今朝は冬の農作業が祟ったのか、やや頭痛がしていたので『#世界の読解可能性』を片手に白湯を喫んでいた。窓のそとには依然として世界が拡がってはいるが、なるほど「私たちはどのような世界を読みたくてここにいるのか」なる問いはいつまで経っても色褪せない。はじめての読了はいつのことだったか。