そうやって日々募る小さな不満を申し述べるのは客観視したいため。小さな幸せに変えられていた頃もあったよな、と思い出したいため。吐き出してみて、自分でこんなにも選択する機会を持っていると再認識出来たのは良かった。わざわざ不幸ぶって生きる私の二次利得は慰めだろうか。誰に慰められたいのか
お互い様とはいえど、居るだけでけっこう気を使う。その上、家の中が乱れる。ちょいちょい部屋から出て来てはお茶を飲み、マグカップはその都度シンクにたまる。ベランダでリフレッシュしては、網戸の位置が中途半端にズレたまま、虫が入りやすい状況となっているのが、気になる。注意しても3日坊主。
ところが、夫が終日家にいるようになると、会議の会話なども当然耳に入るし、夫がバトルしてる中、これが終わったら紅茶で一息…なんて妄想するのも非現実的過ぎて、まるで頭の上に被りたくない帽子を被らされてるよう。一番しんどいのは、お通じがらなくなること。身体が重いし、何やるのも億劫に。
誰かにほんの少し優しく慰めてもらえたら、肩から力が抜けるんだ。子供を習い事へ送った帰り道で堰を切ったように涙が溢れて来て、家に着くまでに平常心を取り戻さなくちゃと深呼吸する。あと2分しかない。ただ安心して泣け、甘えられる場所が欲しい。24時間どんと構えた肝っ玉母さんなんか出来ない
何故か。朝、子供のお弁当を作っている時間から、頭の中には段取りがあり家族の動きとシンクロする。トイレが良い例。掃除やゴミ出しだって、家族がいない方が自由に動ける。何時何分には息子、10分後に娘、その5分後に夫、とタイミングに合わせて水筒に支度や食卓の片付け、洗濯機回す、見送る…
夫のリモートワークが、当たり前の働き方となった。会社からお達しが出た。出社するときは出張旅費精算をするのだ。そうすると、家にいる妻はなんとなくホッと出来ない。いろんな夫婦がいるが、私は子供2人と夫が家を出ると、ホッとして片付いた、スッキリした、と感じる。おかしいだろうか。
不満はほとんどが些細なこと。自分でもわざわざ言うほどのことでもないと思ってしまうほど。シンクにマグカップ溜まる問題も、現行犯なら洗ってくださーいと言えば済むが、朝はすぐ片付ける必要があるため、夫が起きてくる頃にはシンクは元通り。私の不機嫌の理由など分かるはずない。伝わらない。
見つけては不満を溜めている自分に嫌気が差す。仕事の日はまだマシだ。私にもオンラインの仕事とそうでない仕事がある。ただ、家事や育児の負担に関して、毎度ながら圧倒的に私が担っているのであり、圧倒的に夫が多く稼ぐ。私の稼ぎは夫の税金くらいだ。そんな自分が惨めになる。