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絵描きと”小さな戦争"

こんにちは、はしのです。お久しぶりです。
カレンダーができました。相変わらず年末前ぎりぎりでごめんなさい。(苦笑)

去年はやらなかったのですが、今年は、「絵をどんな思いで描いたのか」少しお話したいなって思っています。絵だけでは伝えきれない部分なので、もしご興味あれば。


どうして絵を描くの?
この質問よくいただいていたのですが、以前までは曖昧&大雑把な回答しかできずずっと考えてきました。そして、一昨年あたりから輪郭が見えてきたように思います。

「戦争をなくしたい」


そんな思いが、ひとつあります。それだけじゃないですが、今回は、この思いにフォーカスしてお話させていただきます。

戦争。

戦争と聞いて、あなたはどんなことを連想しますか?ロシアとウクライナのこと、最近では台湾有事のこともあるので、考える機会は多いのではないでしょうか。

私の祖父は戦時下育ちなのですが、一昨年亡くなりました。どんどん本当の戦争を知っている人がいなくなってしまう。知らない世代の私たちが道を誤ったら、また戦争が起きてしまう。そんな恐怖もあります。

戦争をなくすなんてとても大きな事に聞こえます。だけど、大きな問題だからと言ってできないことがないわけではないから、自分に何ができるだろう?私はそれを、絵と重ねて考えることが多いです。

なので、カレンダーを買ってくださる方や、私の絵に興味を持ってくださる方に対して、この文章を書きたいなと思いました。


小さな戦争

戦争と一言で言っても、いろんな種類があると思います。同じ民族同士の内戦、国家間の世界大戦…
今回私が注目したいのは、海の向こう側の話ではありません。
私たちの日常の中で起こっている”小さな戦争”についてです。

「小さな戦争」

これは私の造語です。その意味は例えば、攻撃的な言葉のやりとり。不平不満ばかりの会話。誰かの悪口。他にも家庭内暴力やいじめ…武器がなくても、人と人が傷つけられたり傷つけたりするようなこと。

そのことを、「小さな戦争」と、私は呼んでいます。きっと、誰の日常にも、多かれ少なかれ存在するものだと思います。


現在私は絵描きをしながらある温泉旅館で働いているのですが、その職場の中でも小さな戦争はたくさんあります。同僚の悪口を言い合う場面、不平不満を口にする場面、怒鳴りつける場面…エトセトラ、エトセトラ。

※先に伝えておきたいのですが、その温泉旅館はお勧めできるところがいくつもある素敵なところです。今ここで例に出しているのは旅館そのものを否定しているわけでも、職場のある特定の方を非難しているのではありません。良い旅館ですし働いている方々も皆さん良いところがたくさんある方々ですが、どうしても人間同士なので、ぶつかる場面があるというだけのことです。

皆立場が違うゆえに、それぞれの正義がある。「正しいと思うこと」がある。その「正義」と「正義」がすれ違って、不満が生まれる。だから、不満が生まれること自体は自然なことだと思うのですが、私が「小さな戦争」と呼んでいるのは、その先の現象のことです。

悪口の言い合いになったり、つい怒鳴ってしまったりして、”人と人が傷つけあう現象”を指しています。

不満が生まれても、悪口や怒りを用いず、お互いを理解しあう方法はあると思うんです。
でもわかっちゃいるけどつい怒っちゃうし、愚痴も言いたくなっちゃう。難しいよねえ…と感じる人が、ほとんどなのではないでしょうか。偉そうに話している私自身も、そうです。

日常の中で小さな戦争はたくさんあるし、私の毎日にもあなたの毎日にも、多かれ少なかれ存在しているはずです。

私は、そんな小さな戦争が積み重なって、大きな戦争につながっていくんじゃないか?と考えています。つまり、人と人の毎日の些細な、小さな争いごとが、やがては世界大戦のような大きな問題にも寄与するのではないだろうか?と。

ここで、なぜ日常の小さな争いごとが国家間の戦争にまで結びつくのかというメカニズムについて話すつもりはありません。し、私の知識量では明確に話せるとも思っていません。

ただ、社会は人、国は人でできています。

それだけは事実で、私たち一人一人の在り方がこの国を作っています。
ちょうど吉野源三郎著、『君たちはどう生きるか』で主人公コぺル君が「自分は世界の一分子なんだ」といったのと同じだと思います(※本文の引用ではなく、はしのの言葉でまとめています)。

世界の一分子である私たち、つまり世界の構成要因である私たち一人一人が、小さな争いごとを毎日繰り返していたら、それらが膨らんで絡み合って、いつかは大きな問題に発展するかもしれない。

けれど逆に、この国を作っている私たち一人一人が、毎日穏やかな心で暮らせたなら?もしかしたら、世界から争いはなくなるかもしれない。少なくとも犠牲は減るんじゃないか?

要はこの世界をつくっている一人として、どう生きるか?

それを考えて生きていくことが大事だと、私は思っています。


感情の刃

じゃあ、私たちの毎日から、小さな戦争をなくすためにできることってなんでしょうか。
それは、

感情を刃に変えないこと。


私たち人間の感情は、時に刃になります。怒りが爆発してひどい言葉になったり、横柄な態度になったりして人を傷つけたり悲しませたりする。自分の感情がコントロールできずに、誰かを嫌な気持ちにさせてしまった経験は、私も、誰しも、持っているのではないでしょうか。

戦争はニュースで見る遠い場所での出来事ではありません。戦争は、私たちの心の中にあります。負の感情が刃に変わったとき、その刃は誰かに向けられることになる。ムカつくあの人か、自分自身か、あるいは全くの他人か…。いずれにせよ、誰かを傷つけるきっかけになりえます。

この感情を刃ではなく、暖かいもの、心地いいものにする工夫ができたら。穏やかな気持ちで毎日過ごせたら。世界はきっとよくなると思うんです。


アートの役割

アートは、そのためにあると思います。感情の刃を鎮めて、柔らかくあたたかなものにしてくれる役割。

アーティストによくあることなのかもしれませんが、私は以前、自分の感性が人に伝わらないと孤独を感じていました。しかしアートによって救われた経験があります。

当時は「なんでわかってくれないの?」って悲しくてさみしくて。感情が刃になって、自分自身を傷つけたり、イライラして他人にも当たったりしてました。

ゴッホの絵を観たのはその頃です。
あの有名な 『 ひまわり』。

涙が出ました。10分、20分…どれくらいその場に立ち尽くしていたかわかりません。

「この方には伝わるかもしれない」

絵を観て、通じ合えた気がしたんです。誰にもわかってもらえないと思っていた自分の感性・感覚が、この絵を描いた方には、もしかしたら伝わるんじゃないかって。不思議でした。もう現世にはいない人に、作品を通して救われていたんです。

他にもモネやルノワール、たくさんの絵描きさん方の作品が、私の刃を鎮めてくれました。本当に感謝していますし、絵には、アートには、そういう力があるんだと知りました。

願わくば絵描きの端くれとして、私の生み出した作品も、見る人の心を穏やかにしてくれたらと思っています。

日常の中でうつりゆく感情が、鋭い刃ではなく、花束とか 木漏れ日とか、優しくあたたかなものでありますように。

そんな願いのもとに今年のカレンダーを作りました。

もし、怒りが湧いてしょうがないとき、悲しみが溢れてどうしようもないとき、はしのの絵を観てあなたの気持ちがちょっと和らいだなら、こんなに有難いことはないです。

終わりに

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

日々の”小さな戦争”をなくすために、私は絵を描いています。
絵が、感情の刃を鎮める役割になることを願っています。

嫌な気持ちになったり、イラっとしたときこそ、例えばいつもより明るく挨拶をしてみるとか、目を見て「ありがとう」って伝えてみるとか。

どんな小さなことでもいいから、人に自分に ちょっとでも優しくなることができたら。

私の子ども(作品)たちが
あなたの心の平和に寄り添えたらうれしいです。

読んでくださってありがとうございました。

今日も善い一日を!

2022年11月 はしの