太田幸司

意外にみんな知らない?プロ野球名選手の引退した球団【簡単まとめ】3人

意外にみんな知らない?プロ野球名選手の引退した球団【簡単まとめ】3人

フォークボールの神様杉下茂中日で大活躍した杉下茂の引退した球団は毎日大映オリオンズです。中日で引退したと思っている人が多いと思いますが実は毎日大映オリオンズです。今の千葉ロッテマリーンズです。 甲子園の元祖アイドル太田幸司三沢高校から近鉄に入団しました。甲子園のアイドルでした。近鉄から巨人最後は阪神タイガースで引退しています。巨人と阪神の両球団に所属した数少ない選手です。 戦後初の三冠王野村克也ノムさんは南海から金田正一監督に誘われてロッテに移籍した後最後は西武ライオンズ

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野球をやめるつもりの僕に舞い込んだトレード、そして〝最後〟はあの球場に導かれ…【太田幸司連載#10・最終回】

野球をやめるつもりの僕に舞い込んだトレード、そして〝最後〟はあの球場に導かれ…【太田幸司連載#10・最終回】

前の話へ / 連載TOPへ ジャンボ尾崎さんの活躍に触発され、プロゴルファー転向を決意!?  2年目のシーズンを終えたボクは、もう野球をやめるつもりでいた。故障でもないのに体が動かず、まともな球が投げられない。それでも人気は全く衰えず、球宴ファン投票では二軍暮らしなのにダントツの得票で選出された。それからというもの、周囲の厳しい視線が体中に突き刺さる日々が続いた。<ふん。実力もない人気だけの選手のくせに>――。 故障でもないのに体が動かないことに悩んでいた太田氏  昭和

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過熱する人気、プロ入り後に初めて味わったスランプ。2年目の球宴は悲しくて苦しくて切なくて…【太田幸司連載#9】

過熱する人気、プロ入り後に初めて味わったスランプ。2年目の球宴は悲しくて苦しくて切なくて…【太田幸司連載#9】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ ドラフト会議、意外だった近鉄の指名に僕は迷った 東京六大学で通算18本塁打を記録した早大・谷沢健一、同じく19本塁打の早大・荒川尭、そして三沢高の超高校級右腕・太田幸司――。昭和44年(1969年)のドラフトで、ボクはこの年のビッグ3として高く評価された。スカウトとは直接会うことはできなかったが、窓口となった野球部長の元には西鉄以外の11球団がやってきた。注目の会議は11月20日、東京・日比谷の日生会館で行われた。 母・タマラさん

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甲子園が終わって2か月。凱旋準優勝パレードの沿道は人、人、人【太田幸司連載#8】

甲子園が終わって2か月。凱旋準優勝パレードの沿道は人、人、人【太田幸司連載#8】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 1人で27回383球を投げ抜いて、インタビューでは強がってみたものの本音は「もう投げられない」▽決勝再試合 松山商200002000=4 三 沢100000100=2  ボクは松山商に4点を献上し、味方打線は相手のジグザグ継投にかわされた。昭和44年8月19日午後3時6分。第51回全国高校野球選手権大会は松山商が三沢高を下し、16年ぶり4回目の優勝を飾って幕を閉じた。2日間の合計試合時間は6時間22分。27イニングを1人で投げ抜い

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無情のジャッジと白球のいたずら〝伝説の延長15回裏〟は終わらず、史上初の引き分け再試合!【太田幸司連載#7】

無情のジャッジと白球のいたずら〝伝説の延長15回裏〟は終わらず、史上初の引き分け再試合!【太田幸司連載#7】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ サヨナラ勝ちを確信した次の瞬間…!!敵ながらあっぱれのファインプレーが飛び出した「ストライク!」。郷司球審の右手が高々と上がった。押し出し四球のサヨナラ勝ちだと思って勢いよくベンチから立ち上がったボクは「そんな…。うそだろ!」と絶句するしかなかった。  昭和44年(1969年)8月18日。三沢高VS松山商の夏の甲子園大会決勝戦、延長15回裏一死満塁。炎天下、0―0の緊迫した試合を投げ続けていた松山商のエース・井上は明らかに疲労困憊

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田舎チームが遂に甲子園の決勝に!〝伝説の一戦〟がプレーボール!【太田幸司連載#6】

田舎チームが遂に甲子園の決勝に!〝伝説の一戦〟がプレーボール!【太田幸司連載#6】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 決勝進出を決めた瞬間、初めて訪れた充実感 甲子園は大変なことになっていた。昭和44年(1969年)夏の選手権大会。3季連続出場とはいえ、東北の田舎チームが岡山・玉島商を破り、ついに決勝進出を決めてしまったのだ。東北勢としては第1回大会の旧制秋田中学以来の快挙。1回戦から大分商、明星(大阪)、平安(京都)と強豪を次々と撃破し「剛腕・太田幸司」「粘りの津軽打線」などと、三沢旋風はマスコミに大々的に取り上げられた。 ▽準決勝 三沢000

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最後の夏!優勝候補・平安戦では〝甲子園の神様〟が味方してくれた【太田幸司連載#5】

最後の夏!優勝候補・平安戦では〝甲子園の神様〟が味方してくれた【太田幸司連載#5】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 正捕手が負傷…盗塁フリーパスでも完封 ボクの球を受けた正捕手の小比類巻は2、3歩前に出て返球する。ボクも同じように2、3歩前に出て捕球する。昭和44年(1969年)夏の青森県予選準決勝。岩手県勢との北奥羽大会進出をかけた弘前高との一戦で、試合中盤に右指を負傷した小比類巻はまともにボールを投げることはできなかった。  3回に先制した三沢高は4、5回にも1点ずつ加えて3―0とリードしていた。ボクは「この点差があれば十分だ。走るなら走れ

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センバツで名門の浪商と激闘。そして最後の夏が…【太田幸司連載#4】

センバツで名門の浪商と激闘。そして最後の夏が…【太田幸司連載#4】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ センバツ初戦勝利も肩に違和感が… ボクたちは三沢駅から上野行きの夜行列車に乗り、新幹線で名古屋へ向かった。昭和44年(1969年)3月。27日に開幕する第41回選抜高校野球大会を控え、直前合宿を張るためだった。 甲子園を経験してさらに野球に燃えた太田氏  屋外でのフリー打撃、土のグラウンドで受けるノックは本当に久しぶりだった。「オラオラァ、しっかりしろ」「そんなんじゃ甲子園で勝てないぞ」。みんな気持ちが高揚しているから、威勢のい

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甲子園を経験して田舎の弱小チームが変わった【太田幸司連載#3】

甲子園を経験して田舎の弱小チームが変わった【太田幸司連載#3】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 北国チームにとって関西は地獄の暑さ 新大阪駅は地獄の暑さだった。昭和43年(1968年)8月。ボクたちは青森・三沢から東京・上野行きの夜行列車と新幹線を乗り継ぎ、初めて関西の地に足を踏み入れた。下車した瞬間、ムオッという熱気が全身を覆う。ボクは思わず「あ、暑い!」と悲鳴を上げた。青森でも30度を超える日は珍しくない。しかし、湿度や独特の熱気など暑さの質が違った。  宝塚市内の宿舎で旅装を解き、一息入れると近くのグラウンドで軽い練習

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元祖・甲子園アイドルが明かす栄光と苦悩【太田幸司連載#1】

元祖・甲子園アイドルが明かす栄光と苦悩【太田幸司連載#1】

はじめに いよいよ今週19日から阪神甲子園球場で第93回選抜高校野球大会が始まる。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で春のセンバツが史上初の中止、夏の甲子園も79年ぶりの中止となった。そしてポストシーズンには甲子園でもまばゆい輝きを放ったマー君こと田中将大投手が日本球界に復帰するというニュースもあった。夢の舞台でどんな名勝負が繰り広げられるのか開幕を心待ちにしている人も多いだろう。そこで東スポnoteでは元祖・甲子園アイドルと呼ばれ、コーちゃんフィーバーを巻き起こした太田幸司

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