十月第二週:異文化交流の真二つのシナリオ。最初がやっぱり肝心。
他民族で異なるバックグラウンドの集団があると、確実に起こる現象がある。より文化や外見・言語が近い集団で固まりあって、交友のネットワークがその集団の中でのみ密になる。そして、それらの集団の境界に文化の違いによる対立や競争関係ができるのだ。
イギリスの大学の最初の一週間で、学寮側とコース側でそれぞれがどんな風に起こるかを経験し、それぞれ結果が真二つに分かれているのが興味深かったのでここに記録しておこう。
学寮側で起こったこと
私の入った学寮は、ネイティブが6割、残り4割が中国や欧米系の留学生という構成だ。このうち、欧米系の留学生の8割、中国系の留学生の5割がほぼ完全にネイティブレベルの英語を話し、残りがIELTS8位をボリュームゾーンをする準ネイティブの英語力を持っている。私はこの準ネイティブ集団に属している。
最初に会った学生は、皆外の大学や企業から入って来た学生だったので、空気を読んでいる状態だった。誰にあっても初対面なのでお互いのバックグラウンドを聞いたり、多少言語レベルが低めでもそれに合わせて会話をしていた。ネイティブであろうと、そうでなかろうと、関係ないよ、という雰囲気が形成されかかっていた。
そこに一人、学寮で学部生時代を過ごしたネイティブの学生が入って来た。その学生はアジア系の学生がいると発言を無視したり、アジア系の学生が輪に入った途端周りを促して席を立ったりするようなタイプだった。その学生が来てから、「実は私も嫌だったんだよね」という形で外部からの進学生が一人その振る舞いに迎合した。それ以降は、白人でネイティブの女性だけの排他的なグループが形成されて、そのグループは白人でネイティブの男性のグループとは交流するが、他のグループとは必要がない限りは交流しなくなった。
それに伴って、輪から外された東アジア系の学生の間に連帯意識が生まれて、興味や関心事が一致するからではなく、見た目が似ているというだけである程度の協力関係が持たれるようになった。逆に言うと、見た目が似ていない学生に話しかけるときはちょっと身構える傾向が生まれたわけだ。黒人グループは非常に小さなマイノリティなので、学寮間をまたぐ形で同様な連帯関係が生まれた。インド系はなるべく白人コミュニティに入ろうとするパターンが多いが、東アジア系とも普通に付き合う向きが強い。
かくして、白人、東アジア系、インド系グループに学寮内のコミュニティが細分化されて、それ以外に共通項がある場合以外は人間関係がその外に広がりにくくなった。
コース側で起こったこと
このコースは理系専攻なので、勢い東アジア系の留学生が多い。ネイティブ2割、それ以外の白人2割、インド系1割、残りが東アジア系、というか中国からの留学生だ。語学レベルは様々かつ、学部時代の専攻も分野ごとの技術力もさまざま。ある特定の領域においてはすでに教員の補助ができる能力の学生も多い。
このコースで最初に起こったことは、教員主導のファシリテーションだった。丸二日かけて、30分単位の簡単なディスカッションや会話を促す性質のゲームを4人くらいのランダムに分散させたチームに分けて行った。そのたびにお互いに自己紹介し、一緒に話すことで、コース内で特定の仲良し集団ができて固まる前に、普通にsmall talkをしたりちょっとした相談ができる相手が沢山できた。
この二日間に限らず、多くの教員から、多方面から助言があった。
文化の多様性を許容するコミュニティほど、これまでいい成果を出している
採点方式はすべてコース内での競争ではなく協力を促すものになっている。お互いに競争関係じゃないから、知っていることはお互いに教えあうこと。
このコースの学生は意図的に非常に多様なバックグラウンドから選ばれている。数学が得意な学生もいれば、プログラミングが得意な学生もいる。なるべくたくさん友達を作ること。
今同じクラスにいる誰かが将来の重要なキーパーソンになりえる。そんなときに気軽に相談できる関係をみんなと作っておけ。
文化の違いがあることを理解したうえで、相互理解をはかること。
こうやって、最初の空気を読んでいる段階でしっかりと「望ましい行動の方向性」がゲーム様式で刷り込まれたため、白人・中国人でぱっきりとクラスの仲良しグループが分かれることは無かった。何となく、言語力レベルや年代で仲良しクラスタはできつつあるけど、それでも言語能力が多少低いからと言ってつまはじきにするようなグループはない。このクラスなら私は誰とでもランチを食べられると思う。まあ、貧乏性すぎるので一人で果物齧ってるけど。
空気が出来上がるまでの最初が大事
大学のTermが始まってからものの1週間で、学寮側とコース側でぱっきりはっきりと交流の質が分かれていくのを目の当たりにしてしまった。最初の軽微な介入によって、その後の人間関係がここまでか、というほど変わっていくのだ。
むろん、学寮側の学生も馬鹿ばかりではないので、ぱっきりはっきりと排他的なクラスタはごく少数だ。でも、そういうクラスタが存在することでどうしても見た目が違う学生に話しかける前に身構える必要が生じるのだ。そのちょっとした「ため」が交流を阻害する大きな要因になっている感じがする。
そしてこれは、この学寮に限った問題ではなく、移民が多く存在する大都市のいたるところで普遍的に存在する、小規模な文化の島と、その間で生じる紛争とも言えない規模の紛争の再生産なのだ。放っておくと絶対に確実に生じるものなのだ。白人が問題であるというのではなく、日本人と中国人だけのコミュニティなら、東アジア系でまとまらずこの二国間の界面が文化の境界になる。日本人だけなら、どうせ陰キャと陽キャで境界面が生まれるのだ。
コース主催者側の介入の仕方には長年の苦労が感じられた。このやり方がうまくいったのには、特定の民族が多数を取っていないこともあれば、一元的に能力や人気を測れないように集団の性質が調整されていることもあろう。コツをしっかり覚えておいて、いつか自分が近い立場になった時に再現できるようになりたいな!