの形が変わります。ヴィジョンも変わりますし、見える世界も変わっていきます。それを新しい形に移行している・・・と思えればいいのですが、なかなかそうはいきません。
人は無意識に描いていた幸せの形が変わったり壊れたり消えたりする恐れを抱きやすいんですね。
”これはゲームなんだ”と思って楽しむことが出来るようになること、それがマチュリティレベル理論の意義なので、「何もかも幻想だとか言いやがって!!」とお怒りのクレームは必要ございません。笑
事件はすべて、一棟のビル内で起きている!?
さて、4つのステージをわかりやすくするため、個々の人生を1棟のビルだと考えることにしました。まずはこのようなイメージをしてみてください。4階建のビルがあります。
このビルは4階建としていますが、実際には5階部分(屋上)もあります。
ビルのなかにいるとき、それぞれのフロアから見える景色は異なりますよね。ただ、ビルの中にいるときは、外の景色を360度いっぺんに見渡すことができませんが、屋上に上がれば全部が見えます。というか、屋上に上がることで外の世界とつながります。
屋上が”真如(さとり)”の階だとしましょう。
ビルの屋上に上がったとたん、今までにない世界がいっぺんに見えて、そしてその世界との間に隔たりがなくなり、つながるということです。
ビルそのものが”わたし”という個人意識なのです。
そんなビルを、わたし達は1階から5階までを上がったり下がったりして過ごしています。
あなたがビルの何階にいようと、外の世界は基本的に変わりません。しかし、どのフロアにいるのかによって”見える世界”は異なります。
もちろん、ビルの中にある各フロアもそれぞれ違う世界です。
※ただ、ビルの中にすらいない、ということもあります(笑)その時は”自分という存在”や”自分という個人の人生”にほとんど興味を持っていない、としています。
だいたい何かをきっかけにして、心に興味を持ち出したり、自分の生き方について考えるようになったり、自分を深く洞察するようになって、ビルの中に入っていきます。
どのフロアにいるのかによって”見える世界”は異なります。
どのフロアにいるのかによって、出会う人も変わります、体験する世界が変わります。デパートと同じで、1階で売っているものと3階で売っているものも違います。1つのフロアが1つの世界なので、1階にいる人は3階に行ったことがなければ、その世界のことを体験・体感できません。(フロアガイドで読むことはできます)
『事件は外で起きているんじゃない、ビルの中で起きているんだ!』
全力でパクってますが、つまりはそういうことです。(どういうこと?)もう少し詳しく解説します。
各ステージごとに違う世界が広がっている
実は、ステージごとにテーマや課題、ギフトなどが違います。
例えばざっと分かりやすいように解説すると、以下のような感じ。(ここからは、フロアをステージと表現します)
【各ステージごとの課題・共通テーマ】
ステージ1:気づく、認める
ステージ2:感謝する
ステージ3:意図する、読む
ステージ4:受け取る
ステージ5(屋上):Suchnessの世界
クリアすると、上ステージにあがります。
それぞれのステージごとにテーマが違うので、どのステージを生きているのかによって向き合う課題も違うし、得られるギフトも違います。もちろん、生き方も異なります。生きる上での前提が全く違うのです。
ただ、勘違いして欲しくないのは、どのステージにいようとその人の本質的な価値は変わりません。
ステージ1にいるからダメ、ステージ4にいるからいい、ということを言いたいわけではないです。
また、屋上(さとりのフロア)に行くことが人生の目的ではありません。少なくともわたしはそれを目的にしてこの理論を述べるつもりはありません♪
よく、『すでに全ての人は悟っている』と言われますが要するに、あなたがどのステージにいようが、どんなにあがこうが、人生詰んだ・・・終わった・・・と思おうが全てビルの中で起きていることであって、その幻想(ビル)というのが解かれたときに、全部消える、ということです。
でも、実際にビルがなくなるということは『わたし』という個の意識がなくなるということ。
結論、”わたし”という個人も幻想だ・・・ということなのですが、うん・・・結構生きる上では、どうでもいいことかも・・・笑
そんなことを知ったとしても命が続いていくんだったら、別に”わたし”を楽しめばいいじゃん!(ビルの中を楽しめばいいじゃん)というのがわたしの考え方です。悟るとか悟りとか、結構どうでもいいという見解をしている奴です(おい)
わたしは”わたし”を楽しみたい、以上!
(といってここで記事が終わるわけではありません。笑)
(25歳・・・?若い・・・)
さて、
基本的にステージは下のフロアから上がっていきますが、時と場合によって上のステージから下のステージに戻ることもあります。
それは、一段下のステージにおいて、やり残していることや、受け取れていないギフトなどがあった場合、体調が悪いとき、何かをきっかけにして(周りの環境など)
本人の意思だけではなく、環境の変化や体調の状態などによっても、その時いるステージは変わるということです。
マチュリティレベルという形でステージを分けた理由はシンプルです。
各ステージごとに起こりやすい問題(これも幻想)や、生き方や、成功という概念が違うので、知っておくと今の自分の現在地がわかりやすくなるし、ステージごとの解決方法が違うので、楽になりやすいから。
人生はゲームのようなものだとしたら、意識のお勉強をするにしたって自分がどのステージにいるのか知らないままより、知った上で攻略法を学んだ方がいいですよね。
本当は、
『アカンわ、今2階に降りて敵と戦っておるねん』
『ちょっと今調子悪くて1階に降りたから休むわ』
『ちょっくらビルから出るわ、今日』
『最近自分、4階におりますんで』
という風に使ってもらいたいなーなんて思ってるんす。(ノリ軽い)
成功の定義も全くちがう
もう少し理解するために、例えば、各ステージごとの”成功の定義”をみてみましょう。
【各ステージの成功とは】
ステージ1:問題を解決することが成功
ステージ2:感謝すること・されることが成功
ステージ3:意図して想像することが成功
ステージ4:ただただ自然とともに自然に生きること(DOをしない)ことが成功
このようになってくるため、自ずと各ステージごとに”必要となる課題”が違います。
※与えられる課題ではなく、無意識に求めてしまう課題のことね!
ステージ1:問題を解決することが成功
なので、とにかく”問題”が必要です。問題を解決する術を競い合っていますし、できるだけ素早く沢山の問題を解決できるようになろうとします。
大きな問題であればあるほど良いので、ステージ1に根を張っているときは、問題が絶えません。
1つ減ってまた1つ増やします。あれもこれも問題で、なんとかしなければいけない!と常に思うことが当たり前のステージです。
ステージ2:感謝することされることが成功
問題解決とちょっと似ていますが、とにかく”他者の評価”が必要です。他者から感謝されているかどうか、感謝できるかどうかが成功の基準です。
そのため、他者の評価を出来るだけ獲得することが必須なので、自己評価は低くなければいけません。
違う表現をするなら、ステージ2において成功されるためには”愛される人になる”ことが必要なのです。(愛されない、が必須となります)
ステージ3:意図して想像することが成功
問題も他者からの評価も必須ではありませんが、ヴィジョンを持ってそれを創造し、現実の形にすることが成功の基準です。
どれだけ自分のヴィジョンを表現したり、形にしたり、することができるか、が大切になってくるステージです。
感謝されるためでも愛されるためでも問題を解決するためでもなく、”自己実現するため”が基準となります。
ステージ4:ただただ自然とともに自然に生きること(DOをしない)ことが成功
ここはもう、空とか海とか木々とか土とかwそういう自然界の動植物と同じ生き方をするステージです。
意図的に何かを創造することなく(個人の解釈をすることなく)ただ自然と起こることに身を任せ、自然とともに、自然の一部として生きるステージです。
禅の思想みたいな感じだなぁ、とわたしは解釈しています。(このステージはもはや、仙人のようだなと思ってますw)
屋上:もはや言語化不可能。スルーします。
例えば、潜在意識やスピリチュアルな法則、精神世界について伝えている人の中でも、”こんな生き方をしようぜ”とか”こういう風に生きるのが正解だ!”という感じで、それぞれの成功の定義を持っています。
引き寄せの法則は一貫して『意図せよ』ばっかり言うけど、ある心の先生は『感情を解放すれば全てうまくいく』とも言う。
一体、なにを、どうすることが正解なんや!と若かりし頃は散々思っていました。
人のいうことなんて気にせずに自分のやりたいことを形にするのがいいんだよ!
と言う人はステージ3の生き方を提唱していますし
全ての問題は幻想だよ、あなたが創りだしているから気づいてね!
と言う場合はステージ1のことを指しています。
自己肯定感をあげよう!そうすると周りの人からも愛されるよ!
と言うのはステージ2のことを指していますね。
どれもある意味、正解なの。
伝える人、伝えている内容によっても、どのステージで困っている人に向けた内容なのかが違うんですね。
毎度のことながら、どのステージを生きることに正解不正解はありません。単純に、それぞれのステージにおいて体験する世界が全部違うだけなんです。
あの人「浅いよねえ」の真実
また、こんなこともよく起こります。
心のことや精神世界のこと、潜在意識のことを学び出したときは、ステージ1にいてアタフタしていた人が、学びを通して気づいたらステージ2に上がっていた・・・。
そうなると、今度はステージ1にいた頃に聞いていた心の話や、方法論というのがしっくりこなく感じたり、物足りなく感じたり、するんですね。(あの人の言っていることやコンテンツは浅い!とか言い出しちゃうことも)
逆にステージ3の人が提唱する世界は、ステージ1をクリアすることに今必死になっている人からするとちょっと現実味がなく聞こえるかもしれません。
自分にもステージ1にいた時があった!と気づけている人はそこに思いやりを持つことができますが、そうでなければマウンティングとなることもあります。駆け足で3階まで走ったけど1階に忘れ物して結局取りに行かなきゃいけなくなったりすることもあるので、高いところから世界が見えたと思いきや急に何も見えなくなる、なんてザラにあるということ。
やさしくいたいですね。(そう、これが言いたかっただけ)
楽しもう、学ぼう、考えよう、攻略しよう、喜び合おう
ずっと心のことばかり学んでお金かけていると、セミナージプシーなんて揶揄されちゃうこともある業界ですが、ステージごとの攻略法が違うんだから、めっちゃ時間かけて学んでいいでしょ!と思っています。だって、1つのステージの攻略だけでも結構、いろいろあるんだもん。
(ただ、同じステージのことをずっとグルグル学ぶのはお勧めしません。ほんまもんのセミナージプシーになっちまいます)
基本的に、どのステージにいたいのか?ってことだと、思うんです。住む場所と似ているかな。
旅行先でいいところ
たまに行くのが楽しいところ
とりあえず今住んでいたいところ
ずっと住み続けていきたいところ
色々あると思うの。
ステージ3がホームだけど、ときにはステージ4にいてみたり、ステージ2を楽しんでみたり、ステージ1のわちゃわちゃに付き合ってみたりする。
基本的には我が家がホームだけど、たまには超高級なホテルにも宿泊するし、安宿に泊まることもできるし、シェアハウスに住もうと思えば住める、なんなら野宿でもOK!みたいな。
許容範囲が広い+自分のホームは自分で決める、なんでもいけるけど、なんでもいいわけじゃない。
このバランスだと思うんですね。
どのステージにいるべきなのか?と執着すれば、それはそれで苦しみでしかありません。あなたはどのステージが楽しくて好き?それで選ぶのが楽しい。
そのためには、とりあえず一応全部のステージに行ってみる!ってのは選びやすくなりますよね!だから、今自分がどこにいようと、そのゲームという名の旅を尊重してあげてくださいな。
また、誰かのことを指差して『あいつはまだステージ1にいるー』と非難するのも本質ではありません。こういったことを仕事としてやらないなら、人のステージには首突っ込まず、基本的にほっとけ!です。
ただ、ゲームと似ていて・・・どのステージにいるかによって出てくる敵が違ったり、使える武器が違ったり、得られるギフトが違ったり、戦いの難易度が違ったりします。もちろん、各ステージにも怪物がいます(笑)
そういう怪物とか使える武器とか、助け合う秘訣とか攻略方法とかを解説するのがマチュリティレベル理論。
最後に、よくある典型”しんどい”パターンを
この記事の〆に、よく起こりがちなことを説明します。
勉強しまくって”理解”だけがステージを上がってしまい、あなた自身の状態がまだ違うステージにいるケース、というのがあります。
例えば、あなた自身はまだステージ2にいるんだけど、知識だけがステージ3にいっちゃうと・・・
自分自身と知識とが乖離します。
頭でっかちとはこのことですなぁ(身につまされますなぁ苦笑)
頭では知識も理論も法則も分かっているけれど、ナチュラルにそれが出来るかって言われると・・・そうじゃないことってありますよね。
知識だけが上の方に行き過ぎてしまうと、自分自身との乖離が起こり過ぎて下手すると病みます。
「分かっているのに、どうして出来ないのだろう」
「たくさん勉強したはずなのに、どうしてこんなに問題だらけなのだろう)」
ちょっと厳しめのことを言えば、マチュリティレベルのステージって”実践”がないと変わっていかないんです。知識はそれをお手伝いするもの。実践していく上でこそ、役に立つものなのです。
では、各ステージごとにわたしたちが実践し、鍛えているスキルはなんでしょうか?出会う敵は?攻略法はなんでしょう。楽しみ方は?
次の記事では、このあたりをより具体的に解説したいと思います。
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