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変化の中でも自由に働くには?

いま、自社のホームページを改善するためにゼロから勉強したり、SNSで発信したり、今まで不慣れだったウェブ系の仕事にも挑戦しています!農閑期でもあり、現場は他の人にお願いして気が向いたら手伝う程度にしています。有難いです。まだまだ試行錯誤ですが、新しいことを覚えるのが好きなので、ワクワクしています。いろいろな人と深くつながって蓮の魅力を伝えていきたいと思っての行動ですが、こんなに色々なことに挑戦できるようになったのはつい最近のこと。今までの仕事を振り返りつつ、就農してみて感じた、時代による価値観の変化について考察したいと思います。

就農後の違和感~自分で工夫する余地がほぼ無い~

就農してすぐのころ、希望に溢れていた自分は、まずは仕事を覚えることに必死でした。蓮根の収穫シーズンが始まった後は夫に同行して出荷にも行きました。「出荷って、すごい農家っぽい!」とワクワクしていたのを覚えています。しかし、実際に出荷に行っても、驚いたことに誰とも会話せず、ただコンテナを荷台に置いて終了しました。ドライブスルーでハンバーガーを買うのとよく似ていました。毎日、義家族と夫以外誰とも会わず・話さず、ただただ大量の蓮根の収穫に追われる日々。誰が食べるのかわからないけど、とにかくコンテナに大量の蓮根を入れて出荷場に置き去りにする毎日でした。出荷できない蓮根を毎日食べられたし、とてもおいしかったけれど、仕事が人の役に立っているのか全然わかりませんでした。ただ、生産に集中するにはとても効率的なシステムで、ただコンテナを置きにいくだけで箱詰めから販売まで全てやってもらえるので本当に便利だと思いました。

日々変わりゆく田んぼの風景や蓮根の収穫方法などは初めて目にするもので、最初はとても感動していました。でも、いつの間にか当たり前になってきて、これはまずい!と思い、とりあえずFacebookへの投稿は忘れないようにしていました。
そのうち、毎日蓮根の収穫・出荷が続いたせいか、蓮根の見過ぎで寝るときに目を閉じても蓮根の断面が見えるようになってしまいました…(笑)。ただ、お客さんの顔は見えないので、いまいち仕事に責任を持てなくなっていました。

決まった仕組みの中で努力することが美徳だった。

とにかく、仕組みががっちりと決まっていて、自分たちで変えられないことがとても多かったのです。例えば、出荷した蓮根の販売方法やお客様への食べ方の提案、価格、規格外品の加工方法などなど、関与する余地も無かった。ただ、「安い県外品に量で負けているのでもっと増産して安定供給に貢献してくださいね。品種も増産できるものに変更してくださいね」という通知だけが来ていました。取れる手段は、増産一択なのか…と思うと、家族経営でスタッフが少なく、規模拡大と増産が難しい私たちには先行きが不安でした。ただ、出荷方法はとても楽で効率的だし、産地として量をまとめるための仕組みがしっかりしているので、とても素晴らしいシステムだと思いました。

今思うと、しっかりと決まったルールやシステムの中で最大限努力することこそ、今までの仕事の常識だったのでは無いかと思います。自分たちで仕組みを変えるのではなく、仕組みの中で頑張って結果を残すことが美徳だったのだと思います。
それは農家としての生き方にも同じことがいえます。嫁だったら、嫁として家のルールに従って役割を果たすよう努力することが美徳だったのではないかと思います。(思えば、学校や受験のときもそうだったような気がします…。)ただ、私にとっては、自分たちで変えられるものがないことは自由が無いと感じたし、「嫁」という役割を押し付けられることも息苦しかったです。

仕組みが変わる時代において、自由に生きるには?

仕組みが不変で、この先も変わることがないなら仕方ないですが、コロナの影響でハッキリしたとおり、簡単に社会は変化していくし、不変に見える仕組みも変わっていきます。
ホームページやウェブでの発信が誰でも簡単にできる時代になり、直接人と人が繋がれるようになってきたおかげで、社会の仕組みも仕事も少しずつ変化しています。私のような農家にとってお客様と直接繋がれることは、仕事の結果が見えて責任を持つことにつながるし、自分たち次第で変えられる手段が増えることを意味します。もちろん責任はあるけれど、自由で面白いし、可能性があるかもしれない。そう思って、私もSNSで田んぼの様子を発信したり、お店で直接お客様とお話して食べ方や蓮の魅力をお伝えしてきましたが、本当にやりがいがありました。もちろん、色々な農業の形があり、一概に顧客とつながることが良いとはいえません。本当に、ただ一個人としての私の自分勝手な想いです。
また、農業は天災や植物の病気など、自然に左右されることが多く、そこは人間にはどうしようもない部分でもあります。自分たちで変えられることと、変えられないものは並存しているけれど、変えられる手段も増えているのは事実です。
これからは自分たちらしい変化を作っていきたいと考えています。そんなわけで、農業が面白くできる時代になってきているのでは?という勝手な妄想でした。


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