◆今日は木庭顕先生のご講演「ローマ喜劇に見る市民社会のエートス形成―プラウトゥス『捕虜』の一解釈」をリモートで拝聴した。高度な読みに魅了されながら、濃密な知的刺激を受けた。8枚のメモが出来上がった。放蕩息子、意味の多層性、バラバラでない二人、協働、情念や演技、その互換性等々。
◆木庭顕先生がつかみ出した「占有原理」が民事法の、つまりは法の核心にあること、その変奏が法の世界を織り成していることについて、最近ようやく心の奥深くから納得できるようになってきた(つまり以前はその捉え損ないをnote記事に書いてきた。自省するばかり)。
◆木庭顕「裁判官の良心」現代思想51巻9号102-118頁(2023).個人と集団、アプリオリな個人の自由、言語行為、法と裁判、良心、土台としての政治システム、内省する深い意識を養う文学等々の連関と円環が、平明に見えながら凝縮された密度の高い澄み切った言葉で、明晰に綴られている。
◆ブッダは毒矢の喩により、先決的な観念的議論を遥か彼方に遠ざける原理を示したように思う。地上に「追い詰められた最後の一人」がいなくなるまでそれは遠ざけられる。そして最後の一人は原理的にいなくなることはなく、私たちはありあわせの理論で、毒矢を抜く実践に飛び込み続けるであろうから。
◆木庭顕「日本の安全保障に関する初歩的な確認事項」法律時報95巻2号54頁(2023).現下の曖昧で鈍い安全保障論議を聞いてゲンナリしていたので、端的かつ強靭な論理展開(及び相手方の論理の解明)と人間心理への周到な洞察に満ちた同論説を読んで、脳と心に栄養補給。