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「あたりまえ」を言語化する勇気

Hasniccaで、アイデアの発想やコンセプトスケッチを主に担当をしているコクボです。

本文では、デザイン活動を通して気付いた、「あたりまえ」を可視化することの大事さについて書きました。


■「あたりまえ」とデザインの関係

これまでの常識や、疑ってみたこともない前提条件のような「あたりまえ」は、デザインでは、既成概念とも呼ばれアイデアが縮こまってしまう一つの原因としてマークされる要注意事項です。そのためデザイナーは「あたりまえ」に対して敏感です。私もデザイン活動を繰り返していくうちに、普通の業務や日常生活でも「あたりまえ」を確認する癖がつきました。そうすると意外なことに気がつきました。


■「あたりまえ」は、実はあたりまえじゃない。

「あたりまえ」をあえて可視化してみると、「あたりまえ」というのは、意外とあたりまえじゃなかったことに気づきます。

一つはあたりまえと思って流していたことは、意外と解像度が低いということです。毎日の通勤通学で使う道をよく観察してみてください。例えば、実は電柱が何本あるかは知らなかったりします。

もう一つは「あたりまえ」同士で整合性が取れていないことがあります。毎日の生活でやっていることを時系列に書き出してみてください。思い出したことを並べていくと、整合性が取れず、「あれ、これってどうなっていたんだっけ?」となる箇所が発生します。

これらが個人レベルで起こるので、組織内での「あたりまえ」にはもっと食い違いが起こります。よくあるのはあたりまえと思って使っている単語です。例えば「プロトタイプ」の意味合いは、デザイナーにとっては「試しに作ってみる」という意味で使っています。一方でエンジニアは「量産と同じものを確認のためにワンオフで作る」という意味で使っています。デザイナーが「ちょっとプロトタイプ作って確認しませんか?」と提案したら、エンジニアが「そんな気軽に作れないよ」ということが起こったりします。もしかしたらこの話すらもあたりまえではなく組織によって違うかもしれません。


■「あたりまえ」は脳のメモリを食う

前提条件などの「あたりまえ」の事も、あたりまえとして覚えておくとそれだけで思考力が落ちる感覚があります。

仕事の納期や条件などをあたりまえとして頭に留めておくのではなく、外付けメモリとして付箋やメモに書いて見えるところに貼っておくだけで、これは考えなくていいんだと安心し、少し頭が軽くなる気がします。

また思考が進んで、確定事項になったらそれを書き出して並べると、不思議とその文字を見て新しいことを思いついたりします。

決まっていること、決まったことを脳からどんどん追い出すことで、今考えるべきことに集中することができて、効率が上がります。


■「あたりまえ」を言語化する効能

私の経験則ですが、「あたりまえのことを確認して大変恐縮なのですが」と全員の共通認識と思っていることや単語、プロジェクトの前提や目標などを可視化して共有すると、意外と決まっていないことや、認識がずれていることが発覚します。「あたりまえ」の可視化をやって良かったことはあっても、やって怒られたり、失敗したりしたことはありません(時間がないと難しいことではありますが)。

また自分自身でも、理解していると思っているものを可視化してみると、実は考えてなかった点や矛盾点に気づくことがあります。


■思い切って「あたりまえ」を言語化しよう

「あたりまえ」のことを誰かに確認するのは怒られそうだし恥ずかしい気持ちがあります。紙に書くのも「こんなあたりまえのことボールペンのインクが無駄」と取るに足らないものに思ってしまいます。ですがやって損することはないと思います。

「あたりまえ」を可視化するのに文章力や編集力は不要です。ただ思い浮かんだことを紙や言葉に移して、移し終わったら忘れていくだけです。そうして出来上がった「あたりまえの言語化」は、もはや他人になるので、他人事として第三者目線から見ることができます。

もし、「あたりまえ」をあたりまえとして疑ったことがなければ試してみてください。意外な発見があるかもしれません。


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