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この優しい言葉は、様々な景色を見て、やってきた。反論や糾弾にイエスともノーとも言わず、ただ在るとして認識した。 優しい言葉は、轍をわざわざ見せつけない。「ところでさ」と、私の後ろに立って、更に奥の視線を寄越さないようにする。 けれども、私は背後に立たれるのが一等苦手なのだ。

小指だけで繋がれるわたしたち

浪漫の狭間。 蜜月、猫の小道、他人同士、薄壁、パーソナルスペース、夢の窓、色褪せぬ歳月。 今の中に溶ける過去が未来にどんな景色を魅せるのか。目を凝らしてもわからない。

書き連ねた沢山の言葉。吐き出した音。ペンの筆跡。掠れたインクまで。全てこの身にあった出来事、思いの丈のはずなのに。夢から醒めた瞬間にはもう再現できなくなっている。もどかしさと不快感がもやとなって思考を覆っています。そんな最近。

口を付ける。それをする時、私は気が漫ろになっている。そこに意識はなく、ただぼんやりと意識を他方に飛ばし、見えない先に目を閉じる。それでも口から溢すことのない無意識はわたしの中でとぐろを巻いている。

昨日一昨日と体調が芳しくなく、季節の変わり目を違う意味で感じる日々です。五感で得られる大きな刺激が、拡声器を通したように感じられた。各々の主張がつぎはぎの壁を作り上げて目の前が真っ暗になる、そんな日々。打開するには一度何もないところに行くのが一番なのだろうかなどと考えてしまう。

人は何に痛みを、恐怖を感じるのか。外部的な損傷は勿論、精神的な痛み、介在する思い出に痛み、恐怖するのか。其れを留まらせるのは如何様な情動が働いたのか。 未来の時間よりも、執刀の静けさよりも、躑躅と一瞬の視線の交わりに恐怖し、震えるにも隠し通すのは、如何程の戦慄だったのだろうか。

鮨詰め、朝の陽光に軽く乾涸びている。振り子のように現を彷徨う詰襟の学生は目的地で何をみるのか。鮨詰め。これはすが足されるのも時間の問題かもしれない。

店内に貼ってある日に焼けた紙チラシ、少し傾き錆び散らしている横断歩道の標識、色褪せて破れかかっているビニールの屋根、やたらと早く移り変わる信号 願わくば、そんなものを見詰められる日が、まずは一週間後、在りますように

人の話をよく聴く癖がある。一所懸命に伝えてくれようとする姿が嬉しくて、話し終えるまでじ、と耐えてしまう。だから、聴いていたよ、ありがとう、を伝えたくて、リアクションで返すのだけれど、客観視するとそれは余りにも大袈裟なときもある。自然な対話は斯くも難しいものだったろうか。

ことばの戯れを目視すると、 目を背けたくなる。

好きなものを最後まで取っておく。別に悪いことではないと思う。フィルムを外す時の高揚感、それを誰かに強奪されるような心持ちを以って隠してしまうのはどうにも、虚しい気がする。取られてしまっても、それを喰らって嬉しそうにしている顔に、だろう、とふんぞりかえるくらいの好意を示したい。

ふぁんふぁん、風の靡く音が柔らかく暖かい場所。土の匂いが立ち込め、その誰もが好奇と安寧に包まれていた。

窓の外から聞こえてくる音が徐々に小さく、大人しく、幕が閉じられていくと、それが凄く安心する。今日も夜は私の元へも来てくれて、おやすみのハグをしてくれる。季節の香りを纏った暗幕は、ひらりと冷たい風を起こし、誰の頭をも平等に撫でてくれる。

名前があることが必ずしもいいことなのか。心の機敏や言動に名前をつけて、それで枠組みされた性質が後ろ指を指されながら生きている。誰かの心も、型にはまっているから形の体を成しているのであり、それが無くなれば一気に、ぽしゃん、と。なれば、どうして、どうすることもできない。

寄せては返す朝の波間。汐風が肌を撫でたのは記憶に新しい海街の景色か。否、これは私が夢見る最果てのようにも見受けられた。寝起きの気怠さは、水圧から解放されたそれに近い。心地よく、離れ難い。

数字と餡子の意味がわからない。先生やクラスメイトからの嘲笑の目が答案を覗くから、テーブルの上の粒餡を殺害した残骸を無様に散らかす。その日、二階の窓の縁に座った私は、自死を留めるフリをするペアワークの子とクラス委員長を笑い、自害した。そばに寄ってくれたのは、存在しない飼犬だけだ。

夏と錯覚するような空に、秋の風物詩。はて、彼らを夏だ秋だとたらしめるのは一体どう言った根拠があってだろうか。熱を孕んだ照明と冷たさを含んだスモークが焚かれた舞台の上で立ち尽くす私は、どんな台詞を待ち望まれているのだろうか。

季節の移り変わりを全身で受け止めた一日。台風一過の名残は少し灰色に見えたけれど、見えない鮮やかさを含んで溶け込んでいく。もうすぐ葉が色づく秋ですね。風邪にはお気をつけて。

いつもの道が完工し、道筋が変わっていた。粛々と行われていたはずのそれは、三日間で怒涛の時間を過ごしたらしい。私はその時間の流れについて行くことが出来ず、人の波に飲まれるがまま新たな路を辿る。短縮された経路、位置が変わったエスカレーター。慣れという流動に背中を撫でられ、ぞ、とした。

外に出て、ゆっくりしてみると あ、今日は一日引きこもりたい日なんだ、と 気づくことがある。 認知してしまえばその後、心の据わりの悪さや他のひとたちの動き、喧騒が脳内を刺激して、よからぬ物質を分泌させる。溺死してしまう前に、独りの人工呼吸器を見つけなければ。焦燥。

5時20分。アラームの時間よりは少し遅くて。あ、違う時間と思ったのだけれど。部屋に広がる温い暗さと窓の外から入り来る冷たく優しすぎる触れ方に何故だか少し安堵した。おはよう、じゃーにー。

火照る日差しは最早真夏。けれど、じと、と湿る肌の横を駆ける風は人肌と呼ぶには冷たい。何も語らない風の戦慄きをきっと、嵐の前の静けさと呼ぶのだろう。 今週末から明けにかけては台風らしいですね。どうぞお気をつけて。