長享2年(1488)6月9日は加賀守護の富樫政親が長享の一揆で一揆勢に高尾城を攻められ自害した日。守護は引き続き富樫一族が継承したものの実質的な支配権は本願寺門徒や国人衆が握った。これにより加賀は信長による支配までのおよそ90年間にわたって「百姓の持ちたる国」と呼ばれることに。
天正8年(1580)11月17日は柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧し指導者19人の首を安土の信長のもとへ送った日。加賀は約90年に渡り百姓の持ちたる国といわれた。3月に信長と石山本願寺の和睦があり加賀へも停戦を指示していたが戦いが続いていた。現場は急には止まれないということでしょうか
天正8年(1580)11月17日は柴田勝家が加賀一向一揆を鎮圧し指導者19人の首を安土の信長のもとへ送った日。3月に信長と石山本願寺の和睦があり加賀国へも停戦を指示していたが戦いは続いた。加賀は一揆が守護を討って信長による平定まで約90年に渡り百姓の持ちたる国という状況だった。