『やりたいことがある奴が勝ち』みたいな風潮にさらされて心の風邪を引かぬよう。
寒い季節になりましたね。わたしは寒暖差アレルギーとやらと闘いながらあまり眠れず、とうとう『快眠のプロになる!』と宣言する夢まで見てしまいました。どうやら病んでます。
さて、表題の通り。昨今はやりたいことがある奴が勝ち組み、やりたいことがない奴や分からない奴は負け組、のような風潮がますます強くなっているようですが、いつも疑問があります。
やりたいことをやるってのと、好きなように生きる、ってのは同じことなのに、どうしてやりたいことを仕事とか活動としてやっていなければ、あんまり価値がないように扱われるのか?という疑問です。
やりたいことを仕事にしていなくても、やりたいことが分からなくて特にしていない感じがあっても、好きな人生や好きな自分でいられていると感じるなら、それも良いのでは?
やりたいことをやって生きることと、やりたいことを仕事にして生きることは、似て非なるもの。
やりたいことをやろう=やりたいことで独立!転職!仕事!
これは危ない直訳なのではないでしょうか。
あくまでもわたしの主観ですから、もちろん違う訳し方もありますが、今日はこのまま主観オンリーで突っ走らせて頂きます。
あなたは今のあなたに満足をしているか?幸せか。
例えば、Aさんは特にやりたい仕事をやっているわけではありませんが、自分の好きなように生きています。不自由なく生きていける収入をもらいながら、友人も付き合いたい人とだけ付き合い、自分の時間がちゃんとあって趣味もできるし、結婚はしなくていいとは思ってるけど彼氏は欲しいと合コンを楽しむ余裕がある。つまり総じて、幸せなAさん。
きっと、メディアとかキャリア関連の特集とかインタビューには出てこないであろう人物ですが、やりたいことが特にあるわけではないけれど幸せに暮らしています。
一方、Bさんは自分のやりたいことが分からなくなってしまい、必死に探しています。情熱を持って取り組める仕事や、やりがいのある仕事を見つけるためにいろいろ動き、転職活動をしています。
焦りや置いていかれる感がいつもあって、はやく自分の生きがいとなるような仕事や活動を見つけられたらいいのに、ワクワクできることはなんだろう?と考えていますが、日常はあまり楽しめていません。
AさんもBさんも、わたしの主観によるただの事例です。
AさんもBさんも、どちらがいいなどとは決められないはずです。
最後に委ねられるのは結局、『で、あなたは今の人生に満足していますか?』の答えだと思うのです。
人生がやりたいことを教えてくれた説
私は、大きな目標やヴィジョンを抱くことが苦手なタイプです。
情熱的に何かを始めることはあまりなく、多くはインスピレーションや直観で、時には「あらーわたしこういうことするのかー」と“なんか見えた”と怪しい理由ではじめます。ワクワクとは結構無縁なタイプです。
かといって楽しくないわけでもありません。情熱がないわけでもありませんが、どちらかといえば目標達成に向けた情熱よりも、目の前のもっと小さなことに関する楽しみな気持ちや、発見の喜びが原動力です。
昔からそうでした。20歳で独立したのも、『はじめたのではなく、はじまっていた』が本当のところ。
大きな目標を立てようと邁進すると身体がしぼんでしまうのです。これは何のメンタルブロック?と何回か真剣に探りましたが、『こりゃ、性質だな』という結論にいつも至りますので、最近ではもう気にもしません。それでも楽しくやれています。たまに『やりたいことが分からなくて辛い病』にかかりますが。
基本的に美味しいご飯があって、お布団に入る瞬間があるから、毎日幸せです。
思えば、小さな目の前の情熱に集中していると、気付いた頃には大きくなっている、そんな10年間でした。一つ一つのことに意義が見出せるなら、一つ一つが最終的に組み合わさっている何になるのか?それは自然に任せる感じでした。
例えば、
Aという仕事
Bという仕事
Cという仕事
Dという仕事
一つずつに、やる意味とか楽しさとか見出して実行する。その楽しさややりがいはバラバラ。
それが何になるのかまで考えると、一つのことに対する気持ちがしぼんで、疲弊してしまうのです。
でも、大きなことを考えずにABCD、4つやり終えると、自分ではない“何者かが”わたしの仕事をつないでくれるのです。
これ!という目的のためにABCDという4つの仕事をやるのではなく、
4つの仕事を別々のやりがいでやっていたら、気付いた頃にはこの4つが何やら一つのものになっていた、という感じ。
いやぁ、我ながらに読んでいてもよく分からない抽象度なんで、もう少し具体的に説明させてください。
例えば、
A…グラフィックの仕事、フォトショップいじってあれこれ素材作りをする。基本的に好きな仕事、でも本職にはしたくない。
B…講師をする仕事。来てくれた人との空間を、オーケストラの指揮者のように動かすのが楽しい時間
C…マンツーマンでコーチングやリーディングをする仕事、目の前の人に真剣に向き合う時間がとても好き
D…コンサルティングの仕事。必要な情報をまとめて整理し、ディレクションして道をつくることが気持ちよくてとても好き
この4つの仕事はやりがいも違えば、楽しさも違う。やってる人格も違うでしょう。もし、わたしの働く目的や意義がひとつに絞られるとしたら、この4つの仕事を楽しみづらくなります。
しかし、4つそれぞれ別のやりがいや楽しさ、小さな目的を持って取り組むと、気付いた頃には全体がまとまってきて、総合すると
“自分の得意なことを、目の前の仕事に向けて活かすこと”
が楽しいのだということがわかってくるのです。これが社会に何か貢献するか?と言われればしない。他者貢献に繋がるか?いや、しない。
“自分の得意なことを、目の前の仕事に向けて活かすこと”
が楽しいのであって、それが全ての仕事における目下の目標。だから私の目標達成は早いのです。他者評価を待ちませんから。
そして結果的に、
“自分の得意なことを、目の前の仕事に向けて活かすこと”
だけに集中するということを徹底した方が、クライアントにとってもいい結果が生まれるようでした。あくまでもわたしの場合は、ですが。
これは、頭をひねくり回しても見えてこないものです。考えるのではなく、素直に楽しいと思うことを、あるいは“楽しいと思えるように”目の前のことをやり続けた結果、
わたしの人生が教えてくれたこと
だと思っているのです。
わたしの人生が教えてくれた、わたしのやりたいことは
“自分の得意なことを、目の前の仕事に向けて活かすこと”
でした。そしてこれから更新されるかもしれませんし、このままかもしれません。
人生の見せてくれる“生きがい”が、少しずつ編まれていき、新しい模様が現れるのを楽しみにする感じなのです。
最近は少しずつ、また自分のところにやってくる仕事の種類や、頂くお話や、転がり込んでくる不思議なご縁のおかげさまで、
また小さな楽しみが増えているのですが、やはり大きな目的は見えません。
だけど、わたしは実体験で確信があるのです。そういった、なにやら大きな目的、使命というものなのかなんなのか、そういった“生きがい”とか、“働きがい”とかいうものは、人生が教えてくれるのだ、という。
だから、来た仕事の中で
“わたしの得意なことを、目の前の仕事に向けて活かすこと”
が出来るなら全て受けるし、楽しくすることができなさそうならお断りする。
熱いヴィジョンに共感とか、熱い想いに共感とか、残念ながらそういうタイプではないのですがそんな自分を許したことで、ずいぶんと息がしやすくなった気がします。
やりたいことやろうが、サジェスト(提案)からマウンティングになる時
やりたいことが何かわからなくて苦しいなら、やりたいことは人生が最終的に教えてくれる、というくらい割り切ってみて、もう少し目の前にあることを『自分的に楽しくするならどうやってやるか?』と考えてみるのはどうでしょう。
それさえも苦しいならば、やりたいことをやらずして死んでいく人の割合を想像してみるのもいいかもしれません。それを虚しいものとして捉えるのではなく、そうだったとしても一人一人の人生がそこにはあった、という事実が見えるとニュートラルになれる気がします。やりたいことやって死んだ人が3割なら残り7割は違うとして。かといってその7割の人の人生を否定はできません。そこにだって人の命があったわけですから。
いずれにしても流行によって生み出されるその時代特有の“心の風邪”はあるわけで、無意識のうちにあなたの心も『やりたいことやろうぜ風』によって冷えてしまわないように。
インターネットに転がっている様々な主張が、サジェスト(提案)か、マウンティングか。
そのどちらなのかを決めるのは、受け取り側の管轄なのです。マウンティングのような主張があっても、まともに喰らわずに提案レベルとして落とし込む力は、磨いていきたい読解力のひとつかもしれせん。
やりたいことをやろうぜ!を一つの提案として受け取り、自分の生き方に調合してうまく使えるようになるといいよなぁ、なんて思いながら、今日も『わたしのやりたいことってなんだろう、んーやっぱり分からんなぁ』と思ってお布団に潜るのでございました。(幸せです)
もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます