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とわの庭

黄色いまばゆい表紙のとわの庭。

かわいいとわとお母さんのあいさんの永遠の愛で結ばれたあたたかいお話かと思いながら読んでいたら、何やらドキドキしてきた。とわちゃんの世界に静かに亀裂が入っていく。お母さんととわちゃんの二人の暮らしの濃密な甘いメープルシロップのかかったふわふわの切ないほどにあたたかな時間にずしりずしりと闇が忍び込む。なんだなんだいったいどうしたと思っているうちにお母さんがいなくなった。想像するとかなり過酷な状況の中にとわちゃんはどれくらいいたのだろう。過酷な状況なはずなのにとわちゃんには一筋の強い光がさしている。この光は何だ?

お母さんのあいさんの不器用でまっすぐなくるおしいほどのとわちゃんへの愛。周りの現実世界との扉を閉じてとわちゃんと二人の物語の世界にひたって暮らす時間。失いたくない物語のような時間だったろう。あいさんの大事な居場所だったはず。けれど、食べて行くにはお金もいるし、とわちゃんも育っていく。いつまでも物語の世界にひそんで2人で生きていけるわけではない。居場所を失うジレンマや恐怖。現実を生きなければならぬ苦しみ。あいさんはうけとめきれなかったのかな。自分を見失って現実からも物語からも逃げてしまったのかな。罪悪感や自己嫌悪や自己否定や想像できない闇を抱えて日常を暮らしたことだろう。

闇の中にいるあいさんとは正反対に傍からは過酷な非日常の暮らしの中にいるとわちゃんには強い光がさしている。いやとわちゃんが光をはなっている。

とわの庭やとわの庭に訪れるいのちに心を寄せ力をもらいながら、母を思い、物語の世界と現実の世界に生きる。逃げるなんて選択肢はなく、まっすぐにいのちに向かい、愛に向かう。

そして、潔いまでの決別。勇気なんて言葉ではあらわせない生きるために大事な全てを手放して大事に守りぬいた母の教えも愛もふりはらって、新しい世界への扉をあける。まぶしい光につきさされ、新しい世界にふみだした堺はぼやけている。その堺はゆっくりと新しく出会った人たちによって伝えられ、その先の暮らしへの道も新しく出会った人たちによって、とわがしっかり自分の世界をすすんでいけるよう整えられて行く。その道を行く時、とわちゃんは十和子になって、自分で歩いていく。生活経験も不足し、薬も必要。決して健康とは言えない状態でたくさん欠落した部分もあるけれど、十和子は自分で自分の求める暮らしをしっかりと作っていく。たくさんのいのちを糧にして支えにして。まばゆい光をはなっている姿がうかんでくる。この強い光は何だ?

悲しみを抱く人とのあたたかな時間。十和子が無防備なまでに素直に自分の心に感じるままに新しい扉を開けていくまっすぐな生き方に読んでいる私まで光に包まれた気がする。

多くのいのちとそれぞれに悲しみや苦しみを携える人たちとつながって、互いに光を受け止め合いながら暮らしていく十和子の放つ強い光。

それはいのちそのもの。まっすぐに生きることに貪欲なまでにすすんでいく十和子の力。

その光に照らされた人にも生きる力を光とともに届ける。あたたかな光。

私も光に包まれた。とわの庭のいのちの一つ一つが目に浮かぶようで、ふわりとはなやかな香りにも包まれているようで、あたたかくもあり、爽快な気分にもなった。

漂うように流されるように生きてきた私。しっかり生きようと思いながら、生きるってどういうことだ?とわからずにいた。とわの庭に生きるっていうのはこういうことよってヒントをもらった気がした。

私も光をはなって、誰かをあたためられるような生き方がしたい。いのちを感じながら互いに力をわけあえるような生き方がしたい。

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