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中学受験が可哀想だという主張

都市部で生活していると、受験も低年齢化が進み、乳児期から幼児教室に通う事も珍しくありません。



なんのために受験するの?
可哀想だって?
子供はのびのび育てるべきだって?


確かに最もな気もします😣



数年前に中学受験に挑む息子を刺し殺してしまった父親が教育虐待ということでニュースになりました。

そんなニュースを見ると確かに中学受験は可哀想だと言われても仕方ない


受験するしないに関わらず教育虐待は誰しもやってしまう可能性を秘めているのではないでしょうか。


もちろん私も教育虐待ではないか?
子供自身を苦しめているんじゃないか?
他人に指摘されなくても、事あるごとにこれは虐待かと悩んでいます。



悩む事も含めて、踏ん張り、傷つけ合い、迷い、時には迷惑をかけてしまいながら、受験や育児を通し親子で学んでいくんですよね。





可哀想だと言われる子供自身も自分の分からない分野に幼いながらに手を伸ばし、好きなテレビを我慢し、やりたく無いことに食いつき、小さいながら間違いなく子供は成長してゆく。

可哀想という主張は親子のその成長の機会を奪いかねない。

だから単純に受験は可哀想というのは、個人的に浅いかな、と思う。

受験に縁のない、実情を知らない、知ろうともしていない部外者の意見ほどやかましいものはないyo!!!


週刊誌さんよ、受験の親同士のマウンティングなんてないから、勝手なこと書くなよ🥲(私が実情知らないだけなのか?)

受験で大きく成長できるか、単に自己肯定感が下がっただけなのか


これは、本人の頑張りでしか測れないのでしょう。


(親は成績、順位にこだわってしまうといけない事くらいわかってます。)


志望校に受かったとしても、頑張らないと。
志望校にダメだったとしても、頑張らないと。


結局のところ頑張って生きていかなくちゃ。
うまく息抜きの仕方も学びながら。


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その頑張りを測るものは、偏差値であってはならない。

親は努力という見えない頑張りを認めなくてはいけない。

偏差値教育の否定をするつもりはないが、

↑でも書きましたが、自分のできる範囲の努力で生きてゆき、そして決して腐らずに投げやりに諦めない事。




伸びる時期も人それぞれ。何を成し遂げたいかも人それぞれ。







今日のまとめ
コロナ禍真っただ中
受験生の皆、それぞれにそれぞれのサクラサケ!!!

次回は娘のこの一年の勉強内容と成績のアップダウン、娘自身の成長を書こうと思います。身バレ防止のため販売記事とさせてもらおうかな🙄








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