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七夕の日に、あなたと

「いらっしゃい」
 彼は、柔和な笑顔でドアを開け、私を招き入れてくれた。
「お邪魔します」
 挨拶と共に微笑みを返し、私は彼のマンションの三和土たたきで靴を脱ぐ。
「これ、いつものだけど。」
 トマトゼリーの詰め合わせを差し出すと、彼はゆっくりと唇の両端を引き上げた。
「あぁ。ありがとう。どうぞ、座って?」

 私はソファに、彼は一人掛けのロッキングチェアに腰掛ける。アイスコーヒーを飲みながら互いの近況について軽く話し合う。
樹里じゅりちゃん、仕事はどうなの?」
「うーん、相変わらずよ。納期はキツいし、予算はないし。ナイナイづくしを何とかすることの繰り返し。」
「何とかし続けてるってことじゃない。偉いなぁ」

 一瞬の沈黙が訪れる。一呼吸ついて、彼は改めて静かな笑みを浮かべた。
「……今年で、十年になるんだね。こうして、樹里ちゃんが七夕に来てくれるの」

 穏やかな声の調子。心を鷲掴みしたり掻き回したりではなく、表面をそうっと優しく撫でるような、そよ風みたいな寄り添い方。彼のさり気ない優しさは、出逢った頃から全く変わらない。
 一方、見た目はと言えば、少し白髪が混じり始めたし、笑った時の目尻に薄っすらと皺ができるようになった。彼と私の間に流れた時間は決して短くはないのだと痛感させられる。

 そして、私の心が、変わらず彼の上にありつづけることも。

「……考えてくれた? 私とのこと」

 女っけ一つない彼に思い切って告白したのは、一年前のことだった。

 口を開きかけて一つ息を呑み、言葉をためらう彼の表情に、もう返事を聞く前から答えはわかってしまった。私は、顔をしかめて苦いアイスコーヒーを一気に飲み干した。

「ごめん。気持ちは嬉しいけど」
 彼の申し訳なさそうな面持ちに、たまらなくなった私は、敢えて明るい声をあげた。

「やっぱりダメかぁー。星彦ほしひこさん、姉さんが亡くなった後、ずっと独りだったから。そんなに姉さんが好きで、他の女の人には気持ちが動かないなら、いっそ妹の私なら、チャンスあるかなーと思ったんだけどな」

「樹里ちゃんには、僕なんかより、もっと相応しい男の人がいると思うよ。幸せな恋愛をして欲しいな、義兄としては。
 ……じゃ、始めよっか」

 ふすまを引くと、今時のマンションには珍しい和室に仏壇がしつらえてある。彼は、姉の好物だったトマトゼリーを仏前に供え、手慣れた様子で線香に火を付ける。彼と結婚して程なく、あっけなく姉が病気で亡くなった時、まだ若い彼を慮り、姉の供養は実家で引き取ると私の両親は言ったが、
「彼女は、僕の妻ですから」
 頑として、自分が供養する、と主張を曲げなかったのだ。結果論にはなるけれど、姉の仏壇は、彼の許にあって良かった。若い娘を亡くした両親は気落ちしたのだろう、姉の後を追うように亡くなったのだから。

 彼に続き、私も仏前に線香を立て、手を合わせる。

 写真の姉は、十年前に亡くなった時のままだ。私は、とうに当時の彼女の年齢を追い越してしまっている。

 年に一度、私は義兄に会いに来る。奇しくも七夕が命日の姉を、義兄と二人で供養するために。去年の星にかけた願い――彼に女性として見られたい――は叶わなかったけれど、せめて彼が来年も再来年も、私と二人で居てくれますようにと、改めて願いながら。

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