見出し画像

3月の震災被災地を北上する。飯舘-山元-亘理-仙台-石巻-気仙沼-陸前高田

例年よりは仕事に余裕のある年度末。3月末で車を手放すことにしたのもあり、震災から11年を迎える東北の震災被災地をまわってきました。ご縁があったり、気になる活動がいくつかあったこともあります。

つくる場を創る。旧コメリ大改修と地球の実公開彫刻プロジェクト(福島・飯舘村)

道の駅「までい館」からすぐ(見えるくらい)の場所にある旧コメリ

一昨年に、アート&クリエイティブ人材を想定した地域おこし協力隊の募集に協力した飯舘村。その時は2020年3月に閉校した草野小学校の拠点整備を視野に入れていましたが、その後紆余曲折あり、旧コメリの活用と整備が始まっているとのことで訪ねてきました。

道沿いのメリットを活かして、住民がふらっとのぞける雰囲気をつくっている
佐藤研吾さんが改修計画を担当する空間

改修計画を担当しているのは、同じ福島県内・大玉村(飯舘村から車で1時間くらい)を拠点にしている、コロガロウの佐藤研吾さん。ビニルハウスのパイプ、仮設住宅用の部材を転用した木材、籾殻をくん炭した断熱材など地域で手に入るもの、馴染んだものをうまく使っていくとのこと。コロガロウのページで詳しく紹介されていたり、ときの忘れもののブログでもコメントあり。

ワサビの水耕栽培実験スペースも入居&チラ見え

彫刻家の松田重仁さんが、大きな欅材(村民の方が保管されていたもの)を公開制作するプロジェクトも進んでいました。主催は認定NPO法人ふくしま再生の会。

MARBLiNGの松本さんと、地域おこし協力隊の松尾さんと、松田さんの彫刻作品

前回訪問後、合同会社MARBLiNGを立ち上げた松本菜々さん、地域おこし協力隊に着任した松尾洋輝さんとも再会。とても行動力がある2人です。

改修コンセプトなどが書かれたチラシの一部

一時は全村避難となった地域。究極的な状況を経ているからこそ、村の動きも独特だし、地域の寛容性もある。資金も獲得しやすい部分があるとは思いますが、刻々と変わる状況を踏まえて新たな活動を生み出していくことのできる人材がいるのは貴重です。そしてタイミングもよかったのでしょう。アートにこだわっているわけではないけど「つくる場を創る。」とうたい、何か新しいことをはじめよう。無いものがあればつくってみよう。そんな姿勢とオープンな雰囲気にあふれている拠点の今後に注目です。

上記は5月に図図倉庫(ズットソーコ)という名前でプレオープンした際の取材記事。最新情報はMARBLiNGのfacebookページが追いやすい感じです。


日々の防災意識が避難者を救った。震災遺構 中浜小学校(宮城・山元町)

福島から三陸の沿岸部には、いくつもの震災遺構や祈念公園があり、最近完成したものも多いようです。仙台から比較的アクセスがよいせんだい3.11メモリアル交流館(2016年開館)や、震災遺構 仙台市立荒浜小学校(2017年開設)、Reborn-Art Festivalついでに石巻南浜津波復興祈念公園、旧女川交番くらいしか足を運んだことがなかったのですが、今回さらにいくつかをまわることができました。

飯舘村から宮城・亘理町に向かう途中にあった震災遺構 中浜小学校(2020年開設)。ここは高台から遠く、屋上避難を選んだことで、周辺が全て流されてしまったなか小学生を含む地域の避難者90人全員が助かったという場所です。

校舎がかさ上げされていたこと、本震の2日前に津波到達予想時刻まで時間が短い場合の対応を決めていたことなど様々な要素が重なっての結果だったとのこと。とはいえやはり日頃から防災の意識が高く、訓練もきちんと行い備えがあったことが功を奏したのだという説得力をとても感じることができました。

避難階段のつくりなど校舎の設計自体が立地を意識しているようでした
校舎の中にも足を踏み入れることができる
屋上から沿岸方面、周囲は全て更地になっている

訪れた3/11は特別開館日で入館無料ということもあり、多くの方が訪れていました。飯館村からの道中、カーラジオからも震災当時やその後を語る声をたくさん聞くことができ、胸がいっぱいになりました。


空白の沿岸部をもつまちに何を見出すのか。WATARI TRIPLE(C)PROJECT(宮城・亘理町)

山元町の北隣に位置する亘理町。この地域も沿岸部がほとんど流されてしまい、災害危険区域に指定された約30万㎡が空白の地となっています。周辺自治体と比較して復興の種になるような地域資源もあまりないという状況をふまえて、観光×防災をうたうWATARI TOWN BAY AREA CONCEPTなる町の計画を元にした公民連携事業として、昨年からWATARI TRIPLE(C)PROJECTがはじまっています。

このプロジェクトが面白いのは、「CULTURE」「CULTIVATE」「CHALLENGE」をキーワードにアーティスト・クリエイターだけでなく、サーファー、スケーター、ミュージシャン、クラフトマンなど30名をまちに呼び込んで活動していること。クリーク・アンド・リーバーのグループ会社であるワンテーブルさんがその推進を担っています。

そのアート系チームの中間報告といった感じで、アート展 vol.1「アーティストから見た亘理」が開催されていました。参加アーティスト・クリエイターは市原えつこ、力石咲、キムテボン、相澤安嗣志、本城祐哉、久保田沙耶、岩村寛人、冨士田玲奈。過去に仕事をご一緒している力石さんが、沿岸部もご案内してくださいました。

郷土資料館のごく一角を使用した簡易な展示、目を引くのはキムテボンの体験型作品

会場はJR亘理駅に隣接する亘理町立郷土資料館。常設展で町の知識も得たうえで展示を拝見。大型作品を持ち込んだキムテボンはさておき、簡易な展示ながらに、タイプの異なるアーティストそれぞれが何者なのか。何をリサーチして、何を考えているのか。何をしようとしているのかがよく伝わってくる内容でした。

力石さんは作品の構想、モックアップ、実施済ワークショップなどの活動をわかりやすく展示
インタビュー映像や手に取れる作家の資料も
久保田さんは小品的な仕事や考えていることの表現を組み合わせた展示
考えていることを見せるのがうまい
木造船を探しているとのこと
市原さんは過去作品「都市のナマハゲ」の他、構想中の「空想伝承ラボ」をプレゼンテーション

今後、それぞれがプロジェクトを進めていくだけなのか。まとまって芸術祭のような仕掛けを行うのかなどは未定のようでしたが、このように途中でも展示やプレゼンの機会を設けていくのはとてもいいやり方だと思います。しっかりと方向性が見えてからではないとブランディングとしては危うい、という考え方もありますが、あくまで進行中のプロジェクトのコミュニケーションとしての展示。公共事業としての公開性も担保できますし、プロジェクトを進めるにあたって必要な出会いやヒントを来場者からいただけるということもあるはずです。

広大な空地、防潮堤の上にあがるとやっと海を感じることができる

沿岸部は防災公園的に整備され、大きく長い防潮堤ができていました。このエリアを平常時にどう活用すべきかという課題感をつきつけられます。仙台や名取から日帰り圏内ということで、確かにスポーツ拠点や音楽フェス、マルシェ的なイベントが行える場所としてはいいのかもしれません。しかし予算がどうしても沿岸部に大きくついていき分断も起きているであろうなかで、いかにして多様なアプローチをとることができるのかということも問われるのでしょう。

アーティストが全てを引き受けることはできませんが、まちづくりと連携した「プロジェクト」としてできることはあるはず。マネジメントは大変そうですが、実績と実力を兼ね備えた人がそろっている。しかもキャラクターが多様なので、まちのいろんな引き出し可能性を開いてくれるのではないかと期待をします。


3がつ11にちをわすれないために。せんだいメディアテークの展示と上映会(宮城・仙台)

編著した書籍でも紹介した、せんだいメディアテークのプロジェクト「3がつ11にちをわすれないためにセンター(略称:わすれン!)」の一環として、毎年3月に開催されている企画「星空と路」。展示と上映会にも立ち寄りました。

毎年1Fのオープンスペースを使って行っているのがいい
出張展示ができる移動式資料室「アーカイヴィークル」
DVD化された映像アーカイブは貸出もしている

「ある春のための上映会」と題して上映された、佐藤そのみ監督作品『あなたの瞳に話せたら』『春をかさねて』とトークが印象的でした。

佐藤さんは石巻市出身。中学2年生当時に作品の舞台となる大川小学校で妹を亡くしており、『あなたの瞳に話せたら』はその妹への手紙という形式をとったドキュメンタリー。『春をかさねて』は同じく大川地区を舞台にしたフィクションで、前作だけでは整理ができない自分の気持ちをふまえた作品。どちらも日本大学での卒業制作として完成させたものだとのことでした。

大川小学校は、救えたかもしれない多くの津波犠牲者が出てしまったことで様々に報道されました。映画にも当時の本人役の方などが登場します。しかし作品そのものが「事実はこうだった」「このように扱って欲しい」などと強い声をあげているわけではなく、当事者がまさにそれぞれ事実に向き合った結果としての映像が残されている。そのように感じました。


清水チナツ、志賀理江子の態度としての展示。「つまづきの庭」と石巻のオルタナティブスペース(宮城・石巻)

文化庁の在外研修報告として「DOMANI・明日展」が1998年から行われてきていますが、その小企画としてDOMANI plus @石巻「つまずきの庭」が行われていました(2015年から「DOMANI・明日展 plus」シリーズが行われている)。

メディアテークにも携わっていた清水チナツさんの企画で、震災前の2008年から宮城を拠点にしている志賀理江子さんの個展的なプログラム。会場は津波の被害を乗り越えた歴史的建造物である旧観慶丸商店でした。

東北の沿岸をイメージさせる長い机の上とまわりに様々な要素を配置した展示
震災や生き方などについての本が立ち並び、読むことができる。志賀の新作映像も上映。
海岸線が刻まれた天板には、志賀の写真が小さく配置されている
亘理町付近
展覧会タイトルを想起させる、メキシコの道路にあるという凹凸
メキシコ・オアハカのアートコレクティブ「Subterráneos」から贈られたという、震災から命の転生を願った版画

石巻ではReborn-Art Festivalも隔年開催されており、その影響もあってか石巻のキワマリ荘ART DRUG CENTERなどオルタナティブスペース(特にアーティストラン)が増えてきています。合わせてそれらにもお邪魔しました。

石巻のキワマリ荘内「mado-beya」では冨井大裕、中﨑透、ちばふみ枝 3人展を開催

「つまづきの庭」の清水のステートメントには、志賀の「芸術に社会性があるのではなく、芸術が根を張る場所が社会なのだ」という言葉を胸にメキシコへ渡ったこと、そこでコロナ禍の自治的な状況を経験し、日本はどうだろうと考えたことをふまえて以下のような言葉が記されています。

芸術の根を張る場所が社会ならば、社会とは共同での営みを指すならば、なおのこと、みなで立ち止まって考えられる場をつくりたいとわたしは願った。その先に芽吹いたのが本展だ。

「つまずきの庭」にて, 清水チナツ

志賀は近年、自らのスタジオをひらくオープンスタジオの取り組みもしているそうです。まさに清水の問題意識と重なる志賀の態度を示した場としての展示がこのような枠組みで実現していることは貴重だし、公だけに頼らない動きが多く見られる石巻の状況自体が豊かであると感じました。なお、志賀の取り組みはちょうどネットTAMにコラムの形式で掲載されています。

日和山から旧北上川の河口地域を望む。旧住宅地に復興住宅や祈念公園が整備されている。


残すか否か、役割が問われた。震災遺構 大川小学校(宮城・石巻)

仙台で佐藤そのみ作品にふれたこともあり、大川小学校にも足を運びました。

北上川河口に立地。特徴的な円形の校舎を持つ。
中には入れず外から眺める形式だが、立地や問題になった避難路などがよくわかる。
避難できただろうと言われている裏山

椙山女学園大学栃窪ゼミ制作のドキュメンタリーがYouTubeにアップされていました。インタビューに応じている佐藤敏郎さんは、佐藤そのみ監督のお父様とのことです。

帰りに、建築を学んでいるという大学生を車に乗せました(大川小は石巻や女川駅からとても遠い)。高知のご出身ということで防災が強く意識にあり、陸前高田から南下しつつ、震災遺構などをぐっているとのこと。悲劇の舞台は「見たくない」ということで地域には取り壊しを希望する方も多かったようですが、「残したい」という卒業生がいて「伝えたい」という具体的な活動もあるようですし、このような方のためにも残ってよかったのではないでしょうか。そのように思いました。大学生はこの後、おすすめしたメディアテークにも寄ってくれたようです。


術としての展示とプロジェクト。リアス・アーク美術館、アーティストインリサーチ気仙沼(宮城・気仙沼)

東日本大震災を災害史、災害文化の視点から考えるための様々な資料を常設展示しているリアス・アーク美術館。独特の展示が必見とかなり前から聞いていたのですが、こちらにもやっと足を運ぶことができました。

高台に立地していて、市街地を望むこともできる。
学芸員が撮影した被災風景の写真とレポート、被災物が展示されている。
被災物に添えられているカードの言葉は、取材や体験を元にした「創作」。

展示方法には明確な狙いと考え方があり、それもきちんと説明されています(こちらのページに詳しい)。確かにこれは、術として有効な方法だと実感することができました。

市役所など官公庁もある気仙沼の中心街・八日町地区では、墨東まち見世やTokyo Art Research Labでご一緒していた吉川晃司さんらが進める「アーティストインリサーチ気仙沼」の活動として、地理人オープン・デスクトップが開催されていました。

古い建物が残る八日町商店街の入口
展示用に一時的にかりたというスペース
気仙沼を拠点としたリサーチの様子をまとめた映像
地理人さんの活動そのものが見える化されている

これまでにも、CASA PROJECT、小中大地、ドンツキ協会、飯塚貴士・大浦美蘭(みちくさシネマコンプレックス)、北川貴好、佐藤史治と原口寛子などを八日町商店街に招いてきたようです。ベースとしてまちづくりの活動があり、並行してこのようなアートプロジェクトが行われている地域には注目していきたいところです。


「奇跡の一本松」が残る。高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設(岩手・陸前高田)

最後は陸前高田です。東日本大震災津波伝承館、震災遺構や道の駅を含む
高田松原津波復興記念公園

プレック研究所・内藤廣建築設計事務所の設計による体伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」
震災後枯死するも再整備された奇跡の一本松と震災遺構の旧ユースホステル
近くには震災遺構 下宿定住促進住宅もあります

かなり広域にわたる整備でした。他にも隈研吾や伊東豊雄の設計による交流施設もあるようですが時間切れ(こちらのページに案内あり)。陸前高田は駆け足かつ、特に誰かを訪ねるという形でもなかったので、広大な更地と立派な建物、という印象が強く残りました。

しかしこうして一部ではありますが被災地を車でまとめて移動してみて、改めて被害が広域にわたっているのだということ。ほとんどの沿岸部はまちの構造が変わり、海が遠くなってしまったのだということ。土木や建築を中心に多額の復興費が投入されているということ。それぞれの地域に思いをもって活動している方がいるということ。本当の意味での復興はまだこれからなのだということを感じました。

震災直後は仕事や自分のことで精いっぱいでしたが、東北とも少しづつ縁が増えてきている近年。こうして動ける範囲で、生きる術としての活動、豊かな営みとしての表現に、前向きに出会っていけたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?