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病み垢の効能

最近、Twitterを開設した。高校以来だった。
高校の時分はTwitterに面白みを感じず、いつの間にかアプリも削除していた。
最近、人に勧められて再びインストールし、アカウントも作成していたものの、特に何も呟くことなくそのまま放置していた。

精神的に不安定な時期が周期的にあり、ここ最近は情緒不安定だった。
どうしようもなく不安に駆られ、普段はさほど感じなくなっていた希死念慮が肉薄していた。病みが悪化していくにつれて、それをしっかり自覚できたが、軽い病みの時は疲れているくらいに思っていた。無理して、恋人に会ったが微妙な空気になり、ますます病んでいった。実は私は引きこもりを自称しているが、少し前に恋人ができたのだった。びっくりだ。

そんな事情もあって、なんとなく恋人からの連絡もそっけない感じもするし、普段なら気にもならない、しょうもないことに対しても感情が揺さぶられる時間を過ごしていた。意識の流れが過去に過去に、下へ下へと向かっていき、それは自分ではどうすることもできないものだった。ひたすら涙が出ていた。眠れなかった。そんな時にふと、放置していたTwitterを思い出した。
何気なく、死にたいと呟いた。
それが病み垢の始まりだった。

Twitterは気楽だ。
インスタみたいにいい感じの写真を探して、それを編集してより見栄えを良くして、文章も気どらずオシャレ風に、元気すぎず、大人っぽく、病んでるアピールなんてとんでもない!知人にもフォローされているので、そんなことをしたら心配をかけてしまう。(それで以前恋人から心配された)
その点Twitterは出来立てほやほやのアカウントでフォローもフォロワーも0人!知ってる人なんていないので好きになんでも脳髄反射で呟けてしまうのだ。(それはそれでどうなのかとも思うが)
とにかく、頭の中にあるモヤモヤを取り除きたくて、あれこれと書き連ねた。
ハッシュタグなんかも使えるようになった。

いつの間にか死にたい気持ちはマシになっていた。それどころか言いたいことを言えた高揚感すらあった。そして眠った。意外と反響があり、自分の本音を始めて受け入れてもらえたような気がした。

翌日、病みが手に負えなくなり、職場で泣きそうになった。私は引きこもりを自称しているが、一応は働いている。精神的には引きこもっているのであながち嘘ではない。
話が脱線したが、職場で希死念慮が吐瀉物のように迫り上がってきて、トイレに駆け込んだ。そしてTwitterを開き、また病みツイートをインターネットに放った。
おかげで、なんとかその日は乗り切った記憶がある。

フォロワーなんかもできるようになった。
そうか、世の中にはこんなにも病んでる人がいるんだな。
みんなギリギリで生きているのかな。でも、現実世界では私と同じようにニコニコと心配をかけぬように生きているのかもしれない。

最近のインターネットは匿名性を犠牲に、広く健全になっているけど、それが幸せなことかと言われると個人的には疑問だ。言いたいことも言えないインターネットは昔読んだディストピア小説のようで、窮屈だった。

古のインターネットを求める人、どこにも病みを吐き出す居場所がない人には、用法容量を守ってTwitterの裏垢をどうぞ


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