一橋大学を辞め文科省の前で叫んだ

08_「教養」はポストフォーディズムの補完物となる運命か

08_「教養」はポストフォーディズムの補完物となる運命か

成人教育の危機から「生涯学習」へ  前回は、ウィリアムズが上記のように成人教育を実践し、それについて書いていた時代とその直後(1950年代から60年代)に、そのような理想としての成人教育はすでに危機を迎えていたと述べた。  その危機にはさまざまな様相があるが、ここで重要な変化は、それが労働者階級のためのものではなくなり、分かりやすく言えば現代の「カルチャースクール」風の、中流階級の余暇の「教養」のようなものへと変化していったことである。  少々勇み足に言えば、おそらくこ

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07_「成人教育」が成立しなくなったとき、「役に立つ教養」の意味は変質を強いられた

07_「成人教育」が成立しなくなったとき、「役に立つ教養」の意味は変質を強いられた

功利主義/ロマン主義がもつ二面性  本連載の第5回から第6回にかけては、現在の「役に立つ/立たない」を基準とする人文学不要論から出発して、視点をより広げていくためにイギリスにおけるC. P. スノー対F. R. リーヴィスの「二つの文化」論争を論じ、それが産業社会の勃興以降の「功利主義」対「ロマン主義」の対立であったことを論じた。それは、社会の全体性をどうとらえるかという疑問に対する二通りの答えだった。非常に粗い要約にはなるが、功利主義はベンサムの「最大多数の最大幸福」が表

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06_文系不要論の系譜学──「二つの文化論争」から見えるもの

06_文系不要論の系譜学──「二つの文化論争」から見えるもの

人文学の源流を訪ねて  前回私は、日本学術会議問題という時事的問題から、人文学叩きの問題、そして「役に立つ」学問と教育をめぐる問題を論じた。本連載で一貫して論じてきたところではあるが、そこで明らかになったのは、人文学批判、そして人文学を「役に立たない」学問にカテゴライズして葬り去ろうとする動きの文脈には、新自由主義の緊縮財政があり、また緊縮財政を背景とした大学内部での「政治」(人文学を担う旧教養課程が「狩り場」となったことなど)が存在したことだった。  学問が「役に立つ/

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05_役に立つ学問とは何か? 役に立つ教育とは何か?

05_役に立つ学問とは何か? 役に立つ教育とは何か?

日本学術会議「問題」と人文学  本稿を書きあぐねていた2020年10月1日に、総理大臣菅義偉が、日本学術会議の会員候補のうち6名を任命しなかったことが官房長官記者会見で明らかにされた。日本学術会議とは日本の国立アカデミーで、学術と科学研究の振興、学術の国際交流、学問的な知見による政策提言を行う機関である。210名の会員と2000名の連携会員で構成されている。会員は登録学術団体(学会)の推薦によっている。総理大臣による「任命」は実質的なものではなく「形式的任命」であることは、

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04_「主体性評価」が進めば、階層の分断を固定化することになる

04_「主体性評価」が進めば、階層の分断を固定化することになる

ポストフォーディズムと主体性評価  私は偏差値批判、詰め込み教育批判が、現在の高大接続改革といわゆる「主体性評価」につながっていると述べた。そのつながりを、ここで述べたような公教育の縮減と教育の私事化/私営化(privatization)で説明することはもちろん可能ではある。だが、現在進められている「主体性評価」は、単なる教育版の「小さな政府」──単に公教育を縮減すること──には留まらない意味と意図をもっている。  まず、事情に疎い読者のために、現在進められる主体性評価と

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03_「偏差値」はなぜ生まれ、批判されるに至ったか

03_「偏差値」はなぜ生まれ、批判されるに至ったか

三四郎的近代  今回も少々個人的な物語から説き起こしたい。第1回で述べたように、私は山口県の出身である。大学に入った時点で「上京」した。1993年のことであった。  中学生時代は勉強ができず落ちこぼれていた。謙遜ではなく、定期試験では後ろから数えた方が早いような状態だった。担任の先生に発破をかけられてなんとか県立高校に入学した(田舎では県立高校が進学校である)。  その後は、大学に入るために勉強をした。その際に、志望校については、家がそれほどに裕福というわけでもなく、三

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02_「高大接続改革」の名のもとに大学の教養課程は殺された

02_「高大接続改革」の名のもとに大学の教養課程は殺された

高大接続改革から高大一貫改革へ  さて、今回いったんは頓挫した(しかしおそらくまだ追求されている)大学入学共通テストの改革と英語テストの外注化は、いかなる政策的な文脈から出てきたものであろうか。それは「高大接続改革」である。  一体、「高大接続」とは何か。実はこの言葉は、現在の大学の教授会にほぼ毎回登場するほどに、大学が対応を迫られている言葉である。まずは、その改革を進める主体である文部科学省の説明を見てみよう。文科省は「高大接続改革」というウェブページを設け、次のように

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01_大学改革とはすなわち「市場化」の別名に他ならなかった

01_大学改革とはすなわち「市場化」の別名に他ならなかった

 2019年3月。私は10年間勤めた一橋大学を退職し、4月からは専修大学に勤務し始めた。  2019年9月。私は霞ヶ関の文部科学省の前で叫んでいた。  それまでの大学入試センター試験に代わって、2021年に実施が予定されている大学入学共通テスト。その中でもとりわけ各種業者試験の導入が検討されていた英語試験に反対するデモに参加して、叫んでいたのである。  私は社会や政治について考えたり書いたりするのは好きだが、実のところ、デモに参加したりはたまたロビー活動をしたりといった

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【お知らせ】専修大学教授・河野真太郎さんの連載が始まります!

【お知らせ】専修大学教授・河野真太郎さんの連載が始まります!

こんにちは、編集部の田頭です。 本日より、専修大学教授・河野真太郎先生による新連載「一橋大学を辞め、文科省の前で叫んだ。」が始まります。 先生への原稿のご依頼は、本文にも出てくる、現代ビジネスに掲載された「私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々」という記事を拝見したことがきっかけでした。 初めてお目にかかったのが、昨年秋、萩生田文科相による例の「身の丈発言」の翌日というタイミング。お願いしたテーマは「大学改革」についてでした。その後大きな批判と注目

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