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なろうなどで多数に読まれるには、書き方がある。Twitterで私が見た範囲では「ウェブで小説を書く」イコール「その形式に乗っ取る」だと認識している者も多い。初心者だからといって謙虚に振る舞っては、書きたいものに関わらずこの形式を押し付けられる危険がある。最初から自信満々で行こう!

「たくさんの人に読まれ、分かりやすく書かれているのは良いことだ」と一般論としては正しいことを言う。次に、なろうテンプレを、その小説の性質や書き手の意思は無視して押し付けてくる。なろうテンプレを使わなければ、読まれないのでメンタル病むとも言ってくるのはおかしい。反論があればどうぞ

以前、Twitterでは政治クラスタにいたという話はしたと思う。私が見た範囲ではだが、ネガティブな言説をぶつけてきた相手でも、『一部は主張を認める』『あえていいねを押してあげる』をやるとホコを収めることが多かった。しかしこのやり方がウェブ小説界隈では、全く通用しなかったのである🍀

Twitterのウェブ小説界隈で流れる創作論は、基本的には、人々からの共感を得やすいだろうと思われるものが流れている。ゆえに、個別に役立つかどうかは、保証の限りではないのである。反論あればどうぞ。

【クリエイティブ生活】小説創作論その他【つぶやきをまとめました】

0か100かの思考回路しかない人には、お互いの折り合いや妥協ができませんから、こちらとしては全部譲るか、全部否定し切るしかなくなります。否定し切った場面を見るとこちらが加害者のようですが、何しろほどほどに折り合えないのは分かっているので仕方がないのです。

例えば村上春樹の小説が好きだという。それは少なくとも私の常識では、村上春樹氏のやることや言うことを全肯定するのを意味しなかった。短編は好きだが、長編はそれほどでもない。普通にありえる。しかし、作品を好きになるのは、その作り手を全面的に好きになることだと思う人がいる。常識が違う。

あなた方には過去の小説を読まず、過去の音楽を聴かない権利がある。私には過去の思い出の作品について語る自由が、権利がある。どうしても我慢できなくなればミュートかブロックで住み分け。これが私の『常識』です。でもウェブ小説界隈の常識は、私が見た範囲では、それとは大きく異なっていた。

他者の小説を元ネタにする場合の、換骨奪胎のやり方はこちらの記事にあります。https://note.com/katagiriaki/n/nac0b5806a2c7?magazine_key=ma0a550358d29 ファンタジーの背景世界の設定についてですが、キャラクターやストーリー展開にも応用できますよ。反論あればどうぞ。

自分がツイートした創作論に逆らったウェブ小説を書かれると傷つく人がいます。それも、誰も認める正論ならともかく、人によって意見が分かれるにも関わらずです。創作論をツイートする人に配慮するべきだとする声すらあります。私としては、創作論者には、他者の創作の自由を縛る権利は無いと思います

ベテラン作家以外でフォローしたほうがいいのは、自作のターゲットとなる人々である。そのあたりはプロフィールやツイート・リツイートのみならず、いいねを押したツイートなども調べて、慎重にフォローするのをおすすめします。

エンターテイメントの定義も難しいのですが、少なくとも「単純明快で分かりやすく、スカッとした爽快感や癒やしの効果が即座に感じられる」のだけがエンターテイメントだと言うなら、私はそれは違うと考えています。反論あればどうぞ。

大抵の外国にも日本にも、それぞれ良いところと悪いところがあります。いたずらに海外に憧れるのも問題でしょうが、日本だけが素晴らしい国だと内に引きこもる考え方も、長い目で見ればあまり良くないと思います。バランス感覚と視野の広さはできるだけ持っておきたいと思っています。

私を含めて、誰かイライラしている人を見ると落ち着かない気分になるのは分かりますが、あなた自身がそれで動揺してしまうのなら、きっとあなた自身にも何か心理的な問題があると思います。人をケアしたければ、まずご自身をケアなさることです。反論があればどうぞ。

尖った、個性的な小説を投稿して、Twitterで他の作家とつながると、尖りや個性を薄めて万人受けしやすいようにしようとアドバイスやらをしてくる人がいます。選択権は常に書き手の側にあります。どんな大義名分を振りかざされようと、決して屈してはいけません。不本意な創作にならないように!

小説を好きに書いてはいけないと言う人がいますが、その人の言うとおりに書きたら絶対に良くなる保証はあるのでしょうか。私は、無いと思います。

もしも「あなたの小説は難しい」と言われたら私は、「あなたは、かつての少年漫画の大ヒット作『デスノート』を理解できますか?」とまずは尋ねよう。話はすべてそこからだ。

世に出ている『商品』としての小説やらその他のフィクションに質の悪い物が多いと思うならば、自分はそのような物を作らなければいいのである。

政治の話は慎重に、なら分かりますが、全くするなというのは不当な要求です。私の小説は、『国や共同体を守る』がメインテーマなので分かる人には政治傾向はあっさりバレます。それに創作論もウェブ小説界隈ではかなりの炎上案件です。政治の話は駄目で創作論はいい、は筋が通らないと考えています。

なろうテンプレは冒頭部だけ使って読者を安心させれば、中身は比較的自由に書けるとのご意見もあります。しかし中身は比較的自由に書けた時代はもう過去のものになったようですし、あらゆる小説で冒頭が大事だからこそ、あえて不利を承知で冒頭からこだわって書くという選択なのです。反論あればどうぞ

自分の小説を『商品』として世に出そうと意識するならば、外野からの的はずれなアドバイスや感想に振り回されることも、反対に意固地になって欠点も直さないなんてこともなくなる。同時に、7割程度の出来で良いといった判断もできるようになる。これが企業家マインドだと思う。

『復讐の女神ネフィアル』は、対象読者以外からの注文に振り回されたので、今後はそうならないように気をつけようと思います。分かりにくいと言われた箇所をくわしく書きましたが、要求がエスカレートするため、元に戻します。一度要求に従うと、感謝されるところか、さらに要求されることもあります。

Twitterでのウェブ小説界隈では更新速度を競うような一面があり、更新が滞ると急かされる面もあった。しかし書く途中で常に平坦な道をゆくわけではなく、書くのが速い時も遅い時もあるのがむしろ当然だ。だから、よほど更新が遅れているのでなければマイペースで私はやる。反論があればどうぞ。

https://note.com/katagiriaki/m/mdbaa57f627be Rグループさん、私の記憶にある限りのあなたのアドバイス通りに、ニュートラル型のこの小説を書き直しましょうか? そして原文のこちらも残し、あなたの名前をアドバイザーに、新たなマガジンを作って、誰にも見える所に置いておきましょうか?

https://note.com/katagiriaki/n/n5ad9e2a94981?magazine_key=m58ae860ce477 私のAIのべりすとの使い方はこの記事にまとめてあります。当たり前ですが、他人の小説を少しだけ書き換えただけで自作として発表するのは駄目ですよ。元ネタにするなら、原形が分からなくなるくらいにまでするのが肝心です。反論があればどうぞ。

Rグループさん、あなたは私のフォロワーを増やすためのアドバイスをしたと言うが「ネコ・旅行・食べ物」に関してだけは、一般的に好感度が高いにも関わらず自分が好きではないという理由でTwitterのTLに流すなと言ってきた。この矛盾をどう説明しますか?

ビジネスでの成功を目指して小説を書こうとするなら、ライトノベル作家であれ一般文芸作家であれ、ベテランであって、自分の名前を全面に押し出してやっていける方を中心にフォローするのをおすすめします。サイコパシースペクトラムを発揮してはっきりと言うが、アマチュア精神の人とは合わないだろう

もし上の世代から、知らない昔のフィクションなどについてTwitterで語られ、私がその話にからみたいのであれば。まず検索して調べ「○○というものなのですね。初めて知りました」あたりの無難なツイートを流す。あくまでも私の常識でしかない。だが常識の異なる者同士が仲良くするのは難しい。

私が思うに、ウェブ小説において不特定多数の読者の意見を聞き入れて書くやり方は、「自分の意見を聞き入れてもらった!」と満足や共感を与えるサービス自体が『売り』なのであり、作品の出来不出来は二の次というか、少なくとも尖った個性などは必要とされない、むしろ邪魔なのではないだろうか?

【クリエイティブ生活】創作論その他【つぶやきをまとめました2】

例えば、ペン習字の練習は基礎的な楷書から始めますが、草書や行書といった応用編の書体もあります。楷書からやる基礎は大事ですが、そこにハマりすぎて、草書や行書を『間違っている!』などと言うようなことにはならないようにしたいものです。小説創作だけでなく、あらゆる事に言えますね。

世の中に疲れている人間が多いから、癒やしとなるような小説を書かなければならないなどという話には断固反対する。住み分ければいいだけなのだ。反論あればどうぞ。

よく、先の読めない展開や意外なオチが面白い小説の条件のように言われますが、初心者が練習で書く場合には、最初からプロのような話が書けるわけではありません。オーソドックスな、つまり先読みしやすいストーリー展開の物を書いて、練習を重ねてゆくのが大切です。

「やはり古典は今読んでも面白いな」知也がそう言うと、ざわめきが走った。「私達が書いた最新流行の小説は面白くないというの!?」とか「みんな流行で盛り上がっているのに、空気読めないのね!」とか言っているのだろう。知也は全く気にしなかった。◆これがサイコパシースペクトラム発揮である🍀

怒りを感じてツイートするの自体が悪いのではなく、怒りにより支離滅裂な言を発するのが良くないのである。逆に言えば、怒りながらツイートしても筋が通っていれば良い。その場合は「怒るな」「ツイートするな」ではなく、あくまでもその論に対して反論するべきである。これにも反論どうぞ。

https://note.com/katagiriaki/n/ne33421d6bdcc この記事で「セールスマンは、強く売り込むこともあるじゃないですか?」と言う人もいます。そうした人は強く拒絶されて断られるのを覚悟でやっているのです。その手のセールスは、面の皮が厚くないとやっていけないと思います。

最近のライトノベルの流行りの、長文でしかもコミカルさやライトさを押し出したように見えるタイトル、好きではありません。シリアスな内容ならシリアスなタイトルであってほしいですね。長文でシリアスなタイトルも可能ではとも思います。

ホラー小説に「もっと明るくて楽しい話を」と言う人は、下手なホラー小説を見たらやはり「もっと明るくて楽しい話を」と言うだろう。それでは結局何の解決にもならない。小説に下手な物があっても、下手なアドバイザーが大きな顔をしていいわけもない。反論あれはどうぞ。

明るくて分かりやすいもの、流行のものだけが好みという人たちと親しくすると、私は自分の良さが出せなくなります。向こうも私を、自分たちの創作に無理解だと思うでしょう。お互いに離れているのが吉です。

私のツイートのやり方に問題があったのなら、その旨を分かりやすく伝えればよかったとは思います。そうすればやり方は変えたかも知れません。分かりにくい言い方で、しかも全面的にやるなと言うのは、やはり不当です。

読者は自分の関心のある物しか読まない、書き手側の都合など知らないのだと、あるなろう流行作家がよく言っておられました。同じ理屈で、なろう系流行に関心のない人に無理に読ませようとしても無駄なのです。流行だからとゴリ押しするのならば、それはダブルスタンダードです。反論あればどうぞ。

なろう系で救われる人々を思いやって理解を示してくれと言っている書籍化作家がおられます。それで救われる人々があらゆるフィクションにあるのだから、「こうすれば読まれやすい」や「今の流行」の大義名分をもって、他者の表現物を否定するような創作論も批判されるべきです。反論は承ります。

私の小説は必ずしも多くの人に読んでもらいたいわけではない。大人向けであって、子ども向けに書いたのではない。だから、使いたければ難しい漢字も使う。それで読めないのならば、読んでもらわなくてかまわない。反論あればどうぞ。

https://note.com/katagiriaki/n/n504507d87e79?magazine_key=m58ae860ce477 この記事の男性向けに限った話をする。いわゆるなろうテンプレは、こうした従来のフィクションの王道とは違う書き方をすることで、潜在需要を掘り起こして今に至るのだろう。だが、従来型が良いと思っている者からは受け入れられないのも当然なのだ。

個人的には、大人が相手でも、結果だけを重視するより努力『も』褒めたほうがトータルでは上手くいくことが多いと思っています。ただ、ウェブ小説を書くことについて、褒めてくれる人を探すのは個人の責任です。人に褒め役を押し付けるべきではありません。反論があればどうぞ。

潜在需要と言ってきたが、ホラー小説ベストセラー時代でも、普通に推理小説も村上春樹も売れていた。それは『潜在』ではなくすでに目に見えるようになった需要と供給である。とにかく、話題のベストセラーだけで頭がいっぱいにならないように目配りするのが大事である。反論あればどうぞ。

『男ばかりでヒロイン不在、しかも女性向けではないのならまず受けない』そんな話がありましたが、昔週刊少年ジャンプで人気だった『魁! 男塾』なる漫画がありましてな🍀 民話は現在のエンタメテンプレになる説が正しければ、桃太郎はヒロイン不在の物語。一寸法師やわらしべ長者などとは違う

「AとB、それぞれの良さがある」と聞いて、「どちらも良い、で折り合え」の意を組み取れないのは仕方がないかも知れない。だが、「絶対にAがいいから!」とゴリ押ししてしまうのは、やはりそうしてしまう人に問題があるのだと思います。反論あればどうぞ。

仲間意識が強くなりすぎると、仲間が自分たちと違うことをするのに抵抗が生じるようになる。こんな環境では自由な創作などできないし、創造性も伸ばせない。そして、本当の意味でのマーケティング思考やビジネス意識も持てないままだろう。単に、流行りだから皆で、になる。反論あればどうぞ。

『AIのべりすと』に関して悲観的な意見が見られますが、私はポジティブに考えています。自力で基礎的なストーリー展開の物語が書けるようになったら使いこなしてみてはいかがですか? なかなか面白いですよ!