#34 ライフ イン バブルライム
現在ソロミュージシャンとして活動しているピンクペリカンにも、ロックバンドでギターを担当し、仲間と夢を追っていた若い頃があった。
二十歳の頃、大学に進学したピンクペリカンは、東京で一人暮らしをはじめた。
同郷のバンドメンバーもすぐに上京してくるということだったので、ひとまず自分だけ単身東京に乗り込んだ、という形だった。
ところが一年後、メンバーは東京を通り越してロンドンに旅立つことに。
「どうせやるなら海外で勝負しようぜ。お前も来るだろ?」
元々、進学も就職も上京するための手段。実家を出るのが第一歩。
メンバーとバンドを結成した時から、バンドで命燃やす決意だった。
が、葛藤もあった。
そうは言っても親の手前もある。
散々悩んだ末、大学を卒業したらすぐに行く、というのがメンバーに対するピンクペリカンの精一杯の返答だった。
心のどこかに、「東京でやる、って言うからわざわざ上京したのに。。。」という気持ちもあった。
「待ってる。ロンドンの空気を吸って、感じて、その上で勝負出来る曲を作って待ってるから、必ず来いよ。」
ロンドンのレコード会社に送り付けるために、作り溜めておいたオリジナル曲を4トラックのカセットテープMTRでレコーディングした後、バンドメンバー達は各々の恋人を連れて旅立った。
ギターと、ほんの少しのレコーディング機材と一緒に一人東京に残されたピンクペリカンは、黙々と曲作りにいそしんだ。
ドラムマシン、MIDI、シーケンサー、シンクロック。
ギター以外のDTMの知識も身につけ、デモ音源を作る日々。
そんなある日、ロンドンから一本のカセットテープが届く。
メンバーがロンドンで作った新曲だった。
戦慄を覚えた。
鳥肌が立った。
まさにそれが、ピンクペリカンがずっとずっと探し求めていた新しいロックだった。
ロンドンの空気だ。すごい。
もう手に入れたんだ。
アイツら、やりやがった。
カセットテープもイギリス製。
自分がロンドンに行くまでの間に、まだ2年もある。
焦る。
バイト、学校、浪費するだけの日々。
どうしようもないジレンマを、曲作りに向けた。
俺なりの返信だ。
ピンクペリカンは、デモを作り、カセットテープに録音してロンドンに送った。
メンバー達からのリアクションは上々だった。
そこから、ロンドンのメンバーとのぎこちないバンド活動がはじまった。
やりとりはすべてエアメール。
パソコン通信すらない時代。
国際電話が出来るほどの金も無ければ緊急の用事があるわけでもない。
その内、手紙を書くのももどかしくなって、お互いに自分の近況をカセットテープに吹き込んで、やりとりするようになった。
届くのに最速で3日。
メンバーがすぐに返信してくれたとして、それが届くまで一週間。
毎日毎日、待った。
朝夕、郵便受けにエアメールが届くかどうかが、その日一日の大半の気分を決めた。
同時に、ピンクペリカンの自宅録音の知識と技術は高められていく。
今思えば、メンバーは皆ものぐさなB型だったにもかかわらず、よくぞあそこまで自分のうっとうしい発信の数々に律儀にリアクションしてくれていたな、と思う。
が、当時はさみしくてつまらなくて、どこへ行っても誰彼構わずトゲトゲしくあたり散らしてクサクサしていた。
誰にも言えない本音。
いくら仲良く夢を語り合っても、国境を越えてその熱量を共有するには、時代がアナログ過ぎたのか。。。。
いつも返信が届くはずの日数よりも倍以上の日数を経て、ある日届いたカセットテープに、ものぐさなメンバー達にしては随分と丁寧に、神妙な声色で、各々の気持ちが吹き込まれていた。
新しいメンバーを迎える事になった事。
ピンクペリカンの事はもう、待てないという事。
青春が描いてくれた、夢がひとつ終わったのだ。
ずっとずっと前から孤独だったが、ピンクペリカンの孤独は、絶望的な孤独に成り果てた。
今でも郵便ポストを見ると、ピンクペリカンは思いだす。
あの日届いた、海外製品特有の、嗅ぎ慣れない香りに包まれたカセットテープ。
鳴り響いた安っぽいギターリフ。
うねりながら突き抜けていくメロディ。
統率の取れたコーラスワークと、だらしなく揺れるドラム。
あの頃のあいつらに聴かせて、恥ずかしくない曲を創って鳴らす。
あれから今日までずっと、それだけがピンクペリカンの生きる道標。
生きてる心地、そのもの。
それ以外の事は全部、コロナに突き刺さったライムみたいなものだ。
でもライムがなきゃ味気ない。
弾ける泡も無い。今ならわかるけど。
…to be continued.
ハシビロコウバンド物語
「第三十四話 ライフ イン バブルライム」
初出 2017.5.2
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