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諏訪の水の話をさせてほしい

諏訪は古い町だ。どのくらい古いかというと、縄文時代からの街場だ。諏訪湖を見下ろす丘陵地帯には、縄文時代の黒曜石の採掘場遺跡があって、そこで採取された黒曜石の矢じりやナイフは日本のいたるところで見つかっている。諏訪は有用鉱物の産地だったため、その流通・加工拠点として発達したのだ。

縄文時代だけが華ではなく、鎌倉から南北朝時代の頃にかけては一時歴史の表舞台に躍り出たこともある(なんでも当時の出来事がアニメ化されるとか)。江戸時代には甲州街道と中山道が合流し、温泉宿が密集する宿場町として栄えていたし、近代では豊富かつ質の良い水源を活かした蚕糸絹業と精密機械工業が発達した。現代においては人口減に悩まされているとはいえ、それでも長野屈指の人口密集地で、かつ新宿からも電車かバス一本で来れる都民の気軽な観光地だ。

いうなれば、縄文時代から継続して、何らかの特質をもって人が集まる場所でありつづけたけれど、近年では、少しずつ物事の中心から外れてきたのだ。そんな場所には過去の痕跡が色濃く残っており、街を歩くだけでも、地域特有の風物や建築様式が目につき、付喪神どころではない古い物霊の気配がいたるところに漂っている。何があるわけでもないのに歩くのがめちゃくちゃ楽しい場所がたまにあるけれど、諏訪はぶっちぎりでそんな場所なのだ。

諏訪を観光で訪れる場合、目的はたいがい上諏訪の温泉街か湖畔の風景か、でなければ湖上の花火大会だろう。でも、それだけじゃないのだ。一言で何と言ったらいいのかわからないけど、なんだかすごく楽しい。何が楽しいのかというと、やはり水と古代信仰の名残りなのだ。そんな話を自分なりにしてみよう。

水信玄餅と水ようかん

諏訪と言えば、やっぱり湖が最初に思い浮かぶだろう。地図を見れば諏訪湖畔をちょうど丸く囲うように、守屋山や御射山、霧ヶ峰の高原地帯が並び立っていて、その山並みから31の河川が諏訪湖に流入している。街のどこに行っても坂があって、坂の数だけ小さな川がある。坂から見下ろせば諏訪湖が見えて、その向こう岸にも同じように斜面に広がる街と山並みが見える。箱庭にして掌に納めたいような地形だ。

その一方で、古くからの住民の意識の中心に諏訪湖があるかというと、案外そんなことは無い。彼らは諏訪湖の水なんて飲まない。彼らは諏訪湖では泳がない。なぜなら彼らの水質基準では諏訪湖はとても汚いからだ。住民が飲むのは山奥の水源地の水か井戸水だし、泳ぐのは近隣の澄み切った河川だ。諏訪湖の水質が水ようかんだとすると、諏訪のそのへんの道端の溝は水信玄餅だ。

比較用の水信玄餅
諏訪のそのへんの汐(せぎ)。砥川からせかれて万寿の石仏脇の田に注いでいる。
少し大きめのそのへんの汐。山葵も育ちそう。

諏訪では側溝を側溝と言わず、汐(せぎ)という。単に道路わきに排水のための溝を作ったものではなくて、川の水を堰して、誘導した水路だからだ。諏訪の景色を特徴づけるのは何といってもこの無数の汐だ。車で移動せず、歩いてみると分かりやすい。坂道という坂道の半分くらいは、小さいが水量が豊かな汐がくっ付いている。人の歩く道が川にならないように作られたものもあるし、町中に散在する田畑への水の供給のために維持管理されているものもある。
それが大規模集中的に行われるのではなく、町中の川のいたるところで住民の手作業による匙加減で形作られている。例えば、側溝が二つに分岐しているところでは、両方の水量を調整するためのブロックが置かれていたりするし、川岸には細い溝が掘ってあって水の一部を川筋から外れるように誘導してある。どこを見ても川が手仕事的な規模でせかれていて、どこを歩いていても水音が豊かに聞こえて、のぞき込めば澄み切った水が豊かに流れているような汐がある。都会の側溝とは全く異なっていて、どこにいようと溢れる河川と汐が、遠望する湖とも相まって土地の水の豊かさを主張してくる。
諏訪の坂道の歩道は、たいがい蓋をされた汐だ。蓋がされていても足元からはざあざあ音がするし、ところどころ金網になっているところからは澄み切った水面が見えて、水と一緒に運ばれてきた山の冷気がぶあっと顔に吹き寄せてくる。諏訪ほど、どこにいても「ここはこの町だ」とわかる景色がある場所は少ないだろう。


砥川の大きめの汐の一つ。
この坂道を歩くと、足元からころころざあざあ水音がする。

水は低いところに流れるものなので、わざわざ堰するということは最短経路から水を逸らすということだ。逸らされた水は、流れる代わりに田畑に滞留する。田畑に入れる前に水温を上げるために、段々を付けて水の流れを緩やかにするような汐もたくさんある。ちょうど田畑を持つ人の営みが、水源林のように斜面の街の水の流れを緩やかにし、傾斜地の貯水量を増やす機能を作っている。そういえば、諏訪大社などの御柱を取るために、川の上流の水源地に樅の木の林を維持しているのも諏訪の人たちだ。


諏訪の街の年中行事も、特に古いものほど湖ではなく山や水源地に根差している。
分かりやすいから、下社の秋宮、春宮のある位置を見てみよう。ニ社とも諏訪湖に対面するように置かれている。
秋宮は承知川のほとりにあって、水源は御射山神社として祀られている。承知川の川筋をたどるように細い林道が整備されており、登山客は川筋に沿って水源まで登っていくことができるし、そこからさらに別の林道を伝って春宮のほうから降りてくることもできる。
春宮のほうは砥川のほとりにあって、その川筋は7年に一度、御柱祭のために霧ケ峰から樅の木を伐りだすときの道筋になっている。最上流には七島八島の湿原があって、古代の御射山がある。
これらの御射山の名前や、そこで行われる行事は古代のミシャクジ信仰の祭祀に起源をもつものだという。仏教の伝来後は表立った獣肉食が捨てられた日本にあって、諏訪大社では山で得た猟の成果を神に捧げる行事が有形無形に今も残っている。街を歩けば、戸口にはお守りの矢が飾られているし、古い店には7年の更新の際に下げ渡された御柱の丸木が輪切りになって飾られている。信仰の中心は水の流れの上流なのだ。

対して、諏訪湖の有名な花火大会は盆の送り火から発祥したものだから、明らかに仏教伝来以降のものだ。もとは玄関先で白樺の皮に火をつけて、迎え火、送り火をしていたところから規模が大きくなって出来上がったものなのだ。

玄関先で白樺の皮に火をつけて送り火をする人々。この後は手持ち花火をするのが定番だ。


地元のスーパーでは夏には白樺の皮が売られている。


温泉のバイキング

もう一つ重要なのは温泉だ。諏訪湖の温泉は数百メートルの深さにある過去の火山噴火の余熱を熱源としていて、水の豊かさを反映していたるところから湧き出している。諏訪では300円で入れる銭湯が源泉かけ流し、かつ非加熱なのは普通で当たり前のことだ。しかも湧き出す場所によって少しずつ泉質や湯温が異なっており、いろいろ試して回るのもとても楽しい。

特に上諏訪地域や下諏訪の秋宮周辺では、溢れる温泉水が神社の手水や町の人の洗い場として利用されているため、無料温泉バイキング状態である。ただし洗車は禁止のところが多い。足湯は沢山あるのに。そういう意味でも、諏訪は車ではなく歩くほうがおすすめだ。


いち推しは御作田神社の石垣から温泉と冷泉が一緒に湧いているところ。洗車禁止。

宿の前の無料温泉で効き水して回ってから、次の日気に入った温泉がある宿に泊まるのも楽しそうだ。

来る人が増えてほしいけど、このままであってほしくもある

見どころがたくさんある割には、何となく地味で、公共交通も充実していない。そのため、訪れる人は上諏訪の温泉街に留まるか、車でせいぜい四社巡りする「点」の観光で満足して、街の良さも面白さも知らないままに帰ってしまうことになる。

諏訪の本当の良さは街を歩いてみないとわからないのに。確かに地味だけど、面白いものはしっかり詰まっている。ここに書ききれなかった特有の建築様式とか、何百年単位で維持されている講(町内会)とか、舞楽の保存会とか、守矢家の歴史とか、そもそも複層的にいくつのも信仰が折り重なって誰にも正体がわからない諏訪信仰とか、真っ暗な夜の春宮の片隅で木遣り歌を練習しているやばい人とか、毎回死者が出ているけど一向に熱狂度合いが薄まらない御柱祭とか、砥川の中州でいつも龍笛を吹いている怪しいおじさんとか、面白いものは沢山あるのだ。

そしてその面白さに気づくまで重ねて再訪したり、長居したくなった理由は、私の場合は「水」だった。一点集中的に非常に絵になる物があるかと言われればそうではないし、長野でここにしかない特産品があるというのでもない。すごく田舎というのでもないし、大都市でもない地方の中小都市だ。ただし、判で押したような中小都市ではなくて、分散性の見どころが沢山ある。どこにいても坂道と曲がり角があって、その先に田畑が、古い家並みが、または遠望する湖が入れ替わり立ち替わり現れる、リズム感のある景色と、どこにいても聞こえる汐の豊かな水音は、どこにいても確かに「他のどこでもないここにいる」と感じさせるし、独特の没入感を生んでいる。そのうえ温泉天国でもある。

書いているうちにも諏訪の夜は深まって、山のほうから冷たい空気がおりてくる。湖上の花火大会を見るために表に出れば、山の赤松と樅の葉の爽やかな匂いがする。こんなディテールでさえ、深山の水源地に通じる気配があり、いかにも諏訪らしい。

最近は「君の名は」とか「逃げ若」のアニメブームで少しずつ国内外からの訪問者も増えているようだけど、今後はどうなっていくだろう。
京都のようにオーバーツーリズムで住人の文化が崩壊しない程度に、ほどほどに人が来るようになったらもっと移動も便利になって、素敵なお店も増えて、住人も増えてより楽しい町になるんじゃないだろうか。
今のうちに避暑用の家を買っておくべきかどうか迷ってしまうところである。

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