漫画版『うつ病九段』をうつ病?の自分が読んだ感想など

漫画版『うつ病九段』をどうにか読み終えた。長谷正人先生がすすめておられたので原作本は既に読んでいるし、文春オンラインで連載されていた漫画版も全部読んでいたし、いわば何度目かの再読ということになるのだが、脳がダメになっているのか内容を全然覚えておらず、たまに「あっ、ここ連載中に読んだな」と気付く程度だった。
なお僕はいちおう「うつ病」という診断を仮につけられてはいるが、双極性障害や難治性うつ病ほか別の病気である可能性も消えていないことを付記しておく。

パンデミック前の話

パンデミック以前のことを描いたものなので当然といえば当然なのだけど、登場人物たちはみな軽い気持ちで人の家を訪ねたり、会食したり、あちこち出かけたりしている。先崎九段もリハビリを兼ねてはじめは外食や喫茶店や整体、退院後は食事とコーヒーを兼ねた散歩をはじめ登山(ハイキング)や寄席に行っている。入院中は休憩室に集まって患者同士ワイワイ談話しているシーンも多いが、今なら難しいかも知れない。何よりみんなマスクをしていないのに違和感をおぼえるまでになってしまった。

恵まれた環境

先崎九段のお兄さんは有能な精神科医ということで、重いうつ病とわかるや否や、万事整えてもらって慶応病院に入院している。そのことのうらやましさ。良い医師にめぐり逢うまでメンタルクリニックを渡り歩く、いわゆる「医者ガチャ」をやらずに済んでいる(このあたり、大学内の保健センターが使えなくなってから「医者ガチャ」して、最初にかかったメンタルクリニックがハズレっぽいのだけど自立支援とか諸手続きが面倒臭そうで次の「医者ガチャ」を引けずにいる僕などには本当にうらやましい)。
しかもすべてお膳立てしてもらって慶応病院に入院できただけではなく、棋士としての蓄えに加えて投資した資金もあるため、うつ病で休職(休場)しても経済的にも当分不自由しないという好条件も重なっている。妻にも囲碁棋士としての収入がある。さらには、もしうつ病が寛解せず棋士として復帰できないとしても、引退して「どこか地方で将棋教室でも開いて過ごそう」という余生が見込めるのも大きい。名の知れたトップ棋士なので将棋教室を開けば生活に不自由しないぐらいは稼げるだろう(作中でも地方でこそないものの、研究会用に借りたまま使わずにいた部屋を、兄と妻が相談のうえで囲碁・将棋教室を開いている)。このように、かなり恵まれた条件のもとにあるうつ病体験記なので、そこは割引いて読まなくてはならないと改めて思った。

主人公の兄

優秀な精神科医だという先崎九段の兄は、漫画版の描写ではおっかない印象。退院した先崎九段に散歩をすすめるとき、

医者は助けてくれるだけだ 自分自身がうつを治すんだ
風の音や花の香り、色 そういった大自然こそうつを治す力で 足で一歩一歩それらのエネルギーを取り込むんだ!

というセリフを言うところがあり、先崎九段はそれを素直に受け止めるのだけど、漫画版だと熱く語るお兄さんの背景がキラキラした大自然の風景になって、少しうさんくさい印象になる。うつに散歩、とりわけ日光を浴びる昼間の散歩が効くというのはよく言われることだが、うつになると散歩するのすら難しくなる(後述。なお本作でも退院後の先崎九段は日内変動などもあってなかなか散歩に出られず苦しむ様子が描かれている)。
ただ散歩を勧めるときのうさんくさく見える描写に対して、終盤に出てくる、

死んでしまったらすべて終わりなんだ! 究極的に言えば精神科医というのは患者を自殺させないためだけにいるんだ!

というセリフは、まさにその通りなんだろうなと思わせる説得力があった。同じシーンでの、

うつ病というのは本当に簡単に死んでしまうんだ 絶対に自殺だけはいけない うつ病は必ず治る病気なんだ

というセリフの裏には、自身も精神科医として患者を亡くした経験があるのかも知れないと思わされる。
もっとも僕自身は、2012年4月から2020年3月まで通った大学の保健センターでも、2020年4月から通っている今のメンタルクリニックでも、基本やる気のない医師にばかり当たってきたから「精神科医は自殺を止めるためにいる」という実感はあまりない。大学の保健センターはひとしきり悩みや愚痴を聞いたあと、毒にも薬にもならない助言を軽く言うだけで、あとは軽めの薬を処方されるだけだった。それでもまだ話を聞いてくれただけいいほうで、今のメンタルクリニックの医師はろくに話も聞かず、2週間ごとに次々に処方する薬をあれでもないこれでもないと変え続けるだけ。一度「希死念慮が強いです」と勇気を出して言ってみたことがあったが、「じゃあ薬はどれがいいかな……」とすぐ薬の話に戻ってしまった。不幸なことだ。

貧困妄想と本当の貧困

入院中の先崎九段は、北朝鮮情勢が緊迫しているらしいという情報から、戦争が起こるのではないかと思い、投資していた財産を失って路頭に迷うのではないかという貧困妄想に取り憑かれる。兄に相談すると、うつのときに決断するのはよくないが、不安なら投資を解約してもいいかも知れないと言われ、3分の1だけ解約。しかし戦争も起こらず、少し儲けそこなっただけに終わる……という一幕がある。休場しても困らないだけの蓄えがあり、投資もしており、もし引退しても余生を穏やかに送れるだけの名声がある先崎九段でも、うつ病になれば貧困妄想に取り憑かれるのだということだろう。

しかし僕の場合は貧困妄想とは違う。まず現実に奨学金の借金を何百万円も背負っている。学部時代の有利子の奨学金と、博士課程で借りていた無利子奨学金のうち半額(修士課程の全額と博士課程の半額は返済免除になった)。ちゃんと計算したことはないが、下手したら合計600万円ぐらいあるのではないか。そこらのだらしない人びとの借金額よりもはるかに多い。学問をやるということはそれだけカネがかかるのだ。ところでこの奨学金は、借りていた当人が死ねば本人死亡のため返済免除になる規定がある(返済の手引き的な冊子に書いてある)。このことが奨学金という名の学生ローンを借りてしまった哀れな人びとの気持ちを自殺へと誘う。
さらにいえば僕は博士課程進学(2014)以降、常に「収入のあてがなくなったら死ぬしかない」という状況に追い込まれながら、何度となく幸運で乗り越えてきた。「2017年3月いっぱいで奨学金が切れたら死ぬしかない」と思っていたら、学振(日本学術振興会特別研究員DCの略称。研究計画書を応募して上位だった学生が選ばれ、博士課程在籍のまま毎月20万円弱の生活費が保証される制度)に採用された。しかし2年後には学振の任期は切れてしまうので、「2018年3月いっぱいで学振の任期が切れたら死ぬしかない」ということになる。このときは半年ほど無収入の状態が続いたが、母からの援助とさる人からの援助によって生きながらえることができた。そして半年後の2018年10月からは、大学の助手に採用され、給料をもらえることになった。
しかし助手の任期も2年間で終わってしまう。そこに折悪しく今回のパンデミックが重なり、「2020年9月いっぱいで助手の任期が切れたら死ぬしかない」と、またしても追い込まれる。幸い、助手時代の2年間に失業保険に入っていたため2020年10月からも給付を受けられることになり、うつ病の診断書もあって300日間にわたって失業保険を受給できることになった。しかし仕事が見付からない。
今は「2021年秋に失業保険の受給期間が終わったら死ぬしかない」と追い込まれているが、僕の窮状をご存じだった先生から非常勤講師の口を半期だけながら1コマ回していただけることになり、その収入と実家からの援助を頼りに、失業保険が切れても何とか生きていけるのではないか……というのが現状である。つくづく「これで収入の途が絶たれたら死ぬしかない」という状況に陥るたびに、幸運や人の縁に恵まれてきたと我ながら思う。
しかし先のことを考えれば「2022年3月で非常勤の任期が切れたら死ぬしかない」「実家からの支援を受けられなくなったら死ぬしかない」という問題に直面することになる。アカデミアの中でしか働いたことのない、浮世離れした三十路の男が今さら職探しに奔走したところで、マトモな就職口などあるのだろうか。正社員になれなければ良くてフリーターだが、このパンデミック下ではアルバイトを見付けることすら容易ではない。僕はこのように、大学院生や任期付きの研究員・助手・講師といった不安定な身分ゆえ、常に「収入がなくなる」不安におびえなくてはならない人生を送っている。妄想ではなく実際に貧困に陥る可能性を抱えているのだ。

時間が潰せない

『うつ病九段』には時間が潰せない、というエピソードが2箇所出てくる。
一度はうつ病初期、入院前のエピソード。対局に挑む際に途中までは囲碁棋士の妻についてきてもらうも、妻のほうが先に対局があるので別れてから、自分の対局まで時間を潰すのに苦労する。スーパー銭湯に寄って時間を潰そうとするも、お湯に浸かっていても仮眠室に行ってもセカセカしてしまって、ゆっくり時間を潰すということができない。将棋会館へ早く行ってそこで時間を潰そうと思うが、電車に乗ろうとしてふと、ホームから電車に飛び込んで自殺する妄想に取り憑かれていたことに気が付いてしまい、ホームに出るのが怖くなり……というのが1度目の「時間を潰せない」。
2度目は入院中、退院を控えて環境の変化に慣れるため、一時外泊か一時外出をすすめられ、自宅に戻るのは気が進まないからと、馴染みの治療院がある中野に行ったときのエピソード。このときも治療院で腰を揉んでもらったあと、中野の街のどこで時間を過ごすか悩む。読書家の先崎九段だが、本屋に寄ってもうつ病で活字を読める状態ではない。入院中の身としては貴重な外食の機会だが、うつ病のために決断力が鈍っていてどの店に入ればいいのか決められない(結局、中華料理屋に入る)。そのあとも賑やかな中野の街にいたところで歩く以外何もすることができず、病院に戻りたくなってしまい、外出時間を2時間も残したまま帰ってきてしまう。うつ病になるとできることが減ってしまううえに、妙な焦燥感に駆られたりして、慣れた家や病院から外出したときに「時間を潰す」ことができなくなるのだ。

これは自分にも覚えがある。もともと時間を潰すのは苦手だったが、うつがひどくなってからさらに苦手になった。ある用事から次の用事まで微妙に時間が空いたとき、家に帰るわけにもいかないし、かといって外出先でどうすればいいのかわからない。
喫茶店などに入ってもそこで時間を潰すということができない(これはうつがひどくなる前からそうだった)。加えて今はパンデミックなので喫茶店でも飲食店でも、気軽にそのへんの店に入るのもはばかられる。うつが悪化してからは本を持って行っても活字が読めないし、スマホは充電が切れたら困るから家にいるときと違って迂闊にいじれないし……というので、喫茶店で一休みすることにしてもできることがない。もし比較的調子が良くて持参していた本や漫画を読めるとしても、これは僕の個人的な性格というか特徴のせいなのだが、つい急いで読んでしまう癖があるので時間を潰すのには向かない。かといって喫茶店で何もせずボーッとしていることもできない。スーパー銭湯での先崎九段のように、気持ちがセカセカとしてしまって、じっと時間が経つのを待っていられないのだ。
むかしは待ち合わせのときなど本屋で立ち読みして時間を潰したものだが、先崎九段が入院先から一時外出したときと同様、今は活字を読めなくなっているのでそういうこともできない。本が読めないのもあるが、街からどんどん本屋がなくなっているのもある。さらにいうと、これもまた僕に限った話ではあるのだが、方向音痴なので本屋と目的地のあいだの道のりをちゃんと往復できるかわからないのも不安要素のひとつである。
ゴールデンウィークのある日、夕方に荻窪で先輩たちとお茶をして、夜から翌朝にかけて池袋で怪獣映画のオールナイトを観に行く予定があった。このときはお茶とオールナイトのあいだに微妙な時間が空いてしまったのだが、やはりどこかで時間を潰すということができない。微妙な時間ではあったが、いったん自宅に帰って、少し休んでからまた出かけるだけの時間的余裕はあったので、このときはそれを選択した。外で時間を潰せなくなったうつ病患者の悲しき選択である。これも『うつ病九段』にも描写がある通り、喫茶店で人と会って話をするだけでもとても疲れてしまうので、帰宅してからはうっかり眠ってしまわないよう、ひたすら眠気と戦っていた。眠ってしまわないように音楽をかけ、スマホを見て、オールナイト上映までの時間を自宅で潰した。
このあいだシン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきたわけだが、このときも「時間を潰せない」ことに振り回された。週に何日も外出する日があると疲れてしまうため、本来ならメンタルクリニックに通院する火曜日に観に行くつもりでいたのだが、上映時間を確認すると、映画を観終わってから通院までに時間が2時間半ほど空いてしまうことがわかった。今のうつ病の僕にとっては、その時間を潰すには長すぎる。かといって、いったん帰宅して再び出かけるには短すぎる(いったん帰宅してしまったらドッと疲れが出て、映画だけ観て通院はできないというような本末転倒なことに陥りかねない)。そんな微妙な時間が空いてしまうのに悩んだ末、結局は通院と関係のない月曜日に観に行ったのだった。
今日も夕方からTOHOシネマズ新宿に「ゴジラVSコング」を観に行くつもりでチケットを取ってあるのだが、ふとその前に同じ劇場で「エヴァ」をもう一度観られないかなと思った。調べてみると観られないことはないのだが、「エヴァ」を観てから「ゴジラ」を観るとすると、2本のあいだに2時間ほど空いてしまうことがわかった。2時間ではいったん自宅へ帰って再び出かけてくるには短すぎる。かといって2時間も歌舞伎町で時間を潰せる気もしない。かくて2度目の「エヴァ」はどうやらお預けになりそうなのだった。方向音痴をはじめ僕に限った事情もあれば、パンデミックゆえの事情もあるのだが、それらを差し引いてもうつ病患者にとって「外で時間を潰す」のは困難なのである。

体質変化:汗

【ある日の日記から】熱いカップ麺をエアコンの風の当たらないところで食べたせいか、ひどく汗をかき、とても気持ち悪い。まして寝床に戻るとエアコンの風と相まって体温を奪われるし、本当にこの多汗症には困らせられる。Tシャツはびしょびしょになってしまったので脱ぐ。タオルも汗ですっかり濡れてしまった。もともと汗をかきやすい体質だったが、ここまで酷くなったのはうつ病になってからだ。太ったせいもあるだろうが(※2011年に60kgを切っていた僕の体重は、現在100kg近くにまで膨れ上がっている)、うつのせいもあるのではないか。というのも『うつ病九段』にも汗にまつわる体質変化の話があったのだ。そこでは僕と逆に、汗かきだった先崎九段がうつ病になってから、夏に身体を動かしても(入院中、神宮外苑まで散歩する場面)汗をかかなくなったというのだ。うつ病になると自律神経もやられるだろうから、そういうことが自分の場合も、この多汗症に関係しているのかも知れないなと思う。

週刊文春が読めない

慶応病院に入院した先崎九段は勇気を出して週刊文春を買ってみるが、12年連載を持っていた雑誌なのにまったく読めなくなっていたという。
僕はこのあいだ久しぶりに文春を買ったが、そのときはお目当てだったパンデミック関係の記事だけ何とか読めた。「8割おじさん」こと京大・西浦博教授の独占インタビューなどの記事だ。せっかく買ったのだから他の記事も読んでみようと、比較的佻そうなコラムに目をやると、何とか読めるが割としんどい。とりあえず宮藤官九郎と能町みね子のコラムだけ読んだ。コラムの中でも、かつて愛読していたはずの土屋賢二「ツチヤの口車」は目を通してみたものの、こみいった論理を活かして展開される詭弁が持ち味なだけに、論理を追うことができず読めなかった。
文芸評論や哲学書ほど堅いものでなくとも、論理的に展開される文章のたぐいは読むのが厳しく、このあいだ感想文を書いた水野しず『きんげんだもの』でも、途中途中に挟まれている文章は読んでいてなかなか頭に入ってこなかった。9月頃には2冊目の本が出ることになっているのだが、こんな頭の状態でよく自著の改訂やら著者校正やらできるなと我ながら不思議に思う。著者校正はまだ始まったばかりなので、ちゃんとこなせるかどうか甚だ不安ではあるのだが……。
ちなみに先崎九段が連載をもっていたのは週刊文春だが、自分が連載を持っていた雑誌というと2年間短歌時評を連載した「現代詩手帖」ぐらいか。しかし、いま「詩手帖」を買ってきたら読めるかと考えてみると、とうてい読めないだろうと思う。これは現代詩やそれにまつわる文章がそもそも難しいという事情もあるが。

規則正しい生活とその難しさ

【ある日の日記から】……昼夜逆転は朝から午前中にかけてつらいという日内変動を感じなくて済むうえに、みんなが働いている時間は意識を失って眠っているので「みんな働いてるのに自分は何もできないゴミクズだ……」という自己嫌悪にも襲われないし、何かと好都合だと思っていたのだが、真っ当な社会生活を営んでいこうと思ったらものすごく不便なのだなと今さら気付かされる。僕は相当なバカなんじゃないのか。『うつ病九段』でも慶応病院に入院中、とにかく規則正しい生活をさせるよう、病院側が朝早く起きさせて夜早く寝かせるというリズムを作らせていたことを思い出す。……

しかし規則正しい生活というのは、独り暮らしではなかなか難しい。うつ病の症状というとよく不眠と食欲低下が挙げられる。先崎九段は22時に寝ても1時には目が覚め、薬を飲んでも4時には目が覚めてしまうというふうに不眠に悩まされる。また入院中、ちゃんと病院食を残さず食べていたのに、退院して計ってみると体重が16kg落ちていたという。

だが自分の場合はむしろ逆である。うつになってから過眠と過食が顕著になった。先にも書いたようにうつの約十年間で体重は倍近くに増えた。もともと60kg程度だった体重が、95kgまで増えたのだ。パンデミック以降うつが悪化してからは計っていないので、現在はもっと体重が増えていることと思われる。ひょっとしたら100kgを超えているかも知れない。
自分は不眠というよりは過眠に陥りやすく、過眠の周期に入ったときには1日に20時間近く眠っていることもある。睡眠時間は周期的に変わるので、1日に6時間程度しか眠らなくても済む時期もある。睡眠リズムが日を追うごとにどんどんズレていくので、自分では睡眠相後退症候群なのではないかと思っている。

「先崎学が将棋を指せなくなるなんて……」

【ある日の日記から】……こんな生活を続けていたらいつまで経ってもうつ病なんか治らないぞと思う。睡眠リズムは不規則だし、散歩どころか外出もろくにしないし、食事の栄養バランスもひどく悪いし、読むこと書くことのリハビリもうまくいっていないし。『うつ病九段』で妻(囲碁棋士)が、「先崎学が将棋を指せなくなるなんて」と泣くシーンがあるが、「吉田隼人が短歌を詠めなくなるなんて」「論文を書けなくなるなんて」「本を読めなくなるなんて」と置き換えても通用するなと思わされる。僕の場合は泣いてくれる妻がいないので自分で勝手にショックを受けるだけだが。……

詰将棋が解けなくなる

【ある日の日記から】……立花隆の卒論がメーヌ・ド・ビランだったという話を彼の訃報で思い出して、バタイユで博論を書き終わったあとはぐっと方向転換してメーヌ・ド・ビランに行くのも悪くないかなと一瞬だけ思う。実際、SNSでつながっている数少ない研究者の人たちも、博士論文を出し終えたあとは博士論文とは違うそれぞれのテーマに舵をきっているようだ。
しかしメーヌ・ド・ビランをやるには、そもそも邦訳が少ないうえ、同じく邦訳が少ないコンディヤックとかマルブランシュとかラヴェッソンとかいったフランスの古い哲学者たちの著作も原書で大量に読まねばならない。当然ながらフランス語での先行研究も膨大なものがあるだろう。さらに邦訳は少ないわりに日本語での先行研究は比較的多く、どれもガチガチにアカデミックな研究なので敷居が高く感じてしまい、バタイユなどかじっていた人間が足を踏み入れてよい領域ではなさそうに思われる。
やはり方向転換するなら当初から考えていた通り、やる人の少ない(そして読むべき先行研究も少ない)クレマン・ロセなりモルポワなりを選ぶべきだろう。もっとも、どちらも邦訳が少ないから、これまで邦訳におんぶにだっこでバタイユ研究を進めてきた語学力に乏しい僕には難しい代物だろうが。

だいいち、もともと語学力に乏しいのに、うつ病による知能低下とフランス語から離れてしまったブランクとのために、たとえば簡単な名詞の性すらわからなくなってしまっている。こんな状態でフランス文学・思想の研究に復帰するなど考えることすらおこがましい。
『うつ病九段』で先崎九段が詰将棋の本を解けなくなっていたのと似たようなことが起こっている。将棋の世界で九段といったら本当に雲の上の人、トッププロだ。そんな人が、本来なら赤子の手をひねるように(作中では「息をするように」といわれている)解けたはずの詰将棋の問題に苦戦する。作中では「数学の教授が小学校の算数を解けなくなったような状態」と評されている。現役復帰を目指して詰将棋という基礎中の基礎のような練習に苦しみながら取り組む先崎九段の不安は、簡単なフランス語すら読むのに苦戦するようになってしまった状態から、フランス文学の博士論文を完成させるまでに復帰できるかという僕の不安と重なるものがある。

口惜しかった
自分をこんな目にあわせたうつ病が憎かった
うつ病は脳の病気だ だから自分は7手詰もできないが病気が治れば必ず前の自分に戻る……
でも もし脳が戻らなかったら? 治らなかったら?

博士論文を出したあとの研究について云々する以前に、そもそもバタイユでの博士論文すら課程博士の期限内に完成・提出することすら不可能に近いのではないか。今夏抱えている論文だって、エントリーこそしてみたものの、書き上げて提出できるかどうか自信がない。先崎九段と違って、僕のうつ病は10年治療を続けても一向に治る気配もない。僕の脳は本当に治るのだろうか?……

リハビリと治療期間

【ある日の日記から】……スマホばかり見ていると良くないだろうし、どうせ生活リズムも狂っているのだから、せめて起きているうち明るい時間帯だけでも、漫画でも再読でもいいから本を読む時間に充てようと思う。暗くなったら寝床に置いてある卓上スタンドのほか電気をつけない暮らしをしているので。本当なら『うつ病九段』にある通りもっと散歩したり、さらには先崎九段がかなり無理をして将棋の対局を再開したように、僕も無理してでも専門書を読んだり、語学の勉強を再開したりして治すべきなのだろうけど、何もできずにいる。……

『うつ病九段』の先崎九段は、6月から不調に陥り、翌年4月には復帰している。入院の際には医師から最低半年、長くて1、2年と言われているが、1年かからずにうつ病から復帰したことになる。その背景には、医者が見たら止められるような無茶なリハビリとして、将棋の真剣勝負を重ねたこともあったのだろう。プロ棋士だという自負が、先崎学をうつ病の暗闇から這い上がらせた。

私は腕一本で人生を切り拓いてきた だから大丈夫だ
将棋の力によって必ず切り抜けられるはずだ

いまの僕にとって、論文や短歌関係の原稿執筆など無理に近い。しかしそれは単にうつ病が悪化したからというだけでなく、自分が歌人だという自負、研究者だという自負に乏しいからではないか。
かつての僕は歌人として振る舞うまいと思い、広義の歌壇というか、短歌関係者の世界から意識的に距離を置いていた。また研究者としては、まだまだ半人前どころか底辺に近いところにいるという自己認識のもと、自分がフランス文学の研究者だと自信を持って名乗れず、あくまで「フランス文学を専攻する一大学院生」という意識でいた。それゆえに読むことにせよ書くことにせよ語学にせよ、リハビリが進まないのではないか。

先崎九段が言われた1、2年どころではなく、僕は10年近く鬱による通院を続けている。2012年から始まって今年は2021年だ。だが、その中でもこの1年ほどが特につらい。やはり職を失うかも知れないという不安、そして実際に職を失った絶望感に裏打ちされたものだろう。ツイッターでどの薬も効かないとつぶやいたとき、某氏から「就職するのが最高の薬でしょう」と指摘されたのには返す言葉もない。
今の僕はバイトもしていない、仕事もしていない、学生でも院生でもない、本当に何もしていない状態にある。本来なら入院しているようなもので心が休まるかも知れないところだが、焦りばかりが募って、まったく気が休まらない。今の病院に移ってから色々な薬を試されたが、どんな薬を試しても効かなかった。うつ病が長いこと治らないのは、僕が患っているのが一般的なうつ病ではなく、躁うつ病の躁状態が軽微にしか出ないタイプである双極性障害2型や、あるいは難治性うつ病であるからではないだろうか。そうでなければ、普通は長くても1、2年で治るはずのうつ病が、10年近く続いていることの説明がつかない。

「好き」がわかるかどうか

【ある日のツイートから】……今年の「日々のクオリア」をリハビリがてら気楽に(書く方は気楽ではいられないわけだが)読んで、ああ面白いなぁと思う一方、どうして自分は持ち味(だと自分で思っているもの)を活かせずにあんな無様な恰好を晒してしまったのかと悔いる思いも強い。パンデミックや失業やうつの悪化がなかったら……と。パンデミックの真っ只中(最初の緊急事態宣言中)からその少しあとぐらいまでに取り上げる歌はほぼすべて決めていて、そのとき既に感じていたのだが、自分のなかで「こういう歌が好き」みたいな感覚が希薄になってしまっていて、どの歌を引いたらいいかわからなくなることが多々あった。自分で歌を詠むほうも、他人の歌を読むほうも、自分の「好き」がわからなくなると途端にぜんぶダメになってしまう。トレンドからもメインストリームからも外れたところで、意識的に短歌関係の人交わりを絶って「好き勝手に」詠んできたのが、自分が何を「好き」なのかわからなくなってしまうと、思うように歌が詠めなくなる。それでいま行き詰まっている。『うつ病九段』の先崎学九段は後輩とリハビリに将棋を指すのに真剣勝負になり、相手も本気で向かってきてくれたことに「将棋っていいなあ」と思う。それぐらい「自分は将棋が好きだ」という強い信念があったから先崎九段はうつを突破できた。僕はそこのところがダメになってしまったのでいつまでもうつが続いている。……

散歩できない問題

うつにとって散歩は薬のようなものなんだ、と『うつ病九段』の中で先崎九段の兄は言う。そういえば、あれこれ薬を処方するばかりでやる気のない今の病院の医師にすら散歩を勧められたのだった。そういえば、「体調不良」で一時期休業していた地下アイドルが、吉田豪からうつ病だと思われ、散歩やPokémon GOを勧められたという話をそのアイドルと吉田豪のトークイベントで聞いたこともある。散歩というのは、それぐらいポピュラーなうつ病治療費法だということか。
しかし前に書いたように、散歩するとなるとシャワーを浴びたり着替えをしたりとやらなくてはならないことがたくさん増えて、うつ病でひとつのタスクをこなすだけでも精一杯の状態にはとても無理だという実感がある。加えて今はパンデミックの影響もあって外出することがためらわれる。先崎九段は日内変動と戦いながら10時頃には何とか散歩に出かけ、喫茶店でタバコを吸い、昼食を摂り、夕方に帰宅するという生活を続けていたようだが、いまは外食もはばかられる時世だ。もちろんそれは僕が気にしすぎているだけかも知れないが……(インスタを見ているとアイドルや女優の女の子たちがキラキラとした食事をお店で食べ、ときにはメンバーや友人と「一緒にごはん」している)。
また先にも書いたように、自分は先崎九段とは違って重度の方向音痴なので気ままに散歩に出るということができない。たとえ散歩するとしても西武新宿線沿いの自宅からまっすぐ大きな通りを歩いて中央線沿いの少し大きな町まで行くとか、決まった道のりをただ歩くことの繰り返ししかできない。そうしないと家に帰れなくなるのだ。スマホの地図アプリのナビ機能を使っても、目的地にたどり着けないことがままあるぐらいなのだ。さらに過敏性腸症候群でいつも腹を下しているので、途中でトイレに行きたくなったときどうするのかという切実な問題もある。うつ病の人間にとって「散歩できない問題」はけっこう深刻で、根深いものがある。

シャワー浴びられない問題

『うつ病九段』には入院して10日ほど経ち、看護師からシャワーを浴びることを勧められるシーンがある。そこでシャワーを気持ちいいと思えたことが、回復への第一歩だと感じられたという描写がある。
しかしこれも前に書いたように、シャワーは散歩と同じくこなさなくてはならない手順(細かなタスク)が多くて、うつの状態では非常に難しい。服を着替える、タオルを用意する、石鹸やシャンプーなどが足りているか確認する、お湯の温度を調節する、石鹸を泡立てて体を洗う、顔を洗う、シャンプーで髪を洗う、すべてが済んだらタオルで体を拭く、服を着替える……。これら細々とした動作のひとつひとつが、健康なときは無意識のうちにこなせていたのに、うつ病になるとどこから手を付ければいいのかわからないほど積もり積もったタスクの集積のように感じられる。精神科病院の看護師らしきアカウントの、重度のうつで搬送されてきて入院する患者はたいてい入浴ができなくなっているというツイートも見たことがある。さらに言うと僕は入浴のついでに髭を剃っていたので、シャワーを浴びられないとなると髭も剃れなくなる。無精髭がボサボサになる。

髭剃りのこと

【ある日の日記から】……唇の下にできたニキビが痛くてたまらず、寝る前から塗るか塗るまいか迷っていたクロロマイセチンを塗ることにする。本当はシャワーを浴びてから、あるいはせめて髭だけでも剃ってから塗りたかったのだけれど、気力が残っていないし、そのまま塗ることにする。『うつ病九段』の漫画版で、入院するあたりの先崎九段の顔に無精髭が描かれていたのを思い出す。精神科の病棟に入院するときには自殺に使えそうなものとして、安全剃刀なども持ち込めないという。それでも「10日ぶりのシャワー」のあとは髭が消えている。なぜ?……

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