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囲碁・将棋・麻雀のブームを考える

先日、囲碁のメジャーなタイトル戦である「本因坊戦」の縮小が発表されました。

囲碁本因坊戦、来期から大幅縮小 七番勝負、リーグ戦廃止

 戦前に創設され、囲碁のタイトル戦で最も古い歴史と伝統を持つ本因坊戦が、5月に予選が始まる来期の第79期から、大幅に規模を縮小して運営されることになった。7日、主催の毎日新聞社が発表した。現行の七大タイトル戦は新聞各社が主催しており、インターネットの普及に伴う新聞不況の影響が老舗の大棋戦に波及した格好だ。

 毎日新聞社と棋士団体の日本棋院、関西棋院によると、タイトルホルダーと挑戦者が争う挑戦手合は、今年限りで2日制の七番勝負を廃止し、来年から1日制の五番勝負へ。挑戦者決定システムも総当たりのリーグ戦からトーナメントに移行する。挑戦手合を制した棋士の優勝賞金は、2800万円から850万円に減額。棋戦序列は3位から5位に落ちる。

 本因坊戦は1939年創設。江戸時代から世襲で引き継いできた囲碁家元の筆頭、本因坊家が名跡を譲渡し、現在のタイトル戦の原型となる本因坊戦が生まれた。七大タイトル戦の他の6棋戦はすべて戦後に創設された。

 東京・市ケ谷であった発表会見で、毎日新聞社東京本社の末次省三代表は「本因坊戦の歴史と伝統を守り、継続していくには苦渋の決断をせざるを得なかった。元に戻せるなら戻したい。戻すべく継続して努力していく」と話した。

『Yahoo!ニュース』(2023/04/07)

タイトルの由来となった本因坊家の一員である本因坊秀策(1829〜1862)は、史上名高い囲碁棋士のひとりであり、大ヒット囲碁マンガ『ヒカルの碁』ファンには、藤原佐為が取り憑いていたことでも知られています。

ほったゆみ/小畑健『ヒカルの碁』第1巻(1999)

『レジャー白書2022』によれば、近年の囲碁人口は200万人前後を行ったり来たりしていましたが、一昨年の2021年には150万人にまで減っています。さらに、スポンサーである新聞メディア(本因坊戦は毎日新聞主催)の衰退を考えれば、やむをえない話ではあります。

各種ゲーム・ギャンブルの参加人口・市場規模(2021)

今回のニュースを受けて、「囲碁には将棋の藤井竜王にあたるスターがいないから」とか、「『ヒカルの碁』のときのブームを生かせていれば」という声が散見されました。そこで、改めて、『レジャー白書』のデータを元に、囲碁・将棋・麻雀のこれまでのブームを振り返ってみたいと思います。


1.【囲碁】『ヒカルの碁』ブーム(2000年代初頭)

ほったゆみ/小畑健『ヒカルの碁』第8巻(2000)

日本中に囲碁ブームを巻き起こした少年マンガ『ヒカルの碁』は、1998年12月から2003年7月まで『週刊少年ジャンプ』で連載され、2001年10月から2003年3月までテレビアニメが放映されていました。
ちなみに、囲碁ブームは、1980年代の中国や韓国でも起きています。もちろんというか、そのときはマンガがきっかけではなく、中国の陳祖徳や韓国の曺薫鉉・李昌鎬のようなスター選手の活躍がきっかけでした。

全体的にはそこまで伸びなかった

『レジャー白書』のデータによれば、『ヒカルの碁』のヒットで囲碁人口が爆発的に増えたかというと、そういうわけではありませんでした。

下のグラフからは、増えたというよりは、現状維持にとどまったように見えます。
しかし、『ヒカルの碁』連載期間の1998〜2003年の間に、将棋は200万人、麻雀は260万人と大きく参加人口を減らしたのに対し、囲碁は20万人も参加人口を増やしています。デジタルメディアの台頭等で従来のアナログゲームが大きくファンを減らしていた時代だったことを考えれば、かなり健闘したと言えるのではないでしょうか。

ただ、それ以降、囲碁には特に目を引くような展開はなく、2016年の井山裕太九段の七冠独占も、将棋の羽生善治九段に匹敵する快挙のはずですが、そこまで注目を集めませんでした。
近年の将棋人口は500万人前後であり、囲碁人口は200万人前後です。両者には300万人の差があり、2017年以降の将棋の藤井ブームを考えると、スターが現れたときにブームを起こせるような素地を囲碁界は作れなかったことになります。

肝心の子供はどうだったか?

『レジャー白書』の調査対象は15〜79歳なので、14歳以下については不明ですが、『ヒカルの碁』ブームによって、若年層(15〜29歳)の囲碁人口はかなり伸びていました。

しかし、少年マンガである『ヒカルの碁』の影響が最も大きかったのは、『レジャー白書』のデータから除外されている14歳以下の子供だったはずです。

当時の子供の囲碁人口を直接示すデータは見つかりませんでしたが、傍証として、囲碁大会の参加人数のデータがあります。
1998年に開催された「第1回全日本こども囲碁大会」(現在の名称は「ジュニア本因坊戦」)は参加者が600人しかいませんでしたが、第4回(2001)の参加者は2400人を数え、第5回(2002)は3500人、第6回(2003)では6200人に達していました(日本経済新聞の記事を参照)。なお、この第1回大会(1998)の優勝者が、2016年に七冠を達成する当時9歳の井山裕太九段です。
読売新聞の記事でも、同大会の主催者が、「(2000年と2001年開催の)第3、4回大会あたりから「ヒカルの碁」効果があったことを実感として受け止められました」と語っています。

また、『ヒカルの碁』の影響を受けた囲碁棋士は多く、2019年に史上初の10代名人となった芝野虎丸九段(23)も、ヒカ碁ファンの親の影響で囲碁を始めています。
しかし、20年も前の『ヒカルの碁』以降、若年層を引きつける要素はなく、こういった若者はきわめて少数になっています。その結果として、今回の本因坊戦の縮小に至ったと言えます。

2.【将棋】羽生ブームと藤井ブーム(1990年代と現在)

能條純一『月下の棋士』第1巻(1993)

二人の天才

将棋ブームの立役者と言えば、羽生善治永世七冠と藤井聡太六冠という二人の天才になります。それ以前のひふみんブームとかは、さすがにカバーしきれませんでした。

1996年の羽生九段の七冠独占を再現するかのように、現在、藤井竜王は六冠を獲得しています。最近で言うと、2016年に530万人だった将棋人口が、翌2017年には700万人に増加しているのは、藤井竜王の29連勝の影響でしょう。しかし、2021年の将棋人口は500万人に減っており、「観る将」と呼ばれる観戦専門の将棋ファンは増えたとしても、競技人口が増えなければ先細りするだけなのではないかという懸念はあります。ファンの多くは藤井将棋を理解しているわけではなく、「天才の物語」に魅了されているだけだとするなら、ここ数年の八冠挑戦をピークにブームは収束していくはずです。

年代の両極端に人気がある

『レジャー白書』の従来の調査対象は15〜79歳ですが、『レジャー白書2016』では5〜14歳、『レジャー白書2022』では80代を調査した特集がありました。

そのときのデータをまとめた下の表を見ると、将棋は、子供と老人という年代の両極端に人気のあるレジャーであることがわかります。特に、子供の参加人口を調査した2015年は藤井ブーム以前なので、さらに増えている可能性があります。
また、囲碁同様に将棋のタイトル戦も大半は新聞社が主催していますが、2018年から将棋に注力している不動産会社ヒューリックのような新しいスポンサーも出てきているので、囲碁にくらべれば、まだまだ安泰と言えそうです。

3.【麻雀】3つの麻雀ブーム(1930〜70年代)

井上孝重『煌々たる雀星 小島武夫伝』(1990)

囲碁・将棋にくらべれば歴史の浅い麻雀では、これまで20年の周期で3回のブームがありました。

麻雀が日本に伝来してまもなくの「第一次麻雀ブーム」(1930年前後)、戦後まもなくのブーム(1950年前後)、そして、小説『麻雀放浪記』やテレビの『11PM』が火をつけたと言われる「第二次麻雀ブーム」(1970年前後)です。
なお、戦後まもなくのブームを「第二次麻雀ブーム」と考え、1970年代のブームを「第三次麻雀ブーム」とする見方もあります。

なぜ第四のブームは起きなかったのか?

麻雀のブームが20年周期で起きるなら、なぜ、1990年代にはブームが起きなかったのでしょうか?

上に貼った福地誠先生の説では、技術革新こそがブームを生み出すのであり、第二次麻雀ブームも、大量生産によって麻雀牌が安価になったことや全自動卓が普及したことが原因だとされています。しかし、1980年代の麻雀ゲームの発達が起こしたのは「1人麻雀革命」だったため、従来の生身の人間が卓を囲む形での麻雀ブームは起きなかったとしています。

ブームが起きなかったことへのより一般的な回答としては、4人単位で人を集める必要があることやプレイ時間が長くかかりすぎるというリアル麻雀固有の事情が、現代人のライフスタイルに合わなくなったからということになりますね。

麻雀人口は長らく右肩下がりですが、2018年に始まったMリーグや、2019年にサービスを開始した「雀魂」とVTuberの組み合わせによって、ファン層が広がりつつある現在こそ、第三次麻雀ブームの真っ只中にあると主張する人もいます。

Mリーグ機構によるアンケート調査結果(2019)

選手やマンガは麻雀ブームを起こせるか?

麻雀のゲーム性を考えると、ひとりの選手が無双したりタイトルを総なめにするのは可能性が低いので、羽生・藤井型のブームは難しそうです。そもそも、飛び抜けて強い選手が出てきたとして注目されるのかという問題もありますね。

麻雀は、麻雀マンガの専門誌である『近代麻雀』が、1970年代から50年近くも続いている特異なジャンルです。しかし、『近代麻雀』自体はマイナー誌なので、かつて『哲也』を連載していた『週刊少年マガジン』のようなメジャー誌がやってくれないと、ヒカ碁型のブームもやはり難しそうです。ただ、『アカギ』や『咲』のアニメを見て麻雀を始めたという話は、国内外を問わずわりと目にするので、派手なブームはなくとも、じわじわ麻雀の普及に成功している気もします。

ほったゆみ/小畑健『ヒカルの碁』第23巻(2003)

『ヒカルの碁』原作者のほったゆみ先生は、最終巻で、「麻雀マンガのノウハウを駆使して、『ヒカルの碁』を描いた」(超曲解)と書いていました。麻雀マンガのノウハウを駆使して、大ヒット麻雀マンガを描いてくれる第二・第三のほった先生が現れることを夢見て、本記事を終えたいと思います。

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